秋田市文化創造館

PARK – いきるとつくるのにわ

トークイベント
「空間をひらき、人とつなぐ:活動場所とコミュニティのつくりかた」レポート


日時|2024年8月18日(土) 17:00-19:00

西村周治さん、栗原エミルさん

秋田に暮らす人々やクリエイター、専門家が交わり多様な活動を展開するプロジェクト「PARK – いきるとつくるのにわ」。「観察する」「出会う」「育む」「残す」の4つのプログラムを通して、秋田の文化的土壌をたがやしていくことを試みます。
「出会う」では、さまざまなゲストを招いたイベントを通して、新しい視点や風景と出会うことを目的に、今年度はこれまでトークイベントや秋田市中心市街地でのパフォーマンスフェスティバルを行ってきました。
今回は、神戸市で“廃屋を再生し、活用してきた”建築集団西村組・合同会社廃屋 組長の西村周治さんと、今年5月に“地域と世界をつなぐ拠点・アトレデルタ”を秋田市内にひらいた映像プロダクションの株式会社アウトクロップ代表取締役の栗原エミルさんをお招きして、空間をひらいて集い、人とつながること、新たな風景を生み出すことについてお話いただきました。

トークイベントの様子

西村周治さん
-廃屋を廃材で直す。止まり木のように人が集まる-

西村:“屋根や床が落ちた廃屋を廃材で直す”会社をやっています。廃屋グループと称して「合同会社廃屋」、「西村組」、「株式会社茶番」の3つがあります。それぞれ、宅建業と設計事務所、旅館業をやっています。現在、廃屋を55軒ぐらい保有していて、30軒ぐらい直していますね。

合同会社廃屋 (左から)廃屋グループマネージャー三宅陽子さん、西村周治さん、OB中村邦生さん、OB池田義文さん

西村:うちは止まり木のように、メンバーが年ごとに入れ替わり立ち替わりながら運営しています。
メンバーとしてはアーティストが多いです。3分の1ぐらいが海外から来た人で、電気やガスや何でもできる絵描きの人など、いろいろなメンバーがいます。
本日ちょうど初期の西村組で活動してくれた、中村邦生さんと池田義文さんがたまたま会場にいたので、出演してもらっています。

中村:当時僕は秋田公立美術大学を2020年に卒業して、「六甲ミーツ・アート芸術散歩」という神戸の六甲山の芸術祭に参加していました。そこで西村さんと三宅さんがたまたま僕の作品見たことで、「最近、村を手に入れたから住まないか」とスカウトを受けて西村組に加入していました。

中村邦生さん

-事業のきっかけ-

西村:芸大を卒業してから全然就職先がなくて。無職でお金がなくて借りていた賃貸マンションから追い出されることになりました。来月から家が無い。そんな中、15,000円で倉庫が付いたボロボロの家の情報が出ていたんです。

そこを紹介してもらい、生きるための戦略として“廃屋に住んで直す”ということが始まりでした。
その時はお風呂を拾って水道をつないで、シャワーブースを作ったりしていました。

西村:当時はバイトを週2、3日ぐらいして給料が70,000円ぐらいでして。夜仕事しているDJや音楽関係の人らとシェアして家賃を3分の1で抑えて住んでいました。
考えてみると家賃などのベース金額が安かったら、何とでも生きていける環境がつくれたんですね。

その後下町に十何軒ぐらい同じように“廃屋に住んで直す”スペースが出来て、いろんな人が住み始めて活動が生まれて、ムーブメントとしてすごく盛り上がったんですけど。
残念なことに「ワンルームマンションを建てるんで出てってくれ」と、そこも追い出されてしまいました。

-自分で買って、直して、貸して。そして独立へ-

西村:追い出されたその頃、神戸R不動産にてフリーランスで仕事を始めました。賃貸で借りていても土地の権利がなく難しいので、“自分で買って直す”ということを始めました。
東京のある一角だと単価が平米7,000万円、8,000万円(昔のデータ)で取り引きされていて、僕が買った神戸の土地は3,800円で買えました。今回、秋田の不動産サイトも見ていましたが、中心市街地でも安く面白そうな物件がありましたね。同じ土とか大地で、金額差が生まれるのは感覚的に気持ち悪いなと思っていて。“どんな所でも面白くなるやろ”と、最初は1人で底値の不動産を買って、自分で直して人に貸すことをやり始めました。

ある程度、資産と収入が確保できるまでは、コツコツと不動産営業をしながら活動を続けていました。雑誌に取り上げてもらい、場所を作ったら人が決まるという状況が次第に生まれて。資産ができて収入が確保できたので、2018年頃に独立しました。

当時の収入のベースは設計と施工と大家業で三つありました。最悪、事業がどれかコケても何とかなるやろと考えながらも、慎重に石橋をたたきながらの独立でした。

-廃屋の集合体が村になる。梅元町の村「バイソン-BISON-」

西村:ある時たまたま買った家の周りが全部空き家だらけで。一つ買ったらその隣も隣も「売れるんだったら買ってくれ」とみなさんおっしゃって。

そこから村づくりが面的に展開して、出来たのが「バイソン-BISON-」という名前の9つの建物の集合体です。

ギャラリーや工房、レジデンスがあったり多様なスペースが生まれています。今はシェアハウスのようになっていて15~20ぐらい部屋があり、3分の1ぐらいがアーティスト・イン・レジデンススペースとして使っています。 いろんな国から人が集まるので毎晩どこの国にいるのか分からない状況です。

-人とつながりながらつくる-

西村:西村組に来る多くの人は、大工や施工の経験がない人です。4分の3ぐらいほぼ未経験の人。残りの4分の1がプロの大工さんで、“フォローしてもらい一緒につくる”というチーム編成になってます。

話が飛んでしまいますが、今、大工がどんどん減っているという状況で、大工や職人ってすごくハードルが高い印象がありますよね。やるからにはちゃんとやらないといけない空気感があんまりよくないなと思っていて。

“半人前でもいいから、とにかくやれるかどうか分かんないけどやってみよう”と、大工の入り口がつくれるように、「半人前大工育成講座」をやっています。
また、2週間に1軒ぐらい「(廃屋を)もらってくれ」と連絡が来るので、最近は若い人に譲渡する活動もやってます。

-遊びながら空間をひらいていく-

西村:日本では残念ながら世帯数が減少していて、その割にはタワーマンションを建てることばかりしてるので、地方では家がどんどん余っていくと。もはやこれを人間が使い切るのは無理だと思っていて。その中で廃屋を“面白く遊ぶ”方法として、いろいろなアーティストと一緒に“人が住まなくても遊べるやり方”を模索しているところです。

「バラックリン」当時、中村さんが風呂なし、ガスなし、壁なし、屋根のみの場所で住んでいた。

池田:自分は2010年から「ギブミーベジタブル」という“入場料が野菜”の音楽イベントを主催しています。(秋田では2024年10月5日にエリアなかいち内の「ナカナカ市」で初開催した。)

池田:西村組から依頼された時は、“元ペット霊園”でバラックリンという場所でやってくれと話をもらいました。人が集まると場の雰囲気が変わりすごく面白いですね。夜はみんな帰ってしまうので怖くなりますが。

西村:この時は貰った“廃神輿”にみんなで野菜を奉納して、料理人がそれらを料理して提供しましたね。仏壇をステージに並べて歌ったり踊ったりなどデコレーションや装飾をしっかりとやって、400人くらい来たイベントですごく楽しかったですね。

-試しながら、自分の住む場所を所有していく-

西村:廃屋のプロモーションの話として、廃屋を直している最中のぐちゃぐちゃの所で無印良品のフライパンのCMを撮る機会がありました。段ボールが山盛りの空間ですが、“自分で自分の住む場所を所有して作っていく”風景が見えるのがカルチャーとしてすごく格好良いというか、すごくよい宣伝になっていました。そういうのが当たり前になっていくと良いなと思っています。

僕自身、最初は住むために家をちゃんと直していましたが、今は空いてる改装前の家に住んで、週の2、3日は車や現場で生活するみたいなことをしています。
一番最後の写真になりますが、中村さんが作ってくれたドラム缶風呂をまだ使ってるよ、という写真で締めたいと思います。ありがとうございました。

栗原エミルさん
-“リアルな場づくり”と人付き合い-

栗原:今年の5月に「Atle DELTA(アトレデルタ)」という複合施設を新設しました。地域に場所をつくるという意味では、われわれも一歩踏み出せたと思っています。今回はなぜ新設に至ったかを中心にお話していきます。

栗原エミルさん

栗原:私は京都府京田辺市が出身で、秋田に来たのは国際教養大学への入学がきっかけでした。
大学4年生だった時、一緒に起業した松本トラヴィスと1本の映像を制作したことがはじまりで、秋田に残りアウトクロップという映像制作と映像プロダクションの会社をやっています。

<PARK-いきるとつくるのにわ 観察するクリエイター アウトクロップ 過去の活動リンクはこちら>

2020年に会社を立ち上げて1年後に大学の近くでオフィスを構えたあと、映像を作るところから伝えることやシェアをするリアルな場所をつくりたくて、築120年の古民家をみんなで改装して、「アウトクロップシネマ」という映画館(ミニシアター)を始めました。

築120年の古民家を改装したアウトクロップシネマ

-ギブの精神、住む土地との接点ができたシェアハウスの経験-

栗原:学生当時、秋田県に来たのにぜんぜん秋田を感じられないなと思っていました。これじゃいかんと思い、大学2年生の時に「えいや!」と地域の古民家を借りてシェアハウスを始めました。
「シェアハウス好間風(すきまかぜ)」という、名前の通りすきま風もめちゃめちゃ吹く古民家で、学生男5人で始めました。家賃が10,000円かつ大家さんが米農家さんでお米も頂けるというのでめちゃめちゃ驚いて。シェアハウスを始めて、ようやくその土地の人や秋田と接点を持つことができました。
そこは“リアルな場所”をひらき自分たちで改装して住んだ最初の場所でした。玄関は開けっ放しにしていて、ドアが全開のところに回覧板が置いてあったり、あるときはお漬物が置いてあったりして。多分京都で同じことがあったら、怖くて食べられないだろうなと思うこともありました。でもそこにギブの精神を感じていました。「シェアハウス好間風」には3~4年ぐらい住んで、その土地のコミュニティに入りながら、秋田を好きになっていきました。
起業の時も、取りあえず1年やってみようということから、大学近くの古民家を87歳ぐらいのおじいちゃんを通じて貸していただきました。家賃が5,000円でお米無しの場所だったんですけど、自分たちの手で床を張り替えたり直しながら始めていきました。

-実際に人が集まれる場がもつ力と、アトレデルタの構想-

栗原:起業から2年経ち、現在のアトレデルタという場所をスタートしています。当初は「改装した築40年のマンションで何かできないか」という話をいただいて、ご縁もあり自分の中でワクワクする気持ちが重なっていた時でした。何からできるか分からないけれど、ぜひやらせてくださいと始まったのがこの施設です。
映像製作をしてミニシアターも運営しているのに、なぜ大きい施設をひらくのかと周りの方からよく聞かれます。オンラインが発達した今の時代だからこそ、リアルに人が集まれる場所に価値があるということをシェアハウスやミニシアター運営の経験からずっと思っていました。

アトレデルタ開業前の様子

もともと自分は、30カ国、40カ国といろんな国への旅をしていて、大学の縁で秋田に来ました。根本には自分が住んでる地域にいろんな人が来てほしいなという気持ちがあります。

シェアハウスをやっていたときも、カウチサーフィンとしてみんな無料で泊まる代わりに、手伝いで一緒に料理を作ったり、それぞれの国の言語を教えあったりするんです。2日間泊まりたいと来た方が、結局秋田が心地よいと1カ月滞在して、今でも定期的に来てくれたりします。リアルに集まれる場所で、“人に関わってもらう余白”があることで、想像しないことがたくさん起きるのを目の当たりにしてきました。これらの体験がリアルな場をひらくことに繋がっています。
現在、映像製作とミニシアターを運営していますが、実はこの二つはあまり関わり代がないんですよね。映画が好きだったら関われるけど、そうではない人も集まれる場はないだろうかと。なので、もう少し開けた場所として、いろんな面白い方々に関わってもらいながら、さらに住んでる地域が面白くなるようなことをやりたいと思い、アトレデルタの構想に至った経緯です。

アトレデルタ開業後の外観

アトレデルタ 1階カフェ「マチノミナト」
アトレデルタ 2階ホステルの一室

アトレデルタは、1階がカフェで、2階が宿泊施設、ホステルとして運営をしています。4階に自社のオフィスと、シェアオフィスとして秋田の会社が3社と県外の会社が2社、現在合計5社が入居しています。
一見バラバラに見えますが、1階は地域の方に使っていただきやすい場所にしています。
2階は県外の方、あるいは国外の方に使っていただき、4階は地域に住んでる方、地域で事業を行う方へひらいています。
いろんな方々が交わることで、面白い化学反応が起きることを妄想しながら、この場所をつくっていきました。

アトレデルタ4階コワーキングスペースの様子

栗原:昨日ドイツから旅行客が来ていました。廊下ですれ違った際に、写真を撮りたそうだったので屋上に案内すると会話が始まって。その日は地域の公園でお祭りがやっていて「行ってみますか?」と話をしたら、「行きたい!」となりまして。
一緒に行ったら、最終的にやぐらの上に立って太鼓を叩くまでしていました。終わった後にその方は「日本に来て1年ぐらい経つけど、一番楽しい日だった。」と言ってくれたんですね。

僕たち、“偶然がもたらす幸運”という訳の“Serendipity”という言葉をよく使っています。
たまたま彼がこのタイミングで秋田に来ていて、たまたま僕が祭りへ行く予定があり、誘って行って、彼は日本語が話せないけど、実行委員の人とすごい仲良くなっていたりすることが起こる。

そんな“Serendipity”が感じられて、体験ができる場所を秋田につくりたいと考えていたので、ちょっとずつ出来始めているなと嬉しく思っています。
これも多分、“リアルな場所が持つ力”なんだろうなと。いろんな機能やいろんな人たちが集まってきて、同時多発的にプロジェクトが生まれては消えて、また生まれる。そんなことが続いていけばいいなと思ってやっています。

秋田の好きなところは、いろんな余白や可能性があることの面白さです。
いま秋田で生活をして、このような場所を運営していますが、われわれはずっと地域の1プレーヤーとして面白いことを仕掛けていきたい。

かつ、管理者の立場として、仕掛けたい人たちが一歩踏み出しやすい場をひらいていきたいと思っています。高校生や大学生が「秋田で何かやる!」となった時に、プレーヤーに出会って相談ができる場所として、今後アトレデルタも5年、10年かけてそうなったらいいなという願いも込めてやっています。
ぜひ皆さんもアトレデルタへ遊びに来てください!1階でコーヒーを購入すると4階のコワーキングスペースが自由に使えるので、いろんな方に利用していただけたら嬉しいです。ありがとうございました。

ディスカッション

栗原さんから西村さんへ
-事業を多くやれている理由-
栗原:チームを結成されて6年目とのことですが、1ヶ月に1回のスピードで物件を直して、それを同時多発的にやられてることが、なかなか想像しづらく印象が強くて。
手掛けられてる事業で多くをやれている理由とか、バックボーンになる部分をお聞きしたいなと思いました。

西村:みんながいてチームで動くから出来ていますね。当初はメンバーも多くなく、初期メンバーの2~3人ぐらいでしたが、ここ2、3年ぐらいで急に増えていきました。
それは、神戸は空き家に対する助成金がしっかり出るので、僕らも人を増やしても回していけるようになったところはあります。

栗原:これだけにコミットするみたいな方も中にはいるんでしょうか。それとも、みなさんグラデーションのある関わり方をされているのでしょうか。

西村:うちだけに専業で入っている人はほとんどいなくて。革職人とか絵描きとか、映像を制作しているとか。本業だけでは食べれないから、うちに週3で入って生活費を最低限確保して、本業をやってる方が多いですね。

栗原:それだけの人数を事業としてもやられているわけじゃないですか。売り上げ1億、借金1億という話がありましたけど、どれぐらい関われる人がいるか分からない状況で、どのように回されてるんだろうなっていうところが気になります。

中村:横から答えてよいですか。全然、回ってないと思います。端から見てすごく大変そうです。よく車で寝てるし、ぎりぎり回ってるって感じだと思います。

栗原:既存の制度であったりだとか、そこに当てはまらない働き方だと思うので、決められた仕組みの中ではなく、有機的に自由な発想でやってるっていうのがすごく印象的で、そこから学べることってたくさんあるんじゃないかと思っています。

中村:そうですね。面白いのが手伝いをやりたくて集まってくる若い人が8割ぐらい。
そこにちょっとの給料が貰えます。みんな、やりがいがあるからやっているし、それがすごく面白い。そこが西村組のいいところじゃないかなと思います。

西村さんから栗原さんへ
仲間集めについて

西村:“シェアハウスを作る”という同じようなところから始まって、そこから映像も始められたんですよね。準備していない状態で世の中に放り出されていくなか、仲間集めはどのようにやっていったのか。ふわふわとした形で人を集めるってすごく難しいじゃないですか。しかもいい人を集めたいですよね。

栗原:仲間を集めているという感覚はあまりなかったです。映像をやりたい人、映画館をやりたい人、今の施設の運営をやりたい人、それぞれ特長や人として興味あることとか、もちろん違くて。
本当にいいタイミングで会って受け入れています。縁ですね。こちらから何も言ってないのに、3~4年ぶりに向こうから連絡来たりして。
あとは毎回小さく始めています。アトレデルタの構想が始まったときに、当時、秋田公立美術大学の学生が、場の運営に興味があるとのことでインターンシップを受け入れて。その流れで計画も進み、本格的に始まりそうだから「じゃあ一緒にやる?」と。大きくリスクを取り過ぎず進みながら考えて、お互いにマッチしたら一緒にやる、そのようなやり方が多いです。

— お二方のなかで活動において大事にされていること

西村:僕自身は運営をせず、誰か“やりたい人がやる”というのを大事にはしています。設計は外注していて施主施工みたいな感じで、自分のところでプロジェクトの責任を持って楽しみながら作る。あとは勝手に生まれています。

栗原:「アウトクロップ」という僕らの社名は、“掘り起こす”という言葉があって、思いが詰まっています。資本主義の指標の中であまり価値として認識されないようなものでも、実はすごく面白いものだったりとか、気付きをくれたりするものがたくさんあるんじゃないかなと信じています。
そういうものを“アウトクロップして発信する”ことが、僕らが会社をつくった理由でもあり、今後のストーリーテリングの部分ですね。

市内にある使われていないところやまだ繋がっていない人たち、まちの中にある大切にしたいこと

西村:素材はめっちゃいっぱいありますね。空き家、空きビルとかね。神戸の市街地はもう、僕らの規模で手が出せる金額じゃないので、この辺りは本当に遊べる素材がいっぱいあるなと思います。人もいるしね、くにお君をはじめとして。

中村:遊んでる人がその町にいるのがすごく大事だと思っています。西村さんのところになんで人が集まってくるのかと考えたら、“なんか楽しそう”とか、“素人でも受け入れてくれそう”みたいな。ちょっとノコギリ使えるから行ってもいいのかなぐらいで受け入れてくれる。何ならお金ももらえるとか、家も貰えて住めるとか、“町で遊んでる人が見えてくる”のがすごい大事だなと。
アウトクロップさんのアトレデルタでも表出してきていて、すごい大事な活動と思ってみています。でも、秋田にもともと無いわけじゃなくて。そういう遊んでいる人たちは絶対いるから、そんな人たちとも繋がりを持てて、“町で遊んでる人が見えてくる”状態がさらに表に出てくるとよいなと思います。

“遊ぶ精神”と“町の余白”について

栗原 :地域の祭りが5年ぶりに開催されたと聞いて、今の公園はバーベキュー禁止とか、ボール蹴ったら駄目などたくさん言われていて、最近は何のための公園だろうと思っていました。そんな中でもやぐらを立てたり、いろんな会社の社長さんが別に宣伝でもなく、いろんなもの焼いたりいろんなことやっていて楽しかったんですよね。
公園の多様な使い方の一つとして祭りがある。そういうのも一種、遊びなのかなって思っています。

栗原:祭りもそうだし、創造館の芝生の使い方とかもそうですし、若者が町でスケートボードやってたりとか。創造館もスケートボードをやってもいい場所にはなってるんですよね。

スタッフ:屋外空間を施設利用で借りていただいて利用できます。(屋外デッキ部分での滑走は禁止)

栗原:すべて駄目と排除しないのが“町の余白”を残したり、“遊び”のキーワードだと思います。その“遊ぶ精神”みたいなものをどう持つのか。恐らく、西村組さんにはそういうマインドを持った人たちが集まってきてるんだろうなと思いますがいかがですか。

西村:スペースのなかに空白をつくることは繋がっているかもしれないですね。バイソンの9棟のうち、一角はギャラリーになっていて、そこで展示をしたい方がしています。

それぞれの活動・場所は地域からどのように見られているのか

西村:バイソンでは、地域の方から「あそこに行くんかいみたいな。見た目そうやわな。」「ああ、そう、勝手にしたらええんちゃう。」と、いい意味でほったらかしにされています。
一度僕らがクレーム受けたときに、自治会長が「いろいろあるけど、温かく見守りましょう」とかわしてもらったりして。よい空気感があってすごくいい環境ではありますね。深く関わってはいないけどゆるい付き合いがあります。

栗原:場所やコミュニティについて、そこにアイコンになる人がいるかどうかで、その場所が面白くなるかが判断されるというか。生きてる場所と死んでる場所、箱だけがある場所の違いを語るときに、議論になる気がします。
そういう意味で、バイソンでは誰か1人が立ってるというよりかは、住民がみんなで面としている印象ですがどうですか。

西村:そうですね。僕は常に村にいるわけじゃないので、その村にいる人たちが管理をしています。クレームが来たらみんなで頑張って返していますね。

栗原:最近はどんなクレームがあったんですか。

西村:騒音問題で「ニワトリ飼ってるやつ、まだおるんか」って。一番静かな1匹だけにしたんですけどそれでも言われましたね。家の中に入れたんですけどね。

合同会社廃屋のスライドより

質疑応答


質問者1:二つ、お二方にお聞きしたいことがあります。お話のなかで感じた、「遊ぶ人の姿が見えるようになる」って、すごく大事だなと思っていました。それは僕たちも前から秋田で、そういう姿が見えるような町にしたいなと思っていて。
人のつながりが大事だと思うんですけど、西村組さんの方では物件も増えて、いろんな人の出入りがあるなか最大でどれくらい人が関わっていたのか。それから、経験して出て行った方で面白いことをやっている人や場所があったら教えていただきたいです。

西村:最大では、LINEグループ見る限り70人ぐらいです。でもいない方もいるので現在は30人ぐらいです。
昔は、“来れたら来よう”、“無理しないでおこう”、“帰りたくなったら帰ろう”みたいな社訓にしていたのですが、すごく人材の管理がしにくくて。今はシフト制にしています。

西村:面白いことをやっている人はいっぱいいますね。人間博覧会みたいになっています。
プロの大工さんは、アーティストのインストール系の大工さんが多いですね。家を直してたというよりも、劇団維新派の一部だったり、舞台美術の制作の方が多いですね。
舞台演劇って刹那的で、そこにあるもので楽しみながら作って、その場所で人を巻き込んで、より楽しい場所をつくる。その影響で、楽しみながら面白い空間をつくったり、数珠つなぎで人が人を呼ぶみたいなことが起きています。

質問者1:先ほどエミルさんが“Serendipity”の話をしたんですけど、偶然性ってすごく大事だと思います。今までの中で、偶然の出会いが必然になって味方になってくれたことについて聞けたらと。

栗原:まだAtle DELTAをオープンして2カ月ですが、昨日ドイツの方が来たこともですし、このあいだは上海で事業をされている面白い方が、たまたま近くを通ったからと訪ねて来てくれました。
話をすると、これから自分たちが秋田でやっていきたいことのその先を行っている方でした。
その日は立ち話でしたが国外の出張があった時、1週間後に上海の彼のもとを訪ねていくなど、偶然にも今後大きな協力者になる方と出会えたような感覚がありましたね。
そのとき思ったのは、自分のスケジュールにたくさん余裕を持って、何かあったときに話せるような体制にするのも大事だなって。

質問者2:西村組への加入方法はありますか。

西村:今は、「大工・イン・レジデンス」として受け入れをしています。手伝ってもらったら泊まれる“カウチサーフィン”みたいなものもやってます。

栗原:関わる方の3分の1が外国人でしたが、そういう方々はどうやって西村組を知るんだろうと気になります。インターネットで探してとか、知り合いづてとかいろいろあると思いますが、これが多いとかありますか?

西村:イベントをやったりしたら、日本人も多いけど、海外の人も来てくれたりしています。
あと僕が昔1人でやっていたときは、周りにいた人がアーティストのインストールをやってる知り合いで、とにかく助っ人が外国人ばかりでした。それがすごく面白いなっていうのが源流にあって、割りと積極的に遊んでる海外の人がいたら、一緒になんかやろうよとスカウトはしていたりします。
就職してないけど日本にいるフリーな海外の方が意外といるんですよ、神戸って。

質問者3:楽しいお話ありがとうございました。五城目から来ました。僕はまだ3軒しか、古い家をもらっていなくて、55軒目指して頑張りたいと思います。今、西村さんが1億借金をしてらっしゃると聞いて、一般参加者からすると借金をするコツをぜひ聞きたいと思って。よろしくお願いします。

西村:銀行から見ると、会社という人格はある程度これぐらいなら貸せますよという枠があって、僕はそれを銀行に聞いた上で、毎回最大上限借りることをしています。それは不動産という担保があるからそういうことができる。ただ銀行としては不動産の担保については評価額はゼロなんですね。
要はぼろぼろだったり、接道していないとか、普通に不動産流通に乗らない物件をこっちで引き取ってるだけなので。運転資金として全部借りて、今こういう状況になっています。

栗原:与信はどんどん上がっていくんですか。

西原:売り上げが上がれば与信は枠が広がっていきます。でも、普通の事業者は売り上げの3カ月分が運転資金で借りるのがあるけど、不動産は売り上げに対して借り入れを伸ばしやすい状況ではあります。だからとにかく実績をつくることが重要かなと。
自分で買って直して、賃貸で回して、何軒かあるっていう状況が生まれていると、銀行としてはそれが安定した収益を生み出すなにがしを持っているということで、お金を貸してくれますで、そこの不動産を回していくっていうのが重要ですね。


今回のトークイベントでは、西村さんによる廃屋グループの立ち上がりのエピソードや村づくり、半人前大工育成講座など、集まってくる人とのつながりやグルーブ感によって生み出される空間や活動のお話を伺いました。栗原さんからは会社の立ち上げから複合拠点アトレデルタを市内にひらくまでの、人との関わりにおける体験や周囲の人との関わる上での場づくりや想いについてお話いただきました。

共通して、活動する町での楽しむ視点・遊ぶ精神を持ち、リアルであえてつながる場や余白を大切にしながら、活動を進めていく考え方などを伺えました。

トークイベント会場は、アーティストとして活動する中村邦生さんに制作をしていただきました。7月11日に開通したお堀の蓮の遊歩道とのつながりを意識した、蓮の葉をイメージとした空間となりました。
今回のイベントを通して、町の余白を使った活動がさらに広がっていく、ひとつの出会いとなれば幸いです。

Profile

西村周治(西村組/合同会社廃屋)

2018年ごろに結成された、有機的な建築集団「西村組」と廃屋を取り扱う不動産会社「合同会社廃屋」を設立。「無理をしない」「素人がつくる」「屋根が落ちてからが本番」を合言葉に日々廃屋と向き合う。最近は再生した空き家群が“村”になるなど、新たな展開を見せる。
https://nishimura-gumi.net/

Profile

アウトクロップ(映像プロダクション/ミニシアター/アトレデルタ運営)

「Tell Stories,Empower Change」を企業理念に、CMやドキュメンタリーをはじめとした映像制作事業やミニシアター運営などを行なっている。また、カフェや宿泊施設、コワーキングやレンタルスタジオなどが一体化した共創拠点『アトレデルタ』も運営している。https://outcropstudios.com/


トークゲスト
|西村周治(合同会社廃屋)、栗原エミル(株式会社アウトクロップ)
協力
|三宅陽子(廃屋グループ/マネージャー)
|池田義文(ギブミーベジタブル代表)
|中村邦生(アーティスト)
会場制作
|中村邦生、早坂葉、甘利勇太
素材提供
|秋田プライウッド株式会社

撮影|伊藤靖史(Creative Peg Works)
編集|勝谷俊樹(NPO法人アーツセンターあきた コーディネーター)

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