秋田市文化創造館

レポート

活きる建築とは
五十嵐太郎×田中元子トーク

旧秋田県立美術館の魅力的な建物を改修し、文化創造館として市民が利用、関わる場として開かれてから早くも3年が経ちました。今後さらにこの場所を市民に開き、活動が生み出されるためにはどのようにしたらよいのでしょうか。
ゲストのお二人から様々なヒントをいただきました。

1)トーク1:五十嵐太郎(建築史家/東北大学大学院教授)
2)トーク2:田中元子(株式会社グランドレベル代表取締役)
3)ディスカッション:五十嵐太郎×田中元子×藤浩志(美術家/秋田市文化創造館館長*イベント開催当時)


トーク1:五十嵐太郎
かたちが残り、意味が変わり、それでも活きる建築

この建物の写真を自分のパソコンで探したら、2006年に私が撮影したものを見つけました。屋根の形など、一度見たら忘れられないインパクトを持った造形で、秋田に何度か来るたびに、残っているな、またこの場所に帰ってきたなと、住民ではない私にもそんな気持ちにさせてくれます。
 3年前に開催された文化創造館のオープニング特別事業『200年をたがやす』は、この館の使い方や方向性を示す、非常にラジカルな展示をしていたので、共同通信で記事を書いて、紹介しました。

200年をたがやす 会場風景

 そのプロジェクトで会場構成、空間設計を担当したのは、秋田育ちの建築家、海法圭さん。彼自身、若い頃に当時美術館だったこの建物によく通っていたようです。その後、彼は海外の美術館が夜遅くまで無料開放されて、その贅沢な空間を学生1人が占拠しているといった風景を目撃しました。美術館でもあり、公園のようでもあり、カフェのようでもあり、家のようでもある。この建物が文化創造館として生まれ変わったときに、そのような場にならないかとこの展示の中に組み込んでいったと聞きました。美術館だったものが、そうではない何かに変わるタイミングで、こういう企画が行われたのは面白かったと覚えています。

 今、たまたま日建設計のリサーチプロジェクトを大学の研究室で行っています。
60年代の建築雑誌に紹介された日建設計のプロジェクト一覧を見ると、この建物は67年に小さく紹介されています。信濃美術館(長野県)もほぼ同じ頃に誕生し、日建設計の建築家、林昌二さんの名前と共に大きく紹介されていますが、現存しません。両方とも屋根の造形が非常に特徴的で、日本的な造形をもっていました。しかし信濃美術館は新しい美術館に建て替わり、向かいの善光寺を眺めるための大きなテラスが施された建物になっています。

建築の意味が変わり、観光資源へ

 建物というのは、長く存在していると、たいてい意味が変わります。例えばコロッセウムの場合、最初はスポーツの観覧施設だったのが、中世ぐらいに、不法占拠の場所になり、ルネサンス期には遠くから山に石切りに行くのが面倒くさいので、ここから石を切り出す材料のリサイクル現場になったり。18世紀になると、これが美しいと、「廃虚の美」が見出されて、観光資源に変わっていく。
最近カンボジアに行ったのですが、アンコールの遺跡群も1000年以上前に造られたが、ずっと放置されていた。それが再発見されて今や観光名所になっています。これを造った王様は1000年後にカンボジアにお金を落とし続けるドル箱になるとは、夢にも思わなかったでしょうが、この遺跡群があることによって、近くに都市が成立し、空港が造られ、恐らく半永久的にずっとお金を落とし続けるという。建築は長く残ったときに、予想もつかないようなすごい価値を生み出すと感じました。

もともと「美術館」という建築はなかった

 「美術館」というビルディング・タイプは最初からあったわけではなく、基本的には正倉院みたいな倉庫的な物だった。あるいは宗教建築に付属して美術品が置かれるといった例もある。美術品そのものを純粋に鑑賞するための「美術館」は、もっと後の時代になるわけです。
公共に開かれた美術館の一つの始まりとして知られているのはフランスのルーブル美術館。もともとは宮殿として造られ、フランス革命後に市民に開放されて美術館になった。すごく立派に造っていたので、他の用途に転用しても十分使える。美術館はそうして始まっています。

 パリで個人的に好きなのは、パレ・ド・トーキョー。1937年のパリ万博の際に造られた展示施設を2000年代に現代美術館として再生させた。予算もあまりなかったので、少しずつ手を加えて完成していけば良いと、ほぼ未完成の状態からスタートしたのがとてもかっこよかった。

 日本でも、リノベーションされた美術館やアートセンターは各地にあります。
 去年は、住宅が美術の展示室になる事例がいくつかありました。解体された「中銀カプセル」のユニットが展示ボックスになったり、DOCOMOMOに選ばれている「松川ボックス」の一部がギャラリーとして使われたり、原広司さん設計の「粟津邸」が展示場所として使われたりしています。
 アーティストが、古い建物を全然違う使い方をする事例もありました。「さいたま国際芸術祭2023」でディレクターを務めたアーティスト「目[mé]」が解体予定の旧市民会館を使って、非常に複雑な動線を張り巡らせ、会場そのものが彼らの作品になるようなしかけをつくったり。

松川ボックスを改修したギャラリー「THE MIRROR」
別の動線が挿入されたさいたまトリエンナーレのメイン会場

あいちトリエンナーレで示した街や建築との関わり

以前、「あいちトリエンナーレ2013」の芸術監督を務めた際に、まちや建築をどう活用するかということに対して意識的になったのでいくつか事例を紹介します。

宮本佳明《福島第一さかえ原発》床に炉心部分の図面が見える。

 愛知芸術文化センターの巨大な吹き抜けに、建築家の宮本佳明さんが1分の1サイズで福島第一原発の図面を転写するプロジェクトを実施したり、 ヤノベケンジさんは結婚式をできる展示空間をつくり、実際に何組か結婚式を展示会場で行いました。あと、美術館の中を走ったり、現代建築でパルクールを行ったりする作品を紹介しました。
 建築家の青木淳さんと画家の杉戸洋さんにユニットを組んでいただき、名古屋市美術館を一時的にリノベーションするプロジェクトでは、動線を通常と変えて、普段入らないルートから周るようにしました。
 まちなかでは、台湾の建築家に地下鉄駅のリノベーションを依頼しました。これは今も地上部分は残ってます。
 あいちトリエンナーレ自体、初回からまちなかに様々なアート作品を既存の建物に埋め込むように試みていて、それは2013年の2回目にも継承しています。その流れの中で、アーティストの作品を見にまちを巡るなら、建築もついでに見てもらいたいと、建築ガイドブックを作りました。既になくなった建物も一緒に紹介しました。

打開連合設計事務所(Open United Studio)《長者町ブループリント》

リノベーション建築は「原っぱ」と相性が良い

 リノベーションの理論的な可能性は前々から考えています。
青木淳さんの『原っぱと遊園地』という有名なエッセイがあります。これは至れり尽くせりのテーマパーク、つまり、ここで何々しなさいと決まった機能や形がある「遊園地」に対して、用途やそこで何をするか決まっていない「原っぱ」のような場のモデルを提唱しました。この原っぱは、すごくリノベーション建築と相性がいいなと思っています。

『建築と断絶』というベルナール・チュミによる現代建築家の本があります。この著者はプログラミング論(建築の場合のプログラムは「使い方」の話)について、かなり過激な提案をしています。彼はパリで起きた68年の5月革命に遭遇している。学生と労働者が路上にバリケードを組んで交通をまひさせた。そのときに、歩道を引っぺがしたり、車をひっくり返して、「道路」という与えられた機能を変えちゃった。
チュミの話では、例えば不可能な思考実験で、教会をボウリング場に変えろという話や、ジェットコースターとプラネタリウムを合体させるだとか無茶苦茶な提案。要するに、形と機能が連続し従う「モダニズム」の考え方に対して、形態と機能を切断するということを彼は提唱してるのです。それはまさに先述の5月革命の体験において、市民が自分たちで場所の意味を変えてしまったということの衝撃から、そういった理論をつくっています。トップダウンで与えられるのではなく、使用者がつくると示されている。
日本には「廃虚になる自由」がない。取りあえず残すという選択肢が本当にないんです。今すぐ使い方を示せ、代案を示さなかったら壊すぞと言われる。時間が経って初めてその価値が認識されたり、後からもっといい使い方が出てきたりすることあるんです。ですので、この廃虚になる自由が、もう少し日本の中にあると、豊かな建築の使われ方がもっと増えるのではないかと思っています。

建築写真提供:五十嵐太郎


トーク2:田中元子
描きたくなる日常風景とは

私は、「1階づくりはまちづくり」と掲げて、建物の1階だけをいじる会社を2016年に立ち上げました。1階といっても建物の1階のみならず、公園や空き地など、我々が生活している中で見たくなくても見えてくるもの全てを対象にしています。偶然目にして、ここ何なんですかとうっかり声をかける可能性が、1階には満ち満ちていると思います。

 「良き1階」とは何ですか、とよく聞かれます。例えばゴッホの『夜のカフェテラス』という絵。オープンカフェがあれば良いと言いたいわけじゃないんです。この絵が示していることは、何でもない「日常風景」であるということ。ここで描かれている人たちにとっても、描いたゴッホにとっても、特別な風景ではないことが推察されます。最近、この絵の舞台のアルル(フランス)に行ってきた人に「今もこうですよ」と教えてもらいました。何十年、何百年と似たような風景を見続けているのに、いちいち絵に描こうとするぐらいチャーミングだったことが、私にとってすごく衝撃的です。
 まちづくりの仕事に関わると、新しいことしなきゃ、にぎわい創出しなきゃ、地域課題解決しなきゃ、と皆さん必死なんですけど、必死じゃないものがいかに人生の質を底上げしてくれるかと考えています。

「建築」との出会い

 こんな「1階専門家」を自称する私が、1階専門の仕事をする前の話を少しさせてください。高校卒業してから、男の子の家に転がり込んで、日銭を稼ぐ生活をしていました。その頃、デザインやグラフィックの本を立ち読みするのが好きだったんですけど、ある時、建築の本を手に取っちゃったんです。その時までは建物と建築家、大工さんは全部一緒だと思う程度の知識でした。でも、そこである建築に出会ってから、建築に少しでも触れられるように自分の仕事や生活を変えていったんです。
それは、「同潤会青山アパート」。今は取り壊されて、表参道ヒルズという商業施設が建っています。私、この建物のある風景を見たときに、都会だなと思ったんです。人がたくさんいるとか、高い建物が建っているとか、そんな東京には驚かないのですが、こんな一等地に、昔から建っていて人が生活している。その風景や形も好きですが、一番好きなポイントは、いろんな人が見に来ていたことです。建築の専門家ではなく、私のようなごく一般の人々が、わぁきれい、と言って写真を撮ってるんです。
人に愛される建築っていいなと思い、この建物の一画にあったギャラリーを借りて展覧会を開催したら、建築専門誌の方が取材してくれた。そのついでに、うちでなにか書いてみる?とおっしゃってくださって。それから建築に関する文章を書くお仕事を少しずついただけるようになった次第です。

建築が伝わる「けんちく体操

 私は建築を好きになってから、建築家にならずともこの素晴らしい分野をちょっとでも応援したり、貢献できたらいいなと思っていました。
反面、こうした仕事をしていて、建築の設計時の視点と、竣工後の長い時間まちの人々がその建物と付き合う視点とのズレが気になっていました。設計の視点では、建物の全部が安全で、ちゃんとしてなくてはいけない。だから俯瞰ばかりするんです。大きな建物ができたとき、周辺の人はその後、風景の一つとして、使い勝手や「目の高さ」で建物と関わる。このビルの先端はどうなっているのだろうとか、毎日気にしないわけです。一方で、日々の風景としていつの間にか影響を受ける1階部分について、あるいは理屈だけでない雰囲気、ストリート・カルチャーといった、感覚的なことに関して、どうして建てる側は関心が薄いんだろうと思っていたんです。ここまで来ると、本当に人間がつくったのかな?と思うくらいでした。

 私は自分がわかる距離に、大切な情報や知識が欲しいのです。平仮名で書いたから伝わる、とかそういう話じゃないです。そして、もっと違う伝え方があるということを「けんちく体操」という建築物のまねをする体操のワークショップで知ることになりました。
ワークショップでは、建物の写真を見て、そのまねをしてもらいます。正しいポーズはありません。この建築物をよく見て理解してくださいと言っても誰も見ないのに、「今からこの建物になっちゃうぞ、用意どん」と言った瞬間、子どもたちはすごく観察してくれます。大人だってそうです。

けんちく体操 ワークショップ風景

手作りの公共

 ほかにも、屋台をひいてまちに出す遊びをするようになりました。屋台で何かを売っているわけではなく、通りすがりの不特定多数の人々に、タダでコーヒーを淹れるのです。看板には「フリーコーヒー」と書き、飾り付けをして、屋根のような部分に「しましまの布」をかける。すると呼び込みをしなくても、何を売っているわけでなくとも「何屋さんですか」と聞かれたりします。パタンランゲージってこんなところにもあるんだなって思います。
こんな遊びを通じて、私は初めて公共というものに関心を持つようになりました。公共の本質は、自分がこれまでイメージしていた施設やサービスのことではなく「公共的な関係」にあるのではないか、それはこの屋台での「フリーコーヒー」のように、個人の手作りでこその可能性があるのではないか、という予感がしました。
「公共」は自分や家族、仲間といった特定のコミュニティに留まらず、不特定多数の知らない人に接する可能性のことを言うんじゃないかと思います。
このスライドの壁紙にキャンディーの柄を選びましたが、これは関西のご婦人がハンドバッグに「あめちゃん」を忍ばせている、という話からの引用です。彼女たちは自分のためだけじゃなく、ちょっとまちで触れ合ったどなたかに対して「あめちゃん要るか」と出せる準備がある。私はこの意識が世界最小の公共だと思っています。

 たとえば、みんなで力を合わせてひとつの立派なロマンチック街道をつくりましょうね、みたいなまちづくりよりも、人にはそれぞれ好きなこと、面白がってること、得意なことがあって、それをまちづくりに活かす方向があるのではないか、人の個性がまちに表出する手作りの公共があるのではないか、といった話を拙著『マイパブリックとグランドレベル─今日からはじめるまちづくり』に書いています。

喫茶ランドリー外観

私設公民館「喫茶ランドリー

 2018年に開業した喫茶ランドリーは築55年ぐらいのビルに入っています。この周辺は隅田川下流で、川を利用した物流の歴史から、元々倉庫や工場が多かったエリアですが、今は軒並みマンションに建て替わっています。人口が増え、人口密度が高まった結果、どんなにぎやかなまちになったかというと、逆にひと気がなくなってしまいました。倉庫とか工場があった時よりもです。建て替わったマンションの1階には、倉庫や工場よりもさらに、ひとの姿が見られなくなったということです。そのようなエリアにせめて、ひと気が感じられるような、お茶する場所ぐらいあればと思った。飲食店の経営には興味がなかったけれど、フリーコーヒーの屋台から、手づくりで公共をつくる興味はありました。公園や公民館といった公の字のつくものを、自分でやってみたい。そんなモチベーションで、ここに「私設公民館としての喫茶店」をつくることにしました。マーケティングやターゲティングは一切せず、ただ人々が、あるいは自分自身が自由で多様である、そのことをうっかり許容してしまう。そんな環境が、私にとって自分が作りたい公民館の姿でした。設計やサービス、コミュニケーションといった、さまざまな面を人為的に設計することによって、人のふるまいはどのように変わるかしら。うっかりリラックスしたり、うっかり笑ったりするような設計はどこまで可能かということを、この喫茶店で試したいと思ったんです。
喫茶店だけど洗濯機もあって、様々な人が使ってくれています。そして彼・彼女たちがきっかけがあったらやってみたい、ここでだったらやれそう、と話してくれた小さな企画を、オープンしてから半年で100件以上も実現させていきました。別にイベント会場ではないので、普段は皆さんしっぽりとくつろいでいますが、何かをやってみる場所として気軽に使ってもらえることが、本当にうれしいです。やりたいな、という気持ちを本当に実現する人生と、やらずに終える人生では違っていると思います。近隣の方々が、何らか実現するほうを生きるきっかけを作れたら、それがわたしにとって、自分が欲しかった公民館の姿だと思っています。

「属人的」は褒め言葉

この私設公民館が様々な方に使われていく中で、「それ、田中さんだからできたんでしょ?」って、よく言われるんです。属人性、土着性、どうせ東京の話でしょ。これ悪口っぽく言われるけど、全部「最高」って言われているのと一緒ですよね。オーナー、クライアント、スタッフの属人性が出ること。このまちでしかできない、1回きりと思えるようなものがしっかり発露する設計をしていこうと、グランドレベルの仕事に対しても改めて思いました。
私はグランドレベルに来る設計やプロデュースといった仕事に対して全部、どんな業種の方であろうと、その人その企業が、このまちが私設公民館をつくるとしたら、どんな形をしてるかなと考えながら関わっています。公民館って本当は文科省が管轄で、その目的を社会教育や生涯教育の場と設定されていますが、そもそも教育とは決められた館や学校、家庭の中でいちいちやるものを指すのかな、と思っています。そうではない、生きる時間すべてと言えるかもしれないものですよね。いちいち学ぼうとしていないタイミングでも、1階ではうっかり、いろんなことを見たり知ったりすることがあります。良くも悪くも、それらがいかに人ひとりひとりの人生を作るかと思うと、恐ろしくも可能性に満ちた場でもあり、その重要性と面白さを最大限に生かすことを、どの仕事でも大事にしています。

写真提供:株式会社グランドレベル


トークディスカッション
五十嵐太郎×田中元子×藤 浩志

 貴重なお話をありがとうございました。田中さんのお話を聞きながら普段の創造館の様子を見てほしいと思いました。高校生が勉強しながらこういうイベントを見ていたりとか。

トークの日は、文化創造館のお祭り「フリー・オープン・デイ」を全館で開催

田中 私も普段の姿を見たいです。まず、こんな素晴らしい設計の建物がこのように使われていることが、建築にとっても幸せだし、まちにとって、あるいは皆さんにとっても幸せなことだなと思います。いろんな什器も「ご立派感」を出さないように、すごくヒューマンスケールで作られている。人の自然な感覚にアプローチするように努めてらっしゃることが見て取れました。

ちなみに秋田でスケボーできる所はありますか。

 実は度々館内でも問題になっているんですが、なかなか無いんですよ。

田中 ドイツでスラム街にスケボーパークを造り、犯罪抑止しながらコミュニティーを醸成するNPOがあったりするぐらい、スケボーとコミュニティーの関係は深くなっていたりする。スケボーや、カルチャーと悪いことの中間みたいなことをここで面白く扱ってもらえたらすてきだなと思いました。

 そうですね。難しいとされる課題もどうすれば実現できるのかを一緒に考えていければ良いですね。

五十嵐 久しぶりに文化創造館に来たけど、今日も下のフロアがとてもにぎわっている。日によって全然違う属性や活動があって、おそらくそれが魅力にもなっている。ただ、デッキに「スケートボード禁止」と書いてあることは気になりました。文章を読むと、様々な葛藤がありつつそうなったんだろうと推測できるのですが、禁止を重ねていくと日本のありがちな公共空間になっていく。
 あいちトリエンナーレの際、アーティストと一緒にまちなかで作品展開しようとすると、大抵、無茶な提案が出てくる。でもキュレーターたちは、「駄目」とは絶対言わない。どうやったら可能になるかをすごく考えるんです。一つ一つ駄目な理由を消していけばできるはずだと、そういう態度を持ってることに非常に感銘を受けた。ぜひ、そういうふうになってほしいと思います。
 あと、ここは建設当時、ある意味オーバースペックなぐらいの大空間を造ったことが、今に活きている。包容力のある大空間になっているのはここのすごい魅力なので、様々な活動をここで展開してほしいですね。この近くだと八戸市美術館も「ジャイアントルーム」という定義できない大空間があり、すごく可能性を感じますね。

田中 ここの本名を知らなくても、好きになって通っちゃったりする人が出てきて、何かが起きるということはあり得ると思っていて。だから、美術館とか何とか創造館とか、その館の名前に負けない愛され方ができたらいいですね。

 開館前に、ここの愛称をどうしようかという話になったときに、「決めないでおこう」と僕は決めたんです。一般的には、ブランディングだったり、ロゴを作ったりする。だけど、それを極力やめて、固定化しない状態を目指そうとした。館内サインも既存のフォントを使ってたり。
 名称については、「文化」も「創造」も重い。新しい活動をつくっていくには、重しを外していくことが大事なはずなのに、文化しかできないの?みたいな感じになると嫌じゃないですか。

田中 そもそも文化を人為的に創造しようってこと自体が矛盾。

 そう、文化に「なっていくもの」だから、創造してできるものじゃない。だから、先ほど五十嵐さんが言ったように、決まったことをあまり提示しない「原っぱ」であってほしいんですよね。屋根付き原っぱ。

田中 でも真っ白な画用紙を突然渡されて、「自由に絵を描いてください」と言われたときに、喜んで筆が進む人はほとんどいなかったりする。ちょっと補助­線が引いてあったりするのがポイントかなと。引き過ぎると遊園地化するけど。
 最近「コミュニティ」のために、いちいち人と仲良くして見せなきゃいけないのかと思ってます。何らかの出来事が起きているからコミュニティがあるのではなく、もっと何でもない状態で存在が許されている感じの方が、個人的には大事なことだと思っています。
許容される側になるためには、許容してくれる側が必要で、だからこの場所にその誰かがいることで、自ずと「ひと気」というか、距離感が変わるかなと思ったんです。公共空間的なところにこそ属人性が必要だと。名もなき警備員さん、名もなき清掃員さん、名もなき誰かが片付けてくれるっていう時点で、だいぶ心の距離が遠くなってしまう。例えばいつも藤さんに会ったり、顔が見えてくると、ここで何々禁止っていちいち書いてなくても、あの人の場所だから一緒に大事にしようっていう秩序が出てくると考えていて。なので、人の見える管理の在り方はすごく大事かなと思ってます。

 さっきの田中さんの話で、建築について「本当に人がつくったのか」という疑問を呈してたけど、僕の中に明らかな答えがある。「組織がつくってますよ」と。そういう意味では、ここも組織が運営してしまってる。NPO法人が運営してるけど、いかにそうじゃないように見せることが大事かもしれないですね。

五十嵐 その話は建築が残る、残らないの話にも関わってきます。要するに、自分もこの建物の何か一部関わっているとか、自分ごとだと思う人が多ければ多いほど、その建物は残るんです。例えば最近、移転問題があった宮城県美術館。保存運動の際は、一般的に建築学会や建築家の専門団体が声を上げる。でもこの場合、多くの仙台市民や宮城県民からも、あの建物を残そうという声が上がった。おそらく、あの美術館で過ごした体験を大事に思ってる人がいっぱいいて、この建物に関わってるとか、何かつながりを持ってる人が多ければ多いほど、結果的に建物も残ると思いました。

質疑応答

質問者A 五十嵐さんが共同通信で書いた創造館についての記事を読んだのですが、ヨーロッパのような使い方の建物が日本の地方都市にできたことが嬉しく、評価したいと書かれていました。ぜひそのときの思いを直接お聞きしたいです。

五十嵐 個人的に、もう10年以上ぐらい前からかな、東京の建築や都市開発がつまらなくなるのに対して、日本の各地方で面白い建築や試みが目立つようになってきた。ここもその一つだなと思ったんです。東京は本当に巨大で、優秀な建築家があれほどいるのに、彼らの代表作が東京にほとんどない。そもそも建物を半世紀ぐらいで壊すこと自体、僕は早過ぎると思ってるので、ここは本当、よくぞ残したなと。そのことを讃えたいです。『200年をたがやす』は、そんなにお金をかけなくても面白い展示ができるって内容でもあったと思うんですよ。超有名なスターや世界的に有名なアーティストを呼んでくるのではなく、秋田にはこういう文化資源がある、そのまなざしや方向性が、この建物を残したことと一致している。それに大変、感銘を受けました。

質問者B 僕は秋田出身なんですが、今は色々な人とプロジェクトを動かしています。継続していると徐々に若干ネガティブになっていって、秋田が面白くないとか、仕事やお金の悩みの話になっていく。みんなが漠然とした希望を持って文化をつくっていく上で、田中元子さんが大事にしてることがあれば、お聞きしたいです。

田中 そういうお話を伺うと、私はその「環境」を疑っちゃうんです。どんな音楽がかかってたのかなとか、明かりはどんなふうになってたのかなとか。
あと、「ちゃんと」話し合おうとするからじゃないかなとも思う。例えば、アンケートも取り方次第じゃないですか。「創造館にラブレターを書いて」と書くか、「ご意見があれば忌憚なくお聞かせください」だったら、本当はいくらでもポジティブなことを書ける人でも、重箱の隅を突っついて文句書きだしたりするじゃない。ですから、誘い方とかデートと同じ、恋人と同じなの。みんながうっかりやれるかもと思ったりしちゃう、そんな企みをここで実現して、上手にそそのかしていただけたらうれしいなと思いました。

Profile

五十嵐 太郎(建築史家/東北大学大学院教授)

1967年生まれ。建築史・建築批評家。現在、東北大学大学院教授。1992年、東京大学大学院修士課程修了。博士(工学)。あいちトリエンナーレ2013芸術監督、第11回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展日本館コミッショナーを務める。「窓展:窓をめぐるアートと建築の旅」「装飾をひもとく〜日本橋の建築・再発見〜」「アニメ背景美術に描かれた都市」などの展覧会を監修。第64回芸術選奨文部科学大臣新人賞、2018年日本建築学会教育賞(教育貢献)を受賞。『誰のための排除アート?』(岩波書店)『新宗教と巨大建築』(青土社)、『増補版 戦争と建築』(晶文社)ほか著書多数。

Profile

田中 元子株式会社グランドレベル代表取締役)

ライター・建築コミュニケーターとして、建築関係のメディアづくりに従事。2016年「1階づくりはまちづくり」をモットーに、豊かな1階づくりに特化した株式会社グランドレベルを設立。空間・施設・まちづくりのコンサルティングやプロデュースなどを全国で手がける。2018年私設公民館として「喫茶ランドリー」開業。2019年より街中にベンチを増やすための活動「TOKYO BENCH PROJECT」を始動。主な著書に「マイパブリックとグランドレベル」(晶文社)ほか。

写真(トーク、フリー・オープン・デイ開催風景)|コンドウダイスケ(アキテッジ)
編集|芦立さやか(秋田市文化創造館)

イベント開催日時:2024年2月24日(土)14:00 – 15:30
開催場所:秋田市文化創造館2階スタジオA1