秋田市文化創造館

レポート

秋田市文化創造館
DOCOMOMO Japan 選定記念プレート贈呈式

1966年竣工の旧秋田県立美術館を改修し、2021年に開館した秋田市文化創造館。
2023年6月に、建築の保存継承を図る国際機関DOCOMOMO(ドコモモ)の日本支部より、「日本におけるモダン・ムーブメントの建築280選」に秋田県で初めて選出されました。
それを受けて、文化創造館のおまつり「フリー・オープン・デイ」に合わせて、記念プレートの贈呈式を行いました。

DOCOMOMOはモダン・ムーブメントにかかわる建物と環境形成の記録調査および保存のための国際組織。日本の近代建築の再評価のための活動を行うとともに、取り壊しが予定される近代建築について保存要望書を提出する等の保存活動に取り組んでいます。2000年に日本支部が発足し、認定数は毎年10件程度ずつ重ね、現在は280件にも及びます。


未来の重要文化財をつくる
DOCOMOMO Japanの活動概要

大宮寺勝弘さん/ DOCOMOMO Japan 事務局長 (開催当時)

大宮寺 前川國男や坂倉準三、菊竹清訓など、巨匠による建築を選定してきましたが、最近では、資料等の少ない建築家の作品や、地方の名建築等も推薦・選定していく動きになっています。
「文化財」というと、例えば古民家や合掌造りの建物等をイメージされると思います。あるいは明治期の赤れんが建築。しかし、近代の鉄やガラス、コンクリートでつくられたモダニズム建築は文化財としてなかなか認識されなかったのですが、それを評価していこうという動きがあります。
実は日本のモダニズム建築は国際的に評価が高い。DOCOMOMOの活動はヨーロッパから始まり、ドイツのバウハウスや、フランスのル・コルビジェによる建物などから選定されてきたのですが、そもそもヨーロッパは石造りの建築がほとんどなので、モダニズムは浸透しにくい。ところが、日本は戦後の焼け野原から、モダニズムが広がった経緯があります。たくさんの建築家が試行を重ね、多様な回答を示しているのです。
築後50年経つと、「老朽化」を理由に壊される例が増えていますが、そこを何とかこらえて残すと、この建物(現在の文化創造館)も含め、将来、重要文化財となることは普通に考えられると思います。この建物の場合、市民の中から残そうという声が出てきたという素晴らしい事例。これを残された県や市役所の方、そして市民の方々にお礼申し上げたいです。どうもありがとうございます。


秋田市文化創造館(旧県立美術館)の選定理由について

香川 浩さん(DOCOMOMO Japan 会員)より説明いただきました

香川 DOCOMOMOが定める選定理由の2番目「使い続けられて、継承され、価値が高められていること」。ここが、この旧秋田県立美術館、現在の秋田市文化創造館の評価に当たると考えております。
 また、「社会性」も大事な点です。秋田市の政策「芸術文化ゾーン」では、隣にミルハスができたほか、図書館や史料館がある。それぞれの施設が適度な距離を保ちながら、秋田駅からほど近い一帯が城跡公園として機能している。長い時間をかけて形作られた優れた都市デザインとして評価できます。

引用:香川さんのスライドより

竣工時に発表された概要では、日建設計の合田久雄さん(日建設計工務東京事務所合田計画部)という方が担当されたそうです。情報が不足していますので何かご存知の方がいれば、ぜひお寄せいただきたいです。

戦前の計画イメージ。敷地は日吉八幡神社境内の予定だった/CG制作提供:秋田県立大学建築環境システム学科・准教授 込山敦司

計画自体は戦前から始まっていて、当初は屋根にガラスを使い、自然光を取り入れる大胆な設計でした。そして戦後に、再度計画されたのが現在のこの建物。以前の自然光を取り入れる計画が継承されています。 無柱の大空間に絵画『秋田の人々』を設置することが素晴らしい。

屋根の曲線や外壁タイルの四半目地(斜め貼り)の表現など、様々な仕上げに日本的かつ秋田的な要素が取り入れられ、モダニティと地域性が融合し、秋田でなければ実現し得ない建築になっています。

改修前の2階の様子/撮影:草彅裕
改修前の様子。現在の2階にも残っている「わっぱ吊り天井」は設計仕様書に記載されていた/撮影:草彅裕
引用:香川さんのスライドより

日建設計に保存されている実現しなかった図面を見ると、現在のものと屋根の形状が大きな違います。神社建築のかやぶき屋根の形に近く、日本的なものを積極的に取り入れようといくつかの案が検討されて、今の形になったのかと想像します。
この2階の空間のように、重心を上に持ち上げるような設計は「モダニズム」といわれ、建築家のル・コルビジェの登場以降、非常によく取り入れられます。同年代に同様の設計が各地でみられ、この建物もそんな時代性を示すものといえます。

実は、随分前にDOCOMOMOの選定会議の中で、この建物が話題に上がったことがありました。でもその時は新しい美術館ができて壊される話もあったため、違うねという話で終わってました。しかし、秋田の皆さんが努力されて、県から市に移管して運営すると。その上で非常に難しいことがあったと思うのですが、実行し、今日、様々な方が生き生きと使っている。その事実に我々も教えられることが多いです。

贈呈いただいた認定プレート(現在は1F総合案内で展示しています)

穂積 志 秋田市長コメント

穂積 この建物がDOCOMOMO Japan様から、県内で初めて選定されたということ。大変、光栄でうれしく思っております。この建物ができて以降、大壁画『秋田の行事』をはじめとし、画家の藤田嗣治の作品が数多く展示され、半世紀以上にもわたって中心市街地のシンボルとして、市民に親しまれてきました。以前は、新しい県立美術館が建ったらこの建物は解体するという方針がありましたが、市民からこの建物を残してほしいという要望を受けました。

私としても、この建物自体には平野政吉と藤田嗣治の男の友情物語がぎゅっと凝縮して詰まっていると思います。もし、この建物がなくなったらその物語も消えてしまうのではないか、後世に継いでいくことができないのではないか、そんな思いもありました。また、安藤忠雄さんが設計する新美術館のカフェ部分からこの旧美術館を見ると、新たな価値観と新たな物語が、この秋田で生まれるのではないかという期待が湧き起こります。

 今は文化創造館として、アーツセンターあきたに運営をお願いして、こうして大勢の皆さんに使っていただけることは本当にありがたく、命をまた吹き込んでくれたなと思っています。今後は、お堀の遊歩道もでき、千秋美術館や佐竹史料館もリニューアルオープンしますので、このエリア全体が秋田市の芸術文化の中心地として、情報を発信する基地として末永く発展していけるよう努力してまいります。

 最後に、なぜ建物を残そうかという発想が生まれたのか少しお話させてください。私が住む秋田市新屋には、かつて国立の米蔵が4棟ありました。それが今は秋田公立美術大学の工房棟として残っています。古い物を残し、そこには歴史があって、文化があって、それを有効活用していくこと。当時、市議会議員だった私は、最初は保存を諦めたのです。しかし、たった4人の市民が残そうと努力して、当時の市長を動かし、残すことができた。その成功体験や思いが、この建物を残すことにつながっています。

藤 浩志コメント

秋田市文化創造館 指定管理者 NPO法人アーツセンターあきた理事長

 このたびは、このような賞をいただきまして、本当にありがとうございます。この建物の空間にすごく刺激を受け、育てられ、活動が誘発されていると感じております。ここで何ができるだろうかと、そういう妄想や想像が働く空間というのがあると思うのです。 僕らができることは運営管理。こういう空間の中、私が一番重要だと思うのは、ハードとソフトという関係の中間を担う「オペレーティングシステム(OS)」だと思っています。OSとは、つまり、運営計画です。それをどう作っていくのか。未来に向けて、これからどういう活動が起こるか分からないものに対して、どれだけ開いていくのか。その接続をどうつくっていくのかを頑張り、次の世代に託していきたいと思っております。



編集|芦立さやか(秋田市文化創造館)
撮影|コンドウダイスケ(アキテッジ)