秋田市文化創造館

PARK – いきるとつくるのにわ

トークイベント「大地をたがやす芸術実践」レビュー

日時|2022年11月23日(水・祝)13:00〜17:00

秋田に暮らす人々やクリエイター、専門家が交わり多様な活動を展開するプロジェクト「PARK – いきるとつくるのにわ」。「観察する」「出会う」「育む」「残す」の4つのプログラムを通して、秋田の文化的土壌をたがやしていくことを試みます。

「出会う(新しい知識や技術と出会うトーク&ワークショップ)」の第5回として、トークイベント「大地をたがやす芸術実践」を開催。青森県立美術館 学芸員・奥脇嵩大さん、プロジェクトチーム・野ざらしの青木彬さん、佐藤研吾さん、中島晴矢さん、インディペンデント・キュレーターの服部浩之さんにご登壇いただきました。


生活と表現が交わる場に、生きる術を獲得するための芸術実践を見出す

服部 浩之

本トークのタイトルに冠された「大地をたがやす芸術実践」という主題について、トーク後もしばらく考えていた。大地をたがやすとは、土を掘り起こし混ぜ合わせていくことだ。すると硬い大地が柔らかくなる。そして植物が芽吹き、動物たちが活動を活性化させていく。糞尿などは肥料となり、大地を肥沃なものにする。動植物はその生を終えると腐食し分解され、大地に還っていき、その大地をより豊かなものにしていく。大地をたがやすとは、そのような生の循環や連鎖を産み、よりよく生きる環境をつくっていくことといえよう。
芸術の実践も同じようなプロセスで醸成され、循環のなかで変化してきたはずだ。過去から同時代までの偉大な実践が堆肥して形成される大地をたがやしていくことで、次の活動が紡がれていく。そういう歴史の連鎖のなかに私たちのささやかな芸術実践もあり、私たちの活動も未来の世代に掘り起こされ耕されていくに違いない。
一方で、「芸術、あるいはアートとは何か」とは、常に問われる問いであり、その答えはそれぞれの実践者により異なるだろう。私は、アートとは「生きる術を探求し切り拓く技術」であると考えている。大地をたがやす芸術実践とは、まさに生きる術を見いだすというアートの一側面を言い得ているのだ。
本トークには、青森県立美術館の奥脇嵩大さん、そして野ざらしのというゆるやかなチームを組む建築家の佐藤研吾さん、アーティストの中島晴矢さん、キュレーターの青木彬さんがゲストに招かれ、私はモデレーターとして参加した。

奥脇さんはこれまで青森県立美術館を主な舞台に、「青森EARTH2016 根と路」や「青森EARTH2019 命耕す場所-農業がひらくアートの未来」など、地域の歴史や現実に深くコミットしつつも、先鋭的な現代アートを交え、地域でこれからを生きる術を模索してきた。美術館で米をつくり育てるなど、およそ美術館らしからぬアートプロジェクトに取り組んだり、あるいは青森県内のさまざまな地域にアーティストとともに出かけ、そこで出会ったものや史料、人や作品などを交えてさまざまな場所で展覧会をつくる活動を進めるなど、脱美術館/反美術館/超美術館と言えるような活動を展開している。奥脇さんは自身は、これを「美術館をたがやす」活動と述べていたと思う。
野ざらしの佐藤研吾さんは、福島県の大玉村を拠点にいわゆる建築設計にとどまらず、オブジェや什器、家具など建築を構成する所要素を自らの手でつくったり、ことばを紡いだりと、その活動は幅広い。佐藤さんは、インドのシャンティニケタンで「日本の家」をつくりたいという施主に出会い、岡倉天心、タゴール、それに宮沢賢治の活動を参照し、それら先人の活動を複合・融合するようなプロジェクトを実践する。「土着」について根本的に捉え直すこのような活動は、まさに生きるための建築の実践といえよう。
また、中島晴矢さんは東京の都市空間に自身の身体をなんらかのかたちで介入されるパフォーマティブな活動を展開し、彼自身が暮らす場所をその身体で知覚する実践を重ねる。近年は彼が経験してきた東京のまちと暮らしに関するエッセイを書き油絵を描く《オイル・オン・タウンスケープ》を展開する。中島さんのどこか退廃的でパンクな精神を感じさせつつも素直なことばで語られる東京には、若いアーティストの都市に対するまなざしだけでなく、創作や生活のリアルな現場としての像が描出されている。
青木彬さんは対話や学びを重視し、アートプロジェクトや展覧会をキュレーションし、昨今は横須賀の山中でアーティストたちと小さなコミュニティを築きつつ暮らしながら、大正期に起こったセツルメント運動についてのリサーチなどを重ねる。社会福祉への興味関心は彼自身が片足を切断したこととも無関係ではなく、青木さんのキュレーションは常に今を生きることと深くつながる進行形の活動である。トークの前日には、野ざらしのメンバーで仙北市の生保内セツルメント跡地を見学してきたそうだ。
こうやって登壇者の実践をたどっていくと、みなそれぞれの表現活動と彼ら自身が暮らす場所や日々の生活を分けることなく、むしろ生活実感のようなものを手掛かりにアートや表現へと融合させているように思われる。まさに、生きる術としてのアートの実践者たちだ。青木さんは彼のウェブサイトにおいてアートを「よりよく生きるための術」と表明しており、今回のトークの主題と強く共鳴する思考を持っている。

かくいう私も異なる専門性をもつ人々と協働するプロジェクトを展開したり、結論や最終形態を定めないまま関係をいかにつくりプロセスをどう構築するかを模索するアートプロジェクトを行うなど、どこでどう生きるかを探求する活動を展開してきた。
今回登壇した人々の共通点としてもうひとつ挙げられるのは、全員がそれぞれのプロジェクトを通して意見や価値観、生活環境が異なる人々と交わる場をつくろうと模索していることだろう。
奥脇さんは、地域の公民館やショッピングセンターなど、現代アートを求める人はあまり来ないであろうと思われる場所に、その場所と親和するものだけでなく、そこに異和を産むアート作品や活動も投げ込む。そしてその地域の人たちと積極的に対話をし、記録も残していく。さらにその活動を美術館にも持ち帰り、美術館をよりやわらかくたがやして行こうと試みる。
野ざらしの3人は、もともと喫茶のざらしとして活動拠点をもっていたが、紆余曲折を経てその場所を離れた。現在は特定の拠点を持つことなく、全員がバラバラの地域に暮らすなかで、ゆるやかにつながりながらも解散することなく続いている不思議な関係だ。喫茶のざらしはアジール(避難所)のような場所として、様々な人が集っていたに違いない。そもそも喫茶店とは老若男女誰もが気軽に利用できる多様な人が交わる場である。彼らは今回の秋田滞在中に偶然知った田植え後の路上の宴会「さなぶり」を、翌日にはさっそく野ざらしの活動に重ね、トーク後にはコーヒーを淹れ、即席だけれど自由な雰囲気の場をつくってくれた。たった一日前に出会ったものに素直に共鳴し、翌日それを実践する。その気軽さは、まさに生活の延長にある生きるための表現といえよう。さなぶりの時間では、最初はぎこちないコミュニケーションが徐々にほぐれていく感じがよかった。

繰り返しになるがこのトークの登壇者たちは私も含め、根っこの部分の興味関心や価値観がある程度重なる人たちだ。私も彼らの活動には共感することが多く、たくさんのインスピレーションが得られた。それはとても素敵なことだし、このトーク自体が学びの多いよい時間だった。
ただ、もしも本トークの出演者たちと圧倒的に異なるものとしてアートを捉えている人が一緒に登壇していたら、どんな場になっていただろうか。例えば、アートの純粋性やアートのためのアートを至上とする人にとっては、ここで語られているような明確なフォルムがなかったり到達点が曖昧な活動は、アートを道具や代替可能なものとして利用しているとか、あるいは本質的でなく柔で妥協的で場当たりなものと捉えられるかもしれない。そのような意見の異なる人、立場や思考が異なる人と議論を交わす場こそ実は希求されているはずなのだが、昨今はSNSなどの影響もあって、そう簡単にはそのような場は実現できないのも事実だ。そして、ある程度共通認識をもつ人々と建設的で響きあう議論ができることに安堵を覚える私自身がいることも否定できないのだ。
どうやったら大いに異なる価値観をもつ人々と同じテーブルにつき、対話を交わすことができるだろうか。気付きや共感が多い非常によい場だったたけに、異なるベクトルを志向する人がいたらどんな場が生まれたのかが逆に気になってしまうし、公共機関はそういう機会を積極的に創出しなければならないと、自戒の念も込めて実感する機会であった。

最後に秋田市文化創造館について言及したい。私は2021年3月の文化創造館開館から約半年間は「200年をたがやす」実施のために日々この場所に通い、施設の在り方をスタッフや参加者・利用者の方々と模索してきた。「200年をたがやす」閉幕から一年を経た本トークでは、文化創造館を以前とは異なる少し客観的な立場から眺めることができた。開館から間もない頃は緊張感があって、どんなふうにこの場所を使うことができるか挑む感覚も強かったのだが、現在はなんだかこなれてきたというか、いい感じに力が抜けてきて、人々の日々の生活とより近い多様な表現活動の受け皿になりつつあるように見えた。ありそうでなかった未知の場が育ちつつあり、希望を感じたのだ。
生活と表現が交わる場はいろんな人やものが交わる場であるはずだ。大地をたがやす芸術実践、つまり生きる術を獲得するための芸術実践は、自らの活動基盤をなるべくやわらかくたがやすことで醸成される交わりの場にこそ見出されるに違いない。


▶︎開催レポート 前編[服部浩之さんによる事例紹介、奥脇嵩大による事例紹介]
▶︎開催レポート 後編[野ざらしによる事例紹介、トークセッション、交流会「SANABURI」]
▶︎服部浩之氏 レビュー「生活と表現が交わる場に、生きる術を獲得するための芸術実践を見出す」

Profile

服部浩之(インディペンデント・キュレーター)

秋田公立美術大学大学院非常勤講師。東京藝術大学大学院准教授。1978年愛知県生まれ。建築を学んだのちに、アートセンターなど様々な現場でアーティストの創作の場をつくり、ひらく活動に携わる。アジアの同時代の表現活動を研究し、多様な表現者との協働を軸にしたプロジェクトを展開。主な企画に、第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館展示「Cosmo-Eggs|宇宙の卵」。「200年をたがやす」全体監修。

撮影| 白田佐輔

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