秋田市文化創造館

レポート

「未来の生活を考えるスクール」第10回開催レポート
「わたしの」介護を見つめてみる

日時:2023年2月25日(土)10:30〜12:00/13:30〜17:00
ゲスト:一条道さん、吉田朝麻さん
主催:秋田市文化創造館

家族や近しい人たちで抱えることも多く、外には話しづらい雰囲気もある介護のこと。自分で自分を/誰かを介護すること、誰かに介護されることは、時期を問わず誰にでも起こりえます。

自主制作の雑誌『かいごマガジン そこここ』を発行している一条道さん、全国各地でZINEワークショップを行っている吉田朝麻さんをゲストに迎え、トークとZINE作りワークショップを行いました。一条さん・吉田さんの介護と日々のこと、お二人の制作・表現活動のことをお聞きしながら、参加者の皆さん「それぞれの」介護、ケアについて考えを巡らせました。


●一条道さんトーク

一条道と申します。介護をテーマに、ZINEを編集・発行しています。今日は、家族の介護のこと、雑誌のこと、そして自分が自分にする介護のことという3つについてお話をしたいと思います。

家族の介護を見つめる

まず、家族の介護を見つめてみようと思います。私の家族は、父・母・姉・私の4人で生活をしていました。私の母は、心の病を持ちながら私と姉を出産して子育てをしてきた人です。体の不調もあったので横になっていることが多く、父が家事をサポートしていました。私は小さい頃から、横になっている母に寄り添っていて、母の悲しみや怒りを取り除いてあげたいと考えていました。私が35歳の時に、父が余命2ヶ月の宣告を受け、在宅看護をしました。父の意識がはっきりしているうちに自宅に戻りたかったのですが、在宅看護をするためには、点滴や痰の吸引の仕方を身に付けないといけないんですね。それを病院で一生懸命習って、ぎりぎり父の意識のあるうちに自宅に帰って来れました。その2ヶ月は、家族にとって濃密な黄金の時間だったと思っていて、すごく良い思い出として私の中に残っているんです。最期は家族3人で見守って、父を見送ることができました。この話をすると「頑張ったね」と言ってもらうことも多いんですけど、父の病気が分かった時は、彼氏と別れてそれを引きずっていて。そんなことが父の病気よりも大切な時期もあったんです。死というのはすごく大きなものだと感じていたけれど、自分の日常がそれを上回ってくることに、人間っておもしろいものだなと感じたりもしました。

そして父から私へと、母の介護というバトンが渡されました。母には持病がありますし、目が不自由なので、普段の生活に手助けが必要です。引っ越しをしたり、在宅でできる仕事に転職したりして、私自身の環境も大きく変わりました。引っ越しをしてトイレの場所が分かりづらくなったこともあり、トイレの失敗が頻発していて、その時は一番しんどかったなと感じます。自分も介護を始めたばかりだったので、膝をついて床を拭きながら泣いていたのを覚えています。そういう大変な時期から浮上したい気持ちもあって、気を紛らわせるように音楽を流したり、母と距離を取るようにしたり、自分なりに努力をしてきたと思います。デイサービスや訪問看護を利用することによって、生活も私の気持ちも安定してきました。

1ヶ月にかかる介護保険サービス費用を書き出してみました。参考程度にという感じなんですけれども、母はデイサービスには週に3日行っていて、お昼ごはんが出てお風呂にも入れます。ショートステイはいつも使っているわけではないですが、このような遠方での仕事がある時に利用しています。

スクラップから始まった雑誌づくり

自分で何かしたいとは漠然とずっと考えていたのですが、母の介護に少し余裕が出てきてた頃、ソファでごろんとしながら「介護をテーマにしたZINEなら作れるかも」と急に思い立ったんですね。『アルネのつくり方』という本をもとに自分もやってみようじゃないかと、画用紙を束ねて紐で縛って、スクラップブックを作りました。特集は「それぞれの介護」というタイトルでやろう、「介護あるある」は少しおもしろくして、料理のページも入れて…と、中は雑誌から切り抜いたものを貼っています。

自転車の専門誌の編集をしていた時に「コンテンツを作る力がない」と編集長に言われていて…その部分に自信がなかったんですけど、介護をテーマにしたらいろいろとやりたいことが出てきたので、これならやれるかなと思いました。私は小さい時から、大変なことであればあるほど周りの人に相談しない、話さないで生きてきたので、母の介護のことも周囲には一切話していなかったと思います。周りは結婚したり出産したり、自分の生活とのギャップがあって、とても話す気持ちになれなかったということもありました。ただ、ZINEを作ったことで、なぜ介護をテーマにしたのか聞かれることも多く、自分の生活についても話すきっかけになりました。

実際の制作過程では、介護をしている人を取材したい気持ちがあったのですが、それはなかなかハードルが高かったです。それぞれに話したくないこともありますし、写真を撮られたくないというお気持ちもある。自分が取材を申し込まれたら、正直なところ断ってしまうかもしれないし、だから自分が断られるのも当然のことだと思っていました。

1号の特集で取材した2人は、私の中学からの友人のご両親です。お父さまが病気で半身不随になってしまい、お母さまが介護をしています。取材に応じてくれるまでにも時間がかかったのですが、友人は「両親が社会から孤立していくのが心配だ」と言っていて。「取材をお願いすることで困ったり、どうしようか考えること自体も、人と接点を持つことだから」とご両親に勧めてくれて、誌面に登場していただくことが叶いました。

友人の繋がりで、ALL RIGHT GRAPHICSという会社にデザインを頼みました。打合せの時には手作りの昼食を用意してくれて、一緒に食べたあとに雑誌について話したり。そんなふうに暮らしと地続きだと感じられる場所でもの作りができたのは、この雑誌に合っていたなと思います。写真撮影はいわいあやさんにお願いしました。私があらゆる雑誌のクレジットをチェックして、この人がいい!と思ってアタックしたところ、快諾いただきました。

こちらはオープン校正の様子です。本来校正はプロの人に頼んで、間違いがないか読んでもらうのですが、2号の校正の時には編集者の知り合いや、イラストレーターさんなど雑誌に関わった方などに集まってもらいました。文章の間違いを見つけてもらう以外にもタイトルを相談したり、「これはここまで書かなくていいんじゃないか」など意見をもらえたのですごくありがたかったです。

今は、全国の個人書店や喫茶店、バーなどで取り扱ってもらっています。みなさんが売り場の写真を送ってきてくれたり、こんな人が買ってくれたよと教えてくれるんですよね。高校の家庭科の授業で使ってくれた先生もいて、生徒さんの感想を送っていただきました。他にも、個人で会をしてくれたり、雑誌をきっかけに自分が想像しなかったことが起こっていて、人と人が繋がっていく実感があります。

私が雑誌を作るエネルギーの根底には、怒りがあるんです。例えばライフスタイル誌のインテリア特集を見ると綺麗なものしか載っていなくて、死や老いが感じられない世界観に一時期は嫌気がさしていました。このページは、デザイナーズチェアと不自由なからだを助けてくれる椅子が一緒に在るから世界は美しいということを表現したいと思って作りました。

自分を介護する

私はあまり人に悩みを話すタイプではないので、これからはカウンセリングを生活に取り入れて、定期的にプロの人に話を聞いてもらえるような体制を作りたいと思っています。今はいろいろと調べながら、実際にカウンセリングを受けてみたりしています。雑誌などを切り貼りしたものから今の自分の状況を知る、コラージュ療法というものがあるのですが、まさに雑誌を作ることは自分にとってのコラージュ療法なのかもしれません。自分を慰めたり、癒すような効果があるんじゃないかなと思っています。

雑誌の感想をくれた人とメールのやりとりをすることもあって、会ってみたい人が増えていきました。先月から、その人たちを招いて雑談をする会を始めてみたんです。日々モヤモヤしていることや実は家族の介護をしていたことなど、みなさんがかなり深いところまで話してくださって、自分でも驚くほど良い会になりました。これからも雑談の会は続けていきたいなと思っています。それも、自分が自分にできる介護になるのかなと思っています。

私の生活の基盤には介護があって、そこに仕事や遊びをパズルのように組み合わせるような生活スタイルになっています。これからも、そこから見える景色を面白がれるように活動していきたいなと思います。

●吉田朝麻さんトーク

吉田朝麻と申します。よろしくお願いします。京都出身で、今は静岡県浜松市に住んでいます。大学でプロダクトデザインを学んだ後に、浜松のスズキ自動車で6年弱、バイクデザインをしていました。自分の活動は、音楽とデザイン、福祉の3つがそれぞれに関係し合っています。

ZING(ジング)の始まり

2010年頃から、大学の同級生や先輩たちが作っているZINEを買ったり貰ったりすることが増えてきたんです。自分で作るというよりは、浜松でもZINEを作る人口が増えていったら面白そうだと思い、2012年からイラストレーターの友野可奈子さんと一緒に「ZING」という活動を始めました。ZINEが現在進行形(-ING)でできていく、という意味が込められています。

去年の11月には、ZINEやシルクスクリーン、缶バッジなどのものづくりができる場所「プスプスbyZING」をオープンしました。

リソグラフが置いてあって、いろいろなインクを入れ替えて使います。ここで作って毎月発行している『プスプス通信』は、自分たちの情報だけ載せるのでは面白くないのでワークショップ化していて、参加してくれた人にもページを担当してもらっています。

この『遠州プスっ子倶楽部』は、音楽をテーマにして作った「ファンジン」です。自分の好きな世界について書いて、同じ志を持つ人たちと共有・交換するようなものを「ファンジン」と呼ぶのですが、次はマンガをテーマにする予定です。

退職したきっかけの一つには、父の死もあります。父は現代美術作家で、関西で結成された「具体美術協会」の後期メンバーでもありました。2010年に他界してから、その「具体」の展覧会がニューヨークで行われることになり、家族が行く必要があったんです。面白そうだしノリで行ってみよう!と思い立ち、渡米することにしました。3ヶ月滞在する間に、ポートランドのIPRC(インディペンデント・パブリッシング・リソース・センター)*にも行くことができました。
*ZINE制作のほか、活版印刷やシルクスクリーンプリントが体験できる。


帰国してからは、故郷の京都には戻らずそのまま浜松に残りました。浜松は自分のやりたいことができるような余白のある場所だと思っていたので、そこで何か面白いことを続けようと、フリーランスとして活動を始めました。

いろいろな場所で作る

ワークショップでは、この「ZINEキット」というものを使っています。今日いろいろと置いているZINEの中にも、ZINEキットで作ったものがありますね。この『父の物欲』は名作なので、ぜひ見てください。

その『父の物欲』が作られたきっかけが、長野県松本市で開催されている「工芸の五月」で行ったワークショップです。2014年から毎年参加させてもらっていて、松本の城下町や湧水をめぐるツアーとZINEなどの印刷物作りが一緒になった企画をやっています。

子どもが作っている間に親はそれを見ている、ということが多いのですが、この『父の物欲』作者のご家族はみんな各々何かを作りに来られます。お父さんは写真を持ってきて、毎年物欲や食欲とテーマに合わせていろいろなZINEを作ってくれるんですけど、僕があまりに気に入ってしまい、ワークショップ化しました。ここではお父さんにファシリテーターになってもらって、参加者の物欲を集める『物欲ZINE』というのを作ったりしましたね。

静岡県掛川市で行われている「かけがわ茶エンナーレ」というアートイベントにも参加しました。そこで行った「日常茶飯ZINE」は、茶箱をポストに見立てていろいろな場所に設置して、投函してもらったものを1冊にまとめるプロジェクトです。vol.0は事前にスタッフが出してくれたものをまとめたもの。これをサンプルにしてポストに置いておいて、一般参加者から実際に集めたものがvol.1です。書いてもらうテーマは、「なんでもランキング」にしました。関係者の方がExcelなどを駆使して駄菓子ベストを書いてくれたり、子供の好きなキャラクターベスト、嫌いなものについてなど様々な方たちがテーマに合わせいろいろな内容を書いてくれました。ぜひ見てください。

山梨県立文学館の展覧会(「文芸雑誌からZINEジンへ」-古今同ZINE誌-)に関連したワークショップも開催しました。太宰治や芥川龍之介が学生時代に同志たちでお金を集めて作った同人誌などと現代のZINEが並列に展示されていて、時代が違っていても共通している事が感じ取れる画期的な展覧会でした。

音楽と福祉

音楽については、「マッスル NTT」名義で活動をしています。今年の初めにはCDを出しました。「プスプス」にCDプレイヤーを置いていて、それでわざわざCDをかけるのがすごく楽しいんですよね。CDやカセットテープなどフィジカルはやっぱり魅力的だなと思って、そういうものをリリースしています。地元の長坂養蜂場という会社のを作ったり、静岡市の身体障がい、知的障がいのある方も含むコンテンポラリーダンス公演の音楽制作と演奏も行いました。

知的障がいや身体障がいを持つ方たちのヘルパーや、特定NPO法人クリエイティブサポートレッツが運営する障害福祉サービス事業所「アルスノヴァ」でのバイトスタッフもやっています。NPOの理事長である久保田翠さんが、息子である壮さんが重度の知的障がいを持って生まれてきたことをきっかけに、自分で場所を立ち上げて活動しています。壮くんは昔から音楽が好きで、演奏していると石を鳴らして呼応してくれるんですよね。そういう関係性もあったので、ヘルパーをやらないかという誘いを受け、経験は全くなかったのですがやってみることにしました。

ヘルパーをしている時間は、2階にある音楽スタジオで過ごすことが多いです。3階がシェアハウスになっていて、壮くんは今ここで生活しています。ご飯を作って食べてもらって、寝るまで一緒に過ごして、夜勤のヘルパーさんに引き継ぎます。気づけば8年くらい、そういう関係性を作っていますね。

これはヘルパーが情報共有するためのホワイトボードなんですが、「壮くんのことを書いたらみんなから反応があるかな?」と思って書き始めました。だんだん楽しくなってきて、週に1回のヘルパーの時に更新しています。書けないほど荒れる時もあるので、余裕のある時しか書けません。

アルスノヴァの利用者さんとも一緒に音楽を作ったり、バンドを組んで活動しています。

このりょうがくん、演奏しているとこの順番でやってほしいというリクエストを出してきて、それをやるとものすごい高さでジャンプするんです。りょうがくんのそんな様子が、バンド名の由来になっていますね。キーボードのしゅんすけくんは絶対音感があるのか、鳴った音に対して合わせてベース音を弾いてくれます。気づいたらメンバーになっていました。ドラムのみゆさんは発達障がいが精神疾患に繋がっていて、見た目に障がいがわからない分、周りからわかってもらえないというジレンマがあったようです。昔から音楽をやっていたので、演奏を通して気持ちの部分も発散できるのだと思います。壮もね、めっちゃ踊ってますよね。

作品を作ってライブをして、という自分の音楽活動はありつつ、彼らとの関わりも音楽が生まれる理由になっています。障がいのある人と関わりながら、言葉だけではなく体や音、いろいろなことで呼応しながら一緒に作っていくようなことが自然にできていて、仕事というよりは自分の活動の一部として成り立っていると感じます。そして、誰かが何かを形にしたいと思った時、最初の一歩を助けられるような活動としてZINGがあって、そういう場所がプスプスなのかなと思っています。

●質疑応答

会場:有料の場合、「作りたいから作る」を買ってもらう動機づけで工夫していることはありますか?また、無料の場合、制作費を捻出する工夫を聞きたいです。

一条:私も制作費の捻出の仕方は聞きたいと思うほどなんですが、正直『そこここ』は作りたいから作ったという感じです。個人が作る雑誌ですから、自分の好きなようにやるのが醍醐味ですね。次の号は広告を募集したり、そういうチャレンジもしていきたいなと思っています。
逆に吉田さんはあまりお金をかけずに作っている印象がありますが、いかがですか?

吉田:何にも束縛されずに作ることができる、という魅力がありますよね。そこの旨味だけを抽出しようという気はないですけど、「ZINEキット」は作るための最初のステップだと考えています。

「ハママツモト」という、浜松と松本の音楽シーンを勝手につなげようというイベントではZINEも作っていて、レコード屋同士で対談したりマップを作ってみたり、自分たちでお金を出し合っています。あまり高くはしたくないので、小部数刷って売っていますね。 CDに関しても一緒で、500枚ぐらいプレスして、自分の知っているレコード屋さん・本屋さんに納品する。個人的な流通で広げていっていますね。

目的が自分の中にある場合と、何か目的を形にしてほしいと言われて作る場合で、作り方も変わってきますよね。自分の目的を形にする方が、ZINEらしいなという印象があります。いろいろな人を巻き込んでいるけれど、一条さんの『そこここ』はめちゃくちゃZINEだなと感じます。

会場:一条さんに聞いてもいいのかわからないのですが、お姉さまは介護にどういう関わりをしていらっしゃるのかなと、気になりました。

一条:父が亡くなってから、一緒に母をサポートしていくために、姉の家の近くへ引っ越しをしたんですね。ちょうどそのタイミングで姉の子どもが生まれたのですが、私が子育てのサポートもしていた時期がありました。正直、その時は姉との関係性がすごく悪かったです。介護をする上で、当事者との関係性よりも、他の家族との関係性に悩みが出てくるのは難しい問題だなと感じました。

介護について語り合う会を開催した時に、姉のような立場の人が参加してくださったんですね。その方は離れて暮らしているから、知らないうちにお母さまが老いていくことがすごく苦しいのだとおっしゃっていました。そして、お母さまの介護をしてくれている妹さんへの申し訳なさも話されていて、私の姉に重なるものがありました。それからは、姉も姉の立場で思うところがあるんだろうなと想像ができて、今は良い関係性になっていると思います。ただ、もっと自分の方から母と関わりを持ってもらいたいという気持ちはあるので、ケアマネさんともお話ししながら考えています。これからは周りの方に協力してもらいながら姉と一緒にやっていけたらいいですね。

●ZINE作りワークショップ

午後は吉田さんがファシリテーターをつとめ、4名の参加者と一緒にワークショップを行いました。まず全員から一言ずつ自己紹介を。雑誌作りの経験があり、「短時間でどうやって形にするのか?」とワークショップの方法に興味を持っている方や、ZINEへの関心と祖母の介護が近づいてきたこととがマッチした方、仕事としてもライフワークとしても介護に関わっている方、ZINEには興味があったけれど介護とはどう繋がるのか不思議そうな方、というそれぞれ違った動機で参加していることがわかりました。

普段は文化創造館の総合案内で使われているリソも会場に持ってきました。

一条さん・吉田さんがたくさん持ってきてくれたZINEも参考にしながら、どんなページにしたいか考えていきます。写真をコラージュしたり、イラストを描いたり、文章一本にしてみたり、様々です。みなさん最初のうちは不安そうで、吉田さんに質問したり、どうしようと口に出したりしていましたが、30分もすると制作の波に乗ってきた感じがします。

写真を印刷して、ページに貼り付けます。
黙々。

誰のページをどこに配置するか話し合って、割付の作業。


下の紙に書いたものが黒、重ねたトレーシングペーパーに書いたものが赤のインクで印刷されます。


いよいよ印刷!となったところで、しばらく赤のインクを使っていなかったために、インクがかすれてしまうトラブルが…。吉田さんの奮闘により、なんとか復旧できました。

ざわざわ…
勢いよく出てきます。
紙によって風合いが変わるのも、リソ印刷の魅力。

表紙は、吉田さんがみんなでテーブルを囲む様子をイラストにしてくれました。

順番に重ねて、ホチキス留めをして…

完成です!

完成した『介ZINE』、自らに固有の経験を見つめ直し、共有されたお互いの経験を大事にしながら作られた1冊です。配布分は終わってしまったのですが、文化創造館の総合案内で見本をご覧いただけます。未完成や不完全さも、「まぁいいか」という気楽さで、作って交換してみませんか。

撮影|伊藤靖史(Creative Peg Works)
構成|石山律(秋田市文化創造館)