秋田市文化創造館

レポート

「未来の生活を考えるスクール」第4回開催レポート
俺の家、路上なんだけど遊びに来なよ

2022.01.08

日時:2021年11月28日(日)13:00〜15:00
ゲスト:村上慧さん(アーティスト)
主催:秋田市文化創造館

新しい知識・視点に出会い、今よりちょっと先の生活を考えるレクチャーシリーズ、「未来の生活を考えるスクール」。
第4回は、「俺の家、路上なんだけど遊びに来なよ」と題して開催。 私(わたくし)と公(おおやけ)の関係に着目し、住居・広告看板・喫煙・清掃員などをモチーフに活動しているアーティスト・村上慧(さとし)さんをゲストに迎え、公共空間での過ごし方を考えました。


13:00〜14:00 村上さん活動紹介

会場は、文化創造館の芝生エリア。前半の1時間は、村上さんから、映像を交え自身のプロジェクトや作品の紹介をしてもらいました。

《移住を生活する》

『家をせおって歩く かんぜん版』(福音館書店)

《移住を生活する》は、僕にとって大事なプロジェクトです。
『家をせおって歩く かんぜん版』(福音館書店)という絵本や、日記をまとめた『家をせおって歩いた』(夕書房)など、展覧会以外のメディアでも発表しています。

「家」は、発泡スチロールに白いガムテープを貼って防水処理をした後、白いペンキを塗っています。質感をなくして、何でできているかわからなくしているので、木でできた重たい家に見える人もいると思います。

映像で「通りすがりの者なんですけど」と言ってまちの人に話しかけていますが、自作の家をせおってまちを歩いて、寝る場所(家を置く場所)を借りながら移動しています。

家を置く場所は、お寺に交渉をすることが多いです。いろんな土地でこのプロジェクトをするうちに、どんな小さな田舎の村にもお寺はあって、お寺の敷地はお寺が所有しているので、住職さんの許可さえもらえれば貸してもらえることがわかったからです。

「家を置く場所」が必要

2014年にプロジェクトをはじめたときは、道とか、その辺で寝られると思っていました。
最初は東京の浅草橋だったと思いますが、路上に家を置いて、近くの銭湯に行ったんです。
それでお風呂に入って帰ってきたら、6人くらいの警察官が僕の家の周りを3メートルくらい距離を取りながらぐるっと囲っていて……。

僕が近づいて、「どうしたんですか」って聞いたら、「村上さんですか」って言われました。表札に「村上」って書いてあるからなんですけど。

「爆発物があるんじゃないか」とか、「邪魔だ」とか、通報が3件くらいあったみたいで、「今すぐ分解して持って帰ってください」って言われました。 そのことがあって、「家を置く場所」を借りなくてはいけないことに気がつきました。

《移住を生活する 釜山金沢》より Shot By Can Tamura

置いた途端に不審物に

「家」は、コンビニに入るのにも、ファミレスに入るのにも、お店を使う場合でも、駐車場に置くことを許可してもらえないこともあって、寝るとき以外は役に立たないんですよ。

家をせおって歩いている姿は、ちょっとかわいいでしょう?

写真を撮られたりして、マスコットみたいな気持ちになるのですが、置いた途端に不審物になってしまいます。

まちには「公開空地(こうかいくうち)」という場所があって、建築基準法で定められたビルなどの容積率を増やしたり、高さ制限を緩和してもらう代わりに、まちに解放する土地のことなのですが、そこにも置かせてもらうことができませんでした。 公共空間なのに、そこにはベンチもないし、喫煙所もない。ただの通り道というか空気の塊というか、何のための場所なのかわからない。そういうところがいっぱいあることが、家をせおって歩いているとわかってきます。フィールドワークでもあるんです。

旅人ではなく「まれびと」

ここまでは東京で体験した話ですが、対照的な場所が能登半島でした。 地域で人の性質を定義したくはないのですが、「ここに家を置きたいのだったら、土地の所有者が知り合いなので私電話します」とか、「うちの敷地であればどこを使っていただいてもいいですよ」と言ってくれる人がいたり、能登半島は浄土真宗のお寺が多いのですが、置かせてもらったお寺の住職さんが知り合いの住職さんを紹介してくれたり、近所の人と宴会をしたりもしました。

彼らは僕の話を聞きたがってくれたし、僕も彼らの話を聞きたいから聞く。「旅人」というより「まれびと」として接してくれたなと思います。

まちに住む

『家をせおって歩く』(福音館書店)でも紹介しているので、よかったら読んでいただきたいのですが、家を置いて最初にすることは、「間取り図」を書いたり、頭に思い浮かべることです。

「家」と呼んではいますが、せおっているのは「寝室」なので、トイレや風呂は外で探します。まちに住むみたいに、公衆トイレを(家の)トイレと呼んで、道を(家の)廊下みたいに歩く。電車に乗って行く銭湯が(家の)風呂場。そんな風に考えて、家の「間取り図」を考えます。

そうするとまちが自分の家になるので、僕は普段、道で会った人に話しかけられない性格なのですが、シェアハウスに住んでいる同居人に話しかけるみたいに感じて、まちの人に声をかけられるようになるんです。

これが、《移住を生活する》というプロジェクトです。

不要になったゴミ箱を集める

ちなみに、今日のイベントで、「不要になったゴミ箱」を集めていました。「公衆ゴミ箱」みたいに設置できないかと思ったんです。

移住を生活しているとき、困ったのが、まちにゴミ箱がないことでした。最近はコンビニの外にもゴミ箱が置かれていないし、公園にもないです。暮らし方が無意識のうちに規定されているようにも感じました。 プラスチック商品を売っているお店はまちにゴミを出しているのに、そういうお店にもゴミ箱がない。僕は、行政がまちにゴミ箱を置いて、回収してほしいと思うのですが、みなさんどう思いますか?

《清掃員村上》

もうひとつ、僕が大事にしているのが、《清掃員村上》という作品です。

《清掃員村上3》スクリーンショット
動画はこちら

「清掃中」という看板がホームセンターで売っていることに気がついて始めたシリーズです。

昔、清掃員のバイトをしていたことがあったのですが、自分が着ていた制服と、向かいのマンションの清掃員の制服がそっくりだったことを思い出して、作業服のようなものを着て、「清掃中」という看板を立てれば、誰でも清掃員になると思ったんですね。

シリーズは3作あって、《清掃員村上2》は、清掃員の服装でさぼってみたり、《清掃員村上3》は踊っているような極端な動きをして掃除をしているから「変」なことがわかるのですが、最初につくった《清掃員村上》は、普通に掃除しているだけなので、誰にも気がつかれないんです。 美術館、デパート、ゲームセンター、公衆トイレ、商店街……いろんなところで清掃員になりましたが、店員さんも受付の人も気がつかない。「本物の清掃員」以外にとっては、清掃員は透明人間なんですね。

《清掃員たち》

この作品から派生して、2021年5月に《清掃員たち》というプロジェクトを静岡で行いました。『ストレンジシード静岡2021』という野外のパフォーミングアーツフェスに参加して、インターネットやチラシで「清掃員(に扮する人)」を募集したんです。集まってくれた人には、僕が支給した清掃服を着て、清掃カートをもって、駿府城公園で2時間自由に過ごしてもらいました。

Shot By Satoshi Murakami

これがおもしろくて。過ごし方は指示していないので、一生懸命掃除をした人もいれば、公園にあるハンモックでずっとごろごろしたり、パフォーマンスをした人もいました。

ハンモックでごろごろしている人のところには、「本物の清掃員」が近づいてきて、「あなたどこの会社?楽しそうに働いているから私もあなたの会社に行きたいわ」って言われたそうです。

屋外の公園なので、《清掃員たち》がパフォーマンスと知っている人もいますが、いつも通り公園を利用している人は「本物の清掃員」だと思うので、「ゴミを捨ててください」って持ってくる人もいました。

そのゴミを、「清掃員たち」は、受け取ってゴミ箱に入れる人もいれば、あえて断ってみたという人もいました。「私清掃員じゃないんで」と言って「お客さんに考えさせる」って。 不思議な空間が出現しておもしろかったですね。

《広告看板の家》

最近取り組んでいる《広告看板の家》というプロジェクトも紹介させてください。

「住む」ことは金銭的にマイナスの行為で、住んでいるだけでお金が減っていきますが、私たちは住まなくてはなりません。

まちで「広告看板」を見たときに、この中に広告収入をもらいながら住めば、住んでいるだけで金銭的にプラスになる、夢のようなことが起こるんじゃないかと思って始めました。 《広告看板の家 名古屋》では、1口5万円で約15社のスポンサーを集めました。家の壁をテラコッタタイルにして、1口で30cmのタイルにスポンサーのロゴを印刷しました。

《広告看板の家 名古屋》Shot By Satoshi Murakami
記録はこちら

名古屋は真夏だったので、涼しい家にするために、雨どいから雨水をもらう家をつくりました。屋根に砂を詰めたストッキングをつけて、雨水が溜まったら、テラコッタタイルに染みる仕組みです。そうすると、水は蒸発するときに熱を奪っていくので、家の中が冷えるんですよ。屋外より4-5度低い温度になりました。お風呂上がりに、水を拭き取らないと寒くなるのと同じ原理です。自然冷房で、広告収入でお金がもらえる家ができました。

2022年の1-2月は、札幌で自然暖房の広告看板の家をつくる予定です。落ち葉の発酵熱で床暖房をつくります。

《広告収入を消化する》

最後に京都で展示中(2021年12月で終了。会場:HAPS)の作品も紹介させてください。

《広告収入を消化する》『彼は誰の街に立つ』(HAPS、2021年) Shot By Satoshi Murakami

これも広告なのですが、僕の上半身に、CMを投影しています。
ハンバーガーを食べているのですが、要するに、広告収入をもらって、もらったお金で買ったご飯(ハンバーガー)を食べているお腹にCMを投影しているのです。
夜間、外に向けて行った展示で、ひと口3万円でスポンサーがついてくれました。 《広告収入を消化する》という作品です。

14:00〜15:00 テーブルトーク

後半の1時間は村上さんと参加者で焚き火を囲み、テーブルトークを行いました。参加者からの問いに村上さんが答えます。

―土地の持ち家率と人の寛容さに相関関係はありますか?

相関関係はわからないですが、能登には「能登はやさしや土までも」という言葉があって、気候が厳しいので人同士で敵対している場合ではなくて、助け合う優しさみたいなものは根付いているのかもしれません。

―人に会わないと、家を置く場所を借りる交渉もできないと思うのですが、苦労したことはありますか? 

どこかしらに、人はいるんですよ。お寺はあるし。

必ずまちや村には着くように、事前に目処をつけて移動しているので、暗くなってから山道の真ん中だったことはないですね。そういう意味では、北海道は20-30km山道という場所がほとんどなので行っていません。本州の海沿いは、10km単位で集落があるので、10km歩けば村やまちにたどり着くことができます。

―身の危険を感じたことは?

幸いないです。夜寝るときは、どこか敷地を借りていて、誰でも入れるところではないので、ある程度守られているんですよね。寝ていたら鹿が近づいてきたことはありますけど。

―日本一周をしている人たちとの違いは?

彼らは旅をしている。僕は旅をしているわけではなくて移動生活をしているので、非日常ではなく、できるだけ日常にしたいと思っています。

―家を持って歩いていることが村上さんにとっては日常ですか?

「移動を日常化するにはどうしたらいいか」を考えたときに、このスタイルが生まれました。

世の中すべて「定住」前提なのですが、「人が住むこと」と「住所」は関係ないのではないかと思うんです。
「家」には、雨風をしのいだり、プライバシーを守る機能があって、この機能があれば、家としてはいいと思うんですけど、それに税金を取る対象として住所が紐づいています。

「本当の現場での役割」と「社会的な役割」を引き剥がしたら何が起こるだろうかと考えた結果、移動することになりました。

「住み方」の別バージョンをつくりたいってすごく思っているんですね、たぶん。

《移住を生活する》もそうだし、《広告看板の家》もそうです。「住み方」のバリエーションを増やしたい。

1日2日であれば敷地を貸してくれる人も、半年居られたら、たぶん嫌ですよね。そのバランスを見定めながら移動しています。

ー「家」は何軒あるのですか?

今の「家」は3軒目です。2軒目は軒を深くして、雨漏りがなくなりました。3軒目は、低い家になりました。最初は家をつくろうと思ったら高さがいるなと思っていたのですが、寝るときにしか使わないので低くなっていきました。棺桶に近づいていっているなと思います。

―《移住を生活する》は継続するのですか?

やめるとも続けるとも思っていないです。定住期間と移動生活期間の行き来がたぶん大事で。森と都市の生活を行き来したヘンリー・D. ソローが記した『ウォールデン 森の生活』(小学館文庫, 今泉吉晴訳)という本があるのですが、普段自分がいる場所の暮らし方と、そうじゃない暮らし方の往復が大事だなと思うんです。そうすることで、まちにゴミ箱がないということに気がつきますし、移住を生活していないときも、心の中にその気持ちをもっているだけで違ったりしますね。

―《清掃員村上》と反対に、ユニフォームを着ているだけでできなくなることがあるなって思います。スタッフって書いてあるだけで、なんのスタッフかはわからないけどスタッフと思われる。

おもしろいですね。ホームセンターにホームセンターの店員さんに似た服装で行ってみたらおもしろいかもしれない。

―旅行をすることはあるのですか?

お寺に「家」を置いて、住職さんに「旅行にいってきます」と出かけたこともあります。

そうすると旅行先で「どこから来たんですか?」と聞かれたときに、答えに困るんです。いろんな質問に違和感を持つようになります。 能登を歩いているときも、コロナ禍だったこともあって、「ここの銭湯は、うちの町内以外のお客様はお断りします」と書いてあるんだけど、今日は自分はこの町内に住んでいる人だなって。

(text: 佐藤春菜)

Profile

村上慧(むらかみ さとし)
1988年東京都生まれ。2014年より自作した発泡スチロール製の家に住む「移住を生活する」プロジェクトを開始。私(わたくし)と公(おおやけ)の関係に着目し、個人の生活が社会に与える影響を考察している。近年の主な展覧会に「移住を生活する」(金沢21世紀美術館)、「高松コンテンポラリーアート・アニュアル vol.08」(高松市美術館)など。著書に『家をせおって歩く かんぜん版』(福音館書店、2019年)及び『家をせおって歩いた』(夕書房、2017年)がある。平成29年文化庁新進芸術家海外研修制度でスウェーデンに滞在。
 http://satoshimurakami.net/