秋田市文化創造館

連載

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秋田に関わる人々を不定期で紹介します。
中心市街地や秋田市文化創造館での
過ごし方・使い方のヒントを
見つけてください。

上米町一丁目竿燈会

秋田県秋田市大町一丁目
代表 貴志冬樹さん

「どっこいしょ〜、どっこいしょ」の掛け声とお囃子とともに、約1万個の提灯がまちを彩る「秋田竿燈まつり」。毎年8月3日〜6日の4日間、秋田市の〈竿燈大通り(MAP)〉をメイン会場に開催され、国の重要無形民俗文化財にも指定されています。

毎年100万人以上が観覧に訪れますが、竿燈を操る演技者である「差し手」は年々減少。まつりを支える道具をつくる担い手も不足しています。そんななか、次世代へまつりを伝えようと奮闘しているのが上米町一丁目竿燈会代表の貴志冬樹さん。自身も差し手であり、竿燈を構成する道具である竹づくりも行っています。

竿燈は、食べることと、寝ることと同じ

江戸時代中期頃に始まったとされる竿燈まつり。町人や職人が、病や邪気を払おうと自分たちで考え始まった行事でしたが、9代目の久保田藩主・佐竹義和公が竿燈に興味を示し、祭りとして普及していったとか(写真提供:上米町一丁目竿燈会)

インタビュー中、「竿燈が大好きなので」という言葉を何度も繰り返す貴志さんが、はじめて竿燈まつりに参加したのは2歳の時。

「最初は父と手を繋いで一緒に歩いているだけでした。お菓子やジュースをもらえるのが楽しくて行っていたんですね」

そのうち大人の真似をして竿燈を持つようになると、「同世代の子に、負けられねえ」という気持ちで演技にものめり込んでいきます。

「大若を持つようになると、今度は父親よりうまくなりたいとか、ほかの町内にもたくさん上手な人がいるので、その人たちの演技を見てもっとうまくなりたいとか、そうやって続いてきました」。 

町内ごとに異なる提灯の絵図の多くは、義和公から授けられたと伝わります。上米町一丁目の絵柄は、餅つきをするうさぎ。1点1点手書きで、重すぎず、風にも強い構造で、火袋は和紙、上下に付いている蓋のような「重化」には曲げわっぱが使われています。秋田市八橋にある〈提灯屋髙橋(MAP)〉が制作(写真提供:上米町一丁目竿燈会)

2歳から参加していたこともあり、竿燈が生活の中にあることが当たり前だという貴志さん。

「好きというか、“この時期は練習で、この時期は準備”というのが体に染み付いている。食べること寝ることと同じです。体の中に竿燈がある。そういうイメージですかね」と話します。

竿燈には、「大若」、「中若」、「小若」、「幼若」の4種類があり、高さや重さ、提灯の数などが異なります。子どもは幼若から始め、早いと中学2〜3年生くらいには大若をもって演技をする人も出てくるそう。写真は大若を腰に乗せる技「腰」を披露する貴志さん(写真提供:上米町一丁目竿燈会)

そんな竿燈を、将来継続していけるかーー。危機感をもっていると貴志さんは続けます。
現在竿燈まつりに参加するのは38町内。かつては町内に住んでいる人たちだけで行われていたまつりでしたが、現在は居住地に関わらず、知人の紹介等で各町内の竿燈会に所属している人がほとんど。郊外に家を建てたり、県外へ引っ越す人もおり、特に、秋田市大町中心部の町内の世帯数が減少しています。
上米町一丁目町内会も、世帯数は17、そのうち次世代を担う18歳以下の子どもはわずかふたりです。

自身も郊外で生まれ育ち、父の地元ということから上米町一丁目竿燈会に所属してきた貴志さん。この状況を打破しようと、2021年に一念発起し、同町内に居を構えます。

「鈴木文明さんという、うちの町内の代表を務めたのちに、秋田市竿燈会の会長にもなった方から家を引き継ぎました。残念ながら2022年に亡くなってしまったのですが、私のおじいちゃん代わりみたいな人で、この人がずっとここに住んで、うちの竿燈を守ってきてくれました。

私もこの人にめんこがられて(かわいがられて)育ったので、今度は私がそのバトンを次の世代へ繋いでいきたい。竿燈でしか味わえない非日常の楽しさを子どもたちにも伝えていきたいですし、ここを町内の拠点にして、遠くに住んでいる会員の方が帰ってきた時に集まれるような、実家のような場所にするのが私の使命だと思っています」

「子どもは宝だから大事にしろ。子どもがいないと祭りはおもしろくねえからな」と文明さんはよく言っていたそう。「気軽に連絡してもらえる環境をつくっていきたい」と貴志さん。経験・年齢・居住地問わず担い手を募集中です

現在、上米町一丁目竿燈会に所属するのは、4歳から70代。高齢になって演技は引退しても、子どもの世話役を務めるなどして祭りに参加している人も多くいます。他町内には、70代で差し手を務めているレジェンドもいるそう。

「竿燈は自分で限界を感じるまで引退ってないので、私もできれば死ぬまで竿燈を持っていたいですね。いろんな役割があるといえど、会場に行けば体が疼きますから、演技ができなきゃ悔しいものですよ」

より多くの人に、竿燈の魅力を伝えていきたい

「道具づくりの継承にも課題があります」と貴志さんが見せてくれたのは、竿燈を構成する竹。中心の「親竹」、提灯を吊るす「横竹」、親竹に足して高さを出していく「継竹」(1本約1.2m)の3種類があり、差し手自身がつくるというから驚きです。材料となる竹も、毎年雪の残る2月、3月頃、自分たちで山へ行き伐採してくるのだそう。

「竹づくりは、手間も時間もかかりますし、1から10までマニュアルに書けるものでもないので、見て覚えてが多いんです。いかにこの楽しさを、これからを担う人たちに教えていくか。なかなか難しいですね。みんな家庭も趣味もありますからね」 

さらに、「観客も育てていくこと」も目標と貴志さん。かつては町内の道路で行っていた練習も、苦情が出てしまい、今は町内から離れた駐車場を借りているとか。

「秋田市に住んでいても竿燈を見たことがないという方も実際いるので、まずは地元の人たちに8月は竿燈だ!って思ってもらえるように魅力を発信していきたいです。演者じゃなくても楽しめるように工夫していかなくてはと思っています」

竿燈妙技大会で演技を披露する貴志さん。8mある親竹にさしていく継竹は1本約1.2m。最大7〜8本使うため、高さは最長で約20mにものぼります(写真提供:上米町一丁目竿燈会)

貴志さんにおすすめの竿燈まつりの楽しみ方を聞くと、観覧席でゆったりと観ることことはもちろん、好みの町内を「追っかけ」して観たり、日中に〈エリアなかいち にぎわい広場(秋田市中通り1丁目・MAP)※雨天の場合は別会場〉で開催され、優勝が若手のひとつの目標になっている「竿燈妙技大会」、夜の祭りの後、町内の住人に「帰ってきましたよ」と演技を披露する「戻り竿燈」も風情があると教えてくれました。

差し手としては、「流し」「平手」「額」「肩」「腰」と5つある技の中で、最も難易度が高く、派手で盛り上がる技・「腰」を極めたいと話す貴志さん。

「何歳になっても完成形というものはないので、常に勉強して練習して、毎年少しずつ、より美しく見えるように演技を変えています。ひとりひとり体格も骨格も違いますから、この形が良いということはないんですよ。毎年追っかけて演技を見にきてくれる方は、小さな変化にも気づいてくださって、そういう瞬間はうれしいですね」

「地上に舞い降りた天の川」、「黄金色に実った稲穂」とも例えられる竿燈の灯り。祭りが終わったその日の夜から「来年はどうしようか」と、8月の4日間のために1年をかけた準備を始める担い手たち。貴志さんの想いを聞いて、お囃子の音色響く夏が、ますます待ち遠しくなりました。

information

上米町一丁目竿燈会

住所秋田県秋田市大町1-6-45(MAP
Webhttps://uwakome1kanto.com
上米町一丁目竿燈会では会員を募集中。見学・体験も可
問い合わせ先:contact@uwakome1kanto.com

──秋田市文化創造館に期待することは?

まだ館内に入ったことがないのですが、竿燈にとってはものすごくいい場所ではないかと思います。

千秋公園は、久保田藩のお城があった場所ですし、竿燈も描かれている藤田嗣治の『秋田の行事』を飾っていた場所は吹抜で天井も高いですから竿燈の演技ができそうです。竿燈と縁がある場所だと思いますので、創造館でも竿燈に関するイベントが増えていったらうれしいです。

駅からのアクセスも良いですし、千秋公園があって、ミルハスもできて、文化創造館で竿燈が見られたら、いい観光ルートですよね。ショップコーナーで秋田のおみやげをもっとたくさん買えると、立ち寄る方も増えるのではないでしょうか。

──友人に案内したい秋田市のおすすめの場所を教えてください

秋田市民俗芸能伝承館 (愛称:ねぶり流し館)(秋田市大町一丁目MAP
秋田駅からは少し離れた場所にありますが、いつでも竿燈を持って、演技の体験をすることができます。私も職員として勤務していますので、ぜひお立ち寄りください!

(取材:佐藤春菜 撮影:鄭伽倻)

8月始まりのカレンダーは、上米町一丁目竿燈会オリジナル。コロナ禍に、祭りのポスターがまちに貼られなくなってしまったため、「自分たちでつくっちゃおう」と始めた取り組みです

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