秋田市文化創造館

記事

地球を掻き鳴らすピック
– おおしまたくろう「滑琴狂走曲 in 秋田!(カッキンラプソディー・イン・アキタ)」(2023年1月15日)レビュー

文章:松浦知也

おおしまたくろうとは「サウンドマン」であり、2023年1月に秋田市文化創造館で行われた「滑琴狂走曲 in 秋田!(カッキンラプソディー・イン・アキタ)」はおおしまの作る「滑琴(かっきん)」という、スケートボードにギターの弦を張った装置で音を鳴らすイベントだった。

1月15日の出来事を一文で説明するとこうなる。しかし、おおしまという「音楽家ではない何か」、滑琴という「楽器でもスケボーでもない何か」、そして1月15日に行われたイベントが一体なんだったのかを開いて説明することは難しい。正確には(私にとっては)、やっていることのシンプルさに比して語れることが多すぎて逆に単語が出てこなくなる。だがその魅力を伝えたいという欲求の方が上回るので、書いてみる。


私自身も、自作楽器を作って演奏を続けていることもあり、かつて共同主催したパフォーマンスイベントのゲストとしておおしまを招いたこともある1。その意味でこの文章はレビューという形を取ってはいるが、出来上がった作品を一歩引いて評価するというよりは、近しい活動をしている者の目線から、おおしまの活動をより多くの人に知ってもらうための補助線を引くものだと思ってもらえれば幸いだ。

滑琴とは

滑琴とは、おおしまがここ数年作り続けている、スケートボードの裏側にエレキギター用の弦を張った装置だ。同じくエレキギター用のピックアップ(弦の振動を磁場の変化で拾うマイク)が付いていて、無線のトランスミッタ経由でギターアンプに繋ぎ、音を増幅して鳴らす。

もっとも、スケボーを抱えて弦を爪弾くのではない。そういったスケボーをエレキギターのボディ代わりに改造する例は存在していることをおおしま自身リサーチの中で見つけているが、滑琴はスケボーとしての機能を残し、弦を張ったまま滑走することで地面の揺れを弦に伝え音を鳴らすものだ。

この仕組みだけを読むと、ギターの解放弦だけをジャラジャラ鳴らし続ける抑揚のない音を想像してしまいそうだが、実際は全然違う。弦はスケボーの前輪と後輪それぞれウィール(タイヤ)を取り付けるトラックと呼ばれるT字の部品両端に張られている。スケボーで左に曲がる際には体重を左に傾けるのだが、このとき板が傾くと同時にトラックが自動車でハンドルを切った時のように向きを変える。そうすると、滑琴では必然的に弦の張力が変化し、音程もぐいっと変わる。デッキ(スケボー本体の板部分)もしなりの効く素材なので、重心を上下に揺らすだけでもピッチがわんわんと振れる。

これはギターで言うと、トレモロ・アームやワーミーバーと呼ばれる全体の張力を変える装置に近しいのだが、何しろ数十kgの人間が全身で上下左右に揺れる力を張力に伝えることなどギターでは起こりえない。だから、滑琴では1オクターブ2をゆうに超える跳躍が、しかもかなり急峻なリズムでギュンギュンと繰り返される。

滑琴ではもちろんギターとは違い、ドレミの音を狙って出すようなことはできないのだが、同様にギターでは絶対に出せない音を鳴らせるのだ(発音原理はほとんど同じにもかかわらず!)。

オープニング

さてイベントの始まり、オープニングはおおしまの継続的に発行しているZINE「PLAY A DAY」に登場するマスコット(?)である通称「ピンクのあいつ」がスクリーン上にVTuber風の設えで登場し、今回のイベントに至るまでの経緯や制作プロセスを紹介、おおしまに登場を呼びかけるところから始まった。

おおしまは「サウンドマン」という自らの肩書きについて短く紹介したのち、しゃべるよりも実際に見てもらう方がわかりやすいだろうとのことで短いパフォーマンスをはじめる。おおしまは昆虫の触覚のように2本のギターの弦が飛び出た段ボール製のヘッドバンド「シェイク・バグ」を被り、ケーブルを小さなアンプ(スピーカー)に繋ぐ。ヘッドバンドにはコンタクトマイクが取り付けられていて、弦の振動が増幅されてスピーカーから音が出る。

その状態でおおしまは四つん這いになり、弦を地面に擦り付ける。そして、そのままゆっくりこちらに近づいてきて、弦を介して観客に接触する。出ている音は歪みきっているのだが、その姿の可笑しさ/奇妙さから会場には笑いが自然と満ちていく。ノイズ音を笑いと共に受け止める会場という光景は中々見ることがないが、この「笑えるノイズ」こそおおしまの活動の根幹だ。

ひととおり観客に接触したおおしまは奥の方から改造されたバイオリン「バイオリンセクト」を取り出す。バイオリンは三輪のタイヤがついており、弦は張られておらず、代わりにおおしまの被るヘッドバンドと同じく、ボディの肩部分から手前に2本びよんと伸びている。根元にもまた同じくコンタクトマイクがついているらしい。

おおしまがバイオリンの腹をパカっと開き中に手を突っ込むと、タイヤが動き出す。3秒に1回程度の間隔で少しだけ前に進んだり、向きを変えながらバイオリンがゆっくり自走する。おおしまは後ろにあるギターアンプのスイッチを入れ、ワイヤレストランスミッターをバイオリンについているジャックに差し込む……が、ここでジャックにつながるケーブルのハンダが外れ、音が鳴らなくなる。おおしまは電線を捻ってどうにか止めようと試行錯誤している。この間、アンプの電源はついたままで、時々接触が上手くいった時だけ歪んだ音が飛び出してくる。しばらくするとおおしまはバックヤードへ小走りで戻っていく。しばし、会場に残され、動いたり止まったりしている自走バイオリンだけを見つめながらモーターの出す小さな音を聴く時間。

戻ってきたおおしまの手には単三電池とバッテリー式のハンダごてが握られている。目の前でハンダづけが始まった。ハンダごてをあてる間もバイオリンはおおしまから逃げるように動き続ける。それを突っ伏した状態で追いかけながらハンダ付けは続く。この間もアンプの電源は入ったままで、電線同士が熱された金属で繋がった瞬間に弦の音が響き出す。

おおしまがマジシャンのうまくいった時のような身振りで両手を上げると会場から拍手。おおしまがこの間一言も言葉を発さないこともあって、ここだけ見ると音楽ライブよりはサーカスを見ているようだ。

おおしまは再びヘッドバンドを被り、自走バイオリンの動きとシンクロして数分音を鳴らし、(おそらく想定よりだいぶ長くなったであろう)自己紹介を終えた。しかし、間違いなく宣言通り、口で説明するよりも遥かにおおしまたくろうという人物が伝わる紹介だった。

室内道楽

イベントは1つ目の演目「室内道楽(しつないどうらく)」へ進む。会場に入った時点で意外に思ったのが、会場の奥側にドラムセットが置いてあったことだった。会場にはそれ以外にも、ランプと呼ばれるスケートボードパークの中にある坂を模したものが2つ。しかもよく見ると、背面がギターアンプになっている。このランプ型アンプ「ランプリファイアー」はおおしまが秋田滞在中に新たに制作したものの1つだ。

これまでおおしまは滑琴でストリートを走り、街中の滑るルートを楽譜のようにして「演走(えんそう)」してきた。今回おおしまは、はじめて室内での演走を行うためにそのためのフィールドを作り、秋田の人々と演奏実験を繰り返しながら形式を模索し、どうやらバンド演奏のスタイルを下敷きにしたようだ。照明もライブハウス風の吊り照明が入っている。

演奏は緩やかにスタートする。演奏者はおおしまを含めて滑琴走者が5人、ドラマーが1人。滑琴のうち2つはストリートで使っている背負う形式のポータブルアンプに加え、ランプ型アンプへワイヤレストランスミッターを通じて送られている。うち1台はギターよりも太いベースの弦を張ったものになっていた。

演奏は滑琴に乗って走る「乗り技」だけに限られない。滑琴を肩に担いだり頭上に掲げた状態で揺らしたり、あるいは一端を手で持って引きずったり。おおしまはこうした奏法を、「降り技」として分類している。滑琴はスケートボードだが、べつに走らなくてもよい。この室内での演走はストリートでの活動よりも、より直接的に音を鳴らすことが目的になっているように見えた。

フリーなリズムで始まっていたドラムが徐々に8ビートを形成していくとともに、演走もしだいにボルテージを上げていく。しかしそこにはメロディもなく、ドラム以外が明確なリズムを構成しているわけではない。かといって、完全即興のノイズ演奏を聞いているのとも少し状況が違う。目の前を駆け抜け坂を登って降りていく間に発生するギュインギュインという音を聞く時、演奏を聴いているというよりも発生した物理現象を観測しているだけという無機質な感覚が残っている。滑琴は音を鳴らす道具だが、依然として必ずしも演奏しなくともよい。アクションの結果として発生した音響と、音を鳴らすために起こすアクションとが入り乱れることで、サイケデリックロックからメロディやハーモニーといった調和を思わせる要素を濾して残ったものだけを聴いているような気分になる。

そして、何より音がデカい。音量の違いはシンプルながら聴取体験をがらりと変える。大型のアンプが2台、ドラムも入ることで、音量的には本当にライブハウスでバンドの演奏を聴いているのと近い状態になっている。滑ってぶつかったときに発される衝撃は腹まで響いてくる。これはポータブルアンプを背負って街を走るこれまでの滑琴では得られなかった体験だ。

相変わらず不思議なのは、そうした体験を(おそらくほとんどは大音量のノイズ音楽を聞いたことがないであろう)オーディエンスが、やはり笑いを交えて楽しんでいる光景だ。私はこれまでもおおしまのパフォーマンスを見てきたが、バンド演奏を下敷きにした状態でも可笑しさをキープしたまま轟音を鳴らすことができている。その状況自体がまた新鮮かつおかしく、不思議だった。

雪中演走

イベントは2つ目の演目へと進む。「雪中演走(せっちゅうえんそう)」は名の通り、これまで滑琴で取り組んできた街中に出ての滑走を踏襲したものである。おおしまは滞在期間中のリサーチで、雪がある中でのスケートボードの滑走が困難だったことから、かんじきをベースにした「カンジ琴」(発表時は「雪滑琴」)を新たに開発した。……しかし当日、秋田の街は小雨。街中にも駐車場や路肩にわずかに雪が残っているだけであった。そうした状況で、今回の演走は近くの公園まで滑琴で向かい、公園でカンジ琴へと履き替えるという構成になった。

会場にはプロジェクターの映像が2面。画面に街を走るおおしまを追いかけるカメラの映像がストリーミングされている。観客は会場でその映像を眺めつつ音を聴くという状況だ。この数年、オフラインのイベントが開催できない状況の中でおおしまも配信形式でのパフォーマンスを何度か行っているが3、そこでの経験が十分に活かされた形になっている。

無事に対面でイベントが開催できるようになった今、わざわざ同じ場所に集まって周辺数キロを移動するアーティストの姿をインターネット越しに眺める光景は中々不思議な状況だ。

だが、始まってみるとその辺の違和感も気にならなくなった。外に出て行っても、滑琴に実際に乗って走っている割合は全体の50~60%程度といったところだろうか。信号待ちや人通りの多い場所では滑琴を手に持ち、時にはガードレールなど街中のオブジェクトに擦り付けながら進んでいく。そして、演走中は滑琴の音だけが配信されるのかと思いきや、おおしまは適宜「これから〇〇へ向かいます」など状況を報告しながら移動していく。こういうYoutuberの番組がなんとなくあったような気もしてきてしまう。

おおしまが制作に用いる技術はほとんどがコンピューターを介さないアナログ、ローテクなものではあるが、別にそれを徹底しているかというと、そうでもない。滑琴も技術的には1960年代にも制作できたかもしれないが、それで街中を走るとなれば、電池で駆動する小型のアンプや安価で小型のワイヤレス送信機がないと難しい。今回の配信映像を一箇所で眺める形式も、パフォーマンス然としすぎず、かといって完全なエンタメでもない奇妙なバランスで成り立つ現在進行形の表現であることを意識させられる。

公園に到着するとおおしまは背負っているアンプに固定されていたカンジ琴を取り出し履き替える。カンジ琴はかんじきの中央前後にやはりエレキギターの弦が張られており、弦はさらにかかと側から90度折れ曲がり縦に伸びる形で張られている。

同じような構造を持っていながら、車輪で転がっていくスケートボードの出す持続音と違って、カンジ琴ではザクザクと踏み締める音がパーカッションを想起させる。リズムは地面の形状ではなく足踏みのタイミングで規定される。そして、公園内でわずかに残っていた雪を踏み締めると、ジャキッという普通に地面を歩いている時とは明らかに別種の乾いた音が鳴る。初めは足の動きが明確に音を支配しているようで、スケボーよりは地面の特徴を捉え切れてないのではないか…と思っていたのだが、この雪音はその考えを覆した。雪を踏み締める音をマイクで録音したものを聴くよりも、アンプの歪みと弦の共振のおかげか、音によって自分が雪中を歩いた時の足の感覚がありありと浮かび上がってくる驚きがあった。


カンジ琴の面白い点は、弦を張るために使われていた弦の固定具(ギターでいうブリッジとペグ)が滑琴の最新版で使われているものと共通化された部品ということだ。滑琴は数年かけて5号機まで開発が続けられてきたが、その中で徐々に、一般的なスケートボードに穴などを開けず非破壊的に滑琴へと改造できるようにモジュール化が進められてきた。3Dプリント製の固定具やマイクロフォンの取り付け具はトラックの固定ネジを共用する形でインストールできる。そのモジュールをそのまま流用する形でカンジ琴にも弦を張れるようになっているのだ。

おおしまは滑琴の進化の過程を、もっともポピュラーなエレキギターの1つ、Fender社のテレキャスターを参照しながら解説している。世界ではじめてボディとネックをボルトで固定する方式を採用し、デザインも工業製品としての側面を全面に押し出したテレキャスターは当初あまりにもそれまでのギターと異なる見た目が故に「弦付き便器の蓋」とか「カヌーのパドル」など散々な表現がされた4のだが、今となっては逆に「エレキギター」という単語にテレキャスターとそれから派生したギターたちを想起する方が普通になっている。

テレキャスターで行われたように、モジュール化/規格化によって大量生産や複製を容易にすることは、ある意味では装置の多種多様にありうる発展の可能性をいくつかに絞り収束させることでもある。しかし滑琴の場合、おおしまがスケートボードとしての滑りやすさやメンテナンスのしやすさ、面白い音が出るかどうかなどを考慮しながら改良を続けていくうちに、結果として部品をモジュール化を進め、最終的には当初の滑琴のアイデンティティでもあるスケートボードすら使わないカンジ琴というまったく別の装置を生み出すに至っている。

こうなるともう、セグウェイや自転車、長靴などあらゆる歩行具/乗り物に滑琴モジュールを取り付けられそうな気がしてきて想像が止まらなくなってくる。規格化の作用を反転させて、それを用いる装置が多彩になるほど、楽器でもなく乗り物でもない、滑琴という概念の輪郭がはっきりとしてくるのだ。

楽器じゃないなら滑琴とは何か:似たアプローチの作品との比較から

今回滑琴を見て、真っ先に近しい作品として思い当たったものが2つある。和田永の《BARCODE-BOARDING》(2021)と蓮沼執太の《Walking Score》だ。この2つの作品との比較を通して、滑琴とはいったい何なのかについてもう少し考えを深めることでレビューの結びとしたい。

和田永は使われなくなった家電を改造して楽器にし演奏するプロジェクト「エレクトロニコス・ファンタスティコス!」で知られるアーティストだ。代表的な楽器にバーコードの読み取り装置を改造した、向けた縞模様の密度に応じて音程が変化する「バーコーダー」という楽器がある。この応用で、フィールドに大きな縞模様を描き、スケボー裏面に読み取り装置を付けて、滑走することで音を鳴らすパフォーマンスを北九州未来創造芸術祭で行っている5

スケボーを電化して滑走行為そのものを演奏にするという手法は滑琴と共通している。しかし、まずもちろん滑琴は用意されたフィールドが無くとも音が鳴り、実際にストリートに走り出していける点で大きく異なる。

また同じ室内の演奏だったとしても、その演奏体験は滑琴とそれ以外で大きく異なる(和田の作品を実際に体験できていないため、想像の範疇にはなるが)。バーコードの読み取りをメインの仕組みにすると音程変化は床の縞模様の間隔とその時の移動速度に対応して変化する。となると、和田の作品における演奏は基本的には即興的要素が強いようだが、ある意味でバーコードの読み取りは、フィールドという媒体に記録された縞模様のパターンを演奏者の解釈(≒ルートとスピードの設定)によって再生する装置、としても解釈できる。

そう思うと、滑琴とは街をルートに沿って移動することで、そこに埋め込まれた音響を再生するレコード針のように例えることもできる。実際、滑琴で演走するためのルートを示した「ルート譜」(後述)の作り方についておおしまは次のように述べている6

“ルート譜を作曲する時は、レコードの溝を擦る(スクラッチする)ように、路地を何度も散歩することで街に対する解像度を上げていく感覚を大切にしています。”

この録音再生メディアとしての滑琴の側面が、もう1つの作品、蓮沼執太の《Walking Score》を想起した理由だ。《Walking Score》は蓮沼がさまざまな場所(大抵、展示を行う度にその会場の周辺)で、ハンディレコーダーにケーブルで繋がれたマイクを犬の散歩のように引き摺り回して歩く映像作品だ7。映像の音声には、地面を擦り付けるマイクからのぼこぼこという信号がそのまま流れている。

《Walking Score》もやはり、土地をある種の楽譜と見立てているといえる。土地にはそれぞれ固有の地面の形と、道路のルートがあり、録音者はその空間を移動することで固有の時間軸を作り出す。録音するという行為は一見客観的で現実の現象に忠実な記録を作っているようで、実際は録音者が場所や時間、マイクを向ける向きや音量などさまざまなパラメーターを選択している。空間固有の特性を恣意的に音として切り出す行為という意味では、地面を引きずることもまた極端な形のフィールド・レコーディングになるのだ。

では滑琴の「演走」は土地固有の音響を再生する装置なのだろうか?これはおおしまによる滑琴のための楽譜のフォーマットについて見ると微妙に異なることがわかる。

おおしまは滑琴の演奏における楽譜のフォーマットを「ルート譜」と「マッピング譜」の2種類として明確に提示している。「ルート譜」とはその名の通り二次元平面上に移動ルートが記されたもので、街の通りの名前などがテキストでいくつか記されているだけのシンプルな楽譜だ。

おおしまが滞在時に作成した、秋田版ルート譜

はじめに説明したように、滑琴ではスケボーのしなりなども音に影響を与える。和田の作品と比べると、仮にほとんど同じルート・同じ速度で移動できたとして、滑琴の場合はわずかな体重のブレでも音程が大きく変化するだろう。そもそもの弦のチューニングの影響も出る。その意味でルート譜はあまり再現性のある楽譜ではない。

他方で「マッピング譜」は、ある1回の演奏行程を、伴走した人や記録映像を元に、ルート譜に「この箇所をこの時間で通過した」という情報と共にトラックとしてナンバリングされる。加えて、どの箇所でどのような演奏技法(たとえば片側を浮き上がらせて地面叩きつけるのを繰り返すストンピング、など)を行ったかが書き込まれる。なるほどこれは、楽譜と言いつつもどちらかといえば演奏の後に事後的に作られるアーカイブといった趣が強い。トラックのナンバリングなどもレコードのアルバムを想起させる。

つまり、滑琴によって鳴らされる音は、その土地ごとのルート固有の音響だけを再生している訳ではない。このルートのこの地点であればこういうアクションをキメる、という走者の能動的選択が重ねられ、土地の固有性に対して走者が相互に干渉した結果が放出されているのだ。加えて、滑琴の音はただレコーダーに収められるのではなく、弦とアンプを介してその場で増幅され放出される。滑琴の音は土地の空間固有の凸凹を反映しつつ、スピーカーから放たれた音がその場所のサウンドスケープへ介入する。街の環境音のオリジナルはもうそこに無くなってしまう。

滑琴のことを楽器と例えるのも、録音再生メディアと例えるのも微妙にしっくりこなかったのだが、多分これは楽器と人間の間に挟まっている境界にあるもの……ピックなのだ。現象としては地面が滑琴の弦を震わせている、つまり地球が滑琴を鳴らしているんだけども、実は同時に滑琴こそが地球を掻き鳴らす巨大なピックなのである。


  1. 2018年4月14日に開催した「Alternative Act 1.0 Tech Performance Fes.」。 https://2018.alternative-act.tokyo/ 以下、本記事の脚注内URLはすべて2023年2月21日最終確認。↩︎

  2. ドレミのドから次のドまでの音程差。周波数(1秒間あたりに空気の振動する数)で言うと2倍ごとの関係。↩︎

  3. Maker Faire Kyoto 2021 オンラインライブイベント「DIY MUSIC on DESKTOP 2021」での「帰省されるイヤー」など。 https://youtu.be/dUKcJvGRk8U?t=18085↩︎

  4. A.R.DUCHOSSOIR「THE FENDER TELECASTER THE DETAILED STORY OF AMERICA’S SENIOUR SOLID BODY ELECTRIC GUITAR」Hal Leonard Publishing Corporation (1991) p12。↩︎

  5. https://www.city.kitakyushu.lg.jp/page/art-sdgs/artist/ei-wada/↩︎

  6. 「SPACE LABO 2021」おおしまたくろうさん滞在レポート https://akitacc.jp/article/220223/ より。↩︎

  7. 2015年ごろから継続して行われている作品。蓮沼の2018年の個展「~ ing」Webサイト等を参照。 http://www.shutahasunuma.com/ing/ 参考までに、筆者は蓮沼執太の主宰する大規模アンサンブルである蓮沼執太フルフィルのメンバーでもある。↩︎

Profile

松浦知也
SoundMaker(音を作ったり音を出す道具と環境を作る人)。 音に関わるメディア・インフラストラクチャ技術を実践を交え批評的にデザインする活動を「音楽土木工学」と称して研究している。音楽プログラミング言語「mimium」の設計と開発(2019〜)の他、ハウリングだけで音を出す自作電子楽器「Exidiophone」などを用いての演奏活動を継続的に行う。最近の趣味は製パンとサーバー構築。
 https://matsuuratomoya.com

写真|伊藤靖史(Creative Peg Works)


「滑琴狂走曲 in 秋田!(カッキンラプソディー・イン・アキタ)」についてはこちら

日時  2023年1月15日(日)13:00〜16:00
会場 秋田市文化創造館 1階コミュニティスペース
定員 25名(予約優先、先着順)
出演 げんや、諸越俊玲、おおしまたくろう ほか
観覧無料

Profile

おおしまたくろう

PLAY A DAYをテーマに、身近な道具を改変した楽器の制作と、それらを組み合わせた少し不思議なパフォーマンスを行う。音楽や楽器の名を借りた遊びやユーモアによって社会の不寛容さをマッサージする。The Medium Is The Massage LIVE!!!!(DOMMUNE/2017)、サウンドパフォーマンス・プラットフォーム2018(愛知県芸術劇場/2018)、Skateboard meets Electronic Guitar おおしまたくろう楽器展 #1 滑琴(かっきん)(FIGYA/2019)、ホリデーパフォーマンスvol.5:おおしまたくろう(ロームシアター京都/2020)、みなと A GO GO!2021(港まちポットラックビル/2021)、おおしまたくろう楽器展#2 滑琴の耳奏耳(かっきんのみみそうじ)(パララックス・レコード/2022)

過去の作品
路上で滑琴(かっきん)を演走する様子 
商店街での演走 撮影:金田金太郎