秋田市文化創造館

レポート

クロストーク
「工芸と天災ーー能登半島輪島市の現状報告と、天災後に作家が何をできるか考える。」イベントレポート(前篇)

赤木明登(輪島塗)、攝津広紀(川連塗)
佐藤祐輔(新政酒造)
石倉敏明(芸術人類学)、田村一(陶芸)

日時:2024年3月4日(月) 15:00-17:00
会場:秋田市文化創造館 2階 スタジオA1
主催:辺境地点 共催:秋田市文化創造館

2024年元旦に能登半島を大きな地震が襲いました。3月4日当館に登壇者5人をお迎えし、能登半島の被害の現状報告、災害時における工芸などものづくりをする作家のふるまい、そして今後の展望や支援のあり方について話し合いました。


●はじめに能登輪島のこと

田村 能登輪島から塗師(ぬし)の赤木明登さんが秋田にいらっしゃいました。司会進行を務めさせていただきます、陶芸家の田村一と申します。よろしくお願いいたします。

赤木 輪島から来ました赤木です。僕は秋田に深い縁がございます。秋田にはこの世の桃源郷ではないかと思っている場所があります。田沢湖の乳頭温泉の「鶴の湯」に、惚れまして、15年以上、年に2回、夏と冬に通っています。乳頭温泉の帰りには、一君と佐藤祐輔さんの所に寄って、一杯やって帰るというのが習慣になっています。今回も温泉につかって少しのんびりしようと思ったのですが、このような会を開催していただけるということで、参りました。1月1日の地震でたくさんの方にご心配をお掛けし、温かいご援助やお見舞いをいただいたことを、この場を借りて最初にお礼させていただきます。今日は、よろしくお願いいたします。

田村 そして秋田の川連で蒔絵師をされている攝津広紀さんです。

攝津 川連から来ました攝津と申します。私は、筆や、はけや、へらを使うのは得意なのですが、大勢の前で話すのは不慣れな部分もあると思います。どうかお付き合いをよろしくお願いいたします。

左から田村一さん(陶芸家)、赤木明登さん(輪島塗師)、攝津広紀さん(川連蒔絵師)

田村 今日は2部制になっておりまして、前半は主にこの3人で話そうと思っております。そして向こうのテーブルにいますのが新政酒造代表取締役の佐藤祐輔さんです。

佐藤 皆さま、こんばんは。新政酒造株式会社の佐藤祐輔と申します。赤木さんとは公私ともに仲良くさせていただいている間柄でございまして。赤木さんはお酒も強くて、酒飲みの心をよく分かった器をたくさん作っていらっしゃいます。能登の地震で赤木さんご自身も大変な目に遭われていますが、それにもかかわらずチャリティー、ボランティア、いろいろな形で活動されているので、すごく心配でしたけれども、バイタリティー溢れる赤木さんの今のお話を聞くことを楽しみにして参りました。今日はよろしくお願いします。

左は新政酒造株式会社代表取締役の佐藤祐輔さん、右は芸術人類学者の石倉敏明さん

田村 そして秋田公立美術大学の石倉敏明先生です。

石倉 こんにちは、石倉です。よろしくお願いします。僕は2013年に秋田市に引っ越してきて、秋田公立美術大学で文化人類学を教えています。かれこれ20年くらい前、僕が学生の頃、勉強会を開き、赤木さんがゲストに来てくださったことがあります。青山の山口デザイン事務所でお話をしたのが最初だったと思います。僕が行っていた大学院は中央大学ですが、赤木さんは哲学を中央大で勉強されていたので、先輩にも当たります。秋田で再会できてとても嬉しいです。よろしくお願いします。

田村 能登半島の地震、昨夏の秋田の水害など、日本はすごく天災の多い国ですが、漆や陶芸など、ものづくりは絶え間なく続いてきた、という歴史があると思います。赤木さん、輪島はどんな所なのか、まずはお伺いしたいです。

赤木 金沢から能登半島先端の珠洲市までは150キロくらいあって、金沢からちょうど120キロ、輪島市が日本海側にあります。能登半島は日本海側と富山湾側との幅が30〜40km、真ん中を背骨のように山が走っています。僕の家は、輪島と、穴水という町の中間にあり、背骨のような山の中の一軒家です。日本海側に出るのも、富山湾側に出るのも、車で15分ほどの場所になります。

田村 住所は三井町内屋ハゼノキですね。「ハゼノキ」に何かいわれはあるのですか。

赤木 うちの周りにはハゼノキが今でもたくさんあります。だからでしょうか。ハゼノキはウルシ科の落葉樹ですね。ハゼノミは和蝋燭の原料となる木蝋の原料です。江戸時代、農民の方々は、お米だけではなく漆樹液でも納税をしていたので能登ではウルシの木もたくさん植栽されています。

田村 地震直後の大火災で300軒ほどが燃えてしまった「輪島朝市」の一帯は、赤木さんのご自宅から車で20分くらいですね。

赤木 はい。

田村 攝津さんは輪島で修行されたそうですが、輪島の印象はどういうものでしたか。

攝津 もう30年以上前です。今は空港もできて、行きやすくなりましたけども、僕の頃は金沢から急行で2時間半かかりました。その穴水という所から乗り換えて輪島まで30分くらいですが、三井町の辺りを通るときは、この先どこに行くのだろうという感じでした。駅の終点に着いて、まだ朝市も観光地にはなっていなくて、職人の町ということも自分には分からなかった。湯沢の川連から同じような所に来たなというイメージでした。

田村 輪島は海が近いから雰囲気が少し違いますね。

攝津 そうですね。山の人間にしてみたら海というのは年に1度、行けるか行けないかでしたので、18歳の頃は輪島の海に行ってはしゃいでいました。

田村 自分も輪島に昨年の11月末に行きました。泊まった宿の目の前が朝市通りでした。そこの宿も、崩れてしまったみたいです。印象としては大きい男鹿半島のようですね。

赤木 そういう感じです。

田村 でも半島に入ってから、長くて。赤木さんは、半年に1遍、秋田に車で来るなんてすごいなと思いました。

赤木 僕の妻は東京に落語を見にいきますよ。能登空港から羽田まで45分です。羽田経由で上海や北京、台北も4、5時間ですよ。

被災状況をリポート

田村 写真を見ながら話していきましょうか。これはいつ頃ですか。

赤木 僕は群馬の温泉に大みそかから元旦までいました。1日に飛んで帰りましたが高速道路が不通で新潟で足止めを食い、能登にたどり着いたのは3日です。3日は自宅手前の友達の家に着いて、そこに1泊して翌4日の朝、帰宅しました。中の物はぐちゃぐちゃでしたけれど家に被害はありませんでした。30年前に建てた家ですが耐震化されていましたので。耐震、免震は非常に重要だとよく分かりました。新しくて耐震化された家はほぼ被害がないです。地盤が液状化した所は大変ですね。

田村 東日本大震災のとき益子でも古い建物は被害が大きかった。

赤木 伝統的な美しい建物を守るのは非常に大切だと思いますが、古い建物を耐震化させるのはこれから重要な課題になると思います。これは自宅にある工房の内部です。

被害の大きい方から比べればどうってことない。この地震は、おもちゃ箱の中にいろんなものを入れてガラガラ振り回したような揺れの地震でした。次は僕の上塗り専用の部屋の状態です。

田村 建物は確かに大丈夫そうですね。

赤木 漆が、ひどいことになってしまって。日本産の漆が激的に値上がりをして、中国産の漆もどんどん高くなっているので、この先、漆が手に入らない事態が予想されます。僕は上塗り漆だけで50缶ほどのストックを持っていましたが、その多くが転倒して流出しました。2階で流出した漆が天井を伝わって1階の床に溜まっている状態です。

幸いなことに気温が低く、床の下に液体のままで残っていたので3日かけて回収しました。濾せば、ちゃんと使えると思います。この写真は床の表面の皮をめくった状態です。

畳の上にもたっぷり溜まっていました。この畳は漆が染み込んだいい畳になりました。日本産の漆は今、1缶100万円近くしますから。ここに札束が流れ出しているような感じです。この流出分に関しては、国から補助金が出ます。作業に使う材料と道具は補助の対象になっているようです。

田村 攝津さんのお知り合いの作家の方々は、被害はいかがですか。

攝津 大丈夫な人は一人もいないです。資金を自分で集められる方ももちろんいらっしゃいますが、一番辛そうなのは、個人でやっている家が全壊した方。あとは個人の方に職人として勤めている方です。例えば親方と職人さんの2、3人でやっている方で、親方がもう60、70歳だと、補助金が出るとはいえ、今からまた家も作業場も再建してやり直すかというと、もうきつい、辞めるとなってしまう。高齢の親方が辞めるのはまだしも、そこに勤めている中堅の職人、若い職人は、どうしようかと悩んでいる様子です。

赤木 これはうちの職人の住まいです。

僕の工房には6人の職人がいて、それから日本料理の「杣径(そまみち)」というお店を始めそこに料理人が2人いますが、みな住む所がなくなってしまったので金沢へ二次避難をしています。僕の家の工房は片付ければすぐにでも仕事を再開できますが、金沢からは通えないので、僕は一時的に金沢に工房を移しました。漆の仕事は繊細で、若い職人たちは3日手を止めると1週間は感覚が戻らないと思い、少しでも早く仕事させてあげようと。僕の工房には漆をやりたい人が全国から集まっています。ですから、この地震が起きたときはみな帰省していたので、誰もけがはしていませんが、空き家の古民家を借りて住んでいるので被害が大きいです。

この家は2月10日に職人たちと金沢で仕事を始めたときの写真です。

田村 仕事できるようになると安心しますよね。仕事ができてほっとしました。

●再建に向けての活動

田村 今は金沢から赤木さんのご自宅までどのくらいかかりますか。

赤木 通常に戻り片道2時間です。地震後2週間くらいは、金沢・輪島間は5、6時間でした。

田村 行きたいなと思っても、行っていいタイミングなのか分からないところがあります。

赤木 いろんな方に助けていただかないと、元通りにはならないと思っています。うちの職人たち6人が家を失い、被害の少ない家を直して仮に住めるようにはするのですが、合宿状態になりますし、持続して住める環境ではありません。それで、うちの建物をこれまで何度か造っていただいた中村好文さんという建築家にお願いして、森の中に職人たちが住める小屋を造ろうというプロジェクトをやっています。好文さんは設計を頼むと10年くらい待たなきゃいけないのですが、1週間くらいで図面と模型ができて、それを持って来ていただいたときの写真です。

田村 すごいですね。

赤木 この家は一軒一軒が自立していてライフラインがないんですよ。つまり水道も電気も何もない、線でつながっていない家なのですが、現代の最新の技術を駆使してソーラーと風車で発電をし、雨水を地下にためて、発電した電気でそれを浄化したり、トイレは発酵できれいにしたりという設備を備え、ライフラインが途絶えても自立して生活する家を造ってみようという試みです。私も住みたいという人がたくさんいるので、いずれこれを一棟貸しのホテルにしようかなと思っています。

田村 僕も泊まってみたいです。これが「杣径」ですね。

赤木 そうです。「杣径」は古い能登の民家を先ほどの中村好文さんにリノベーションしていただいた建物で、昨年の7月にオープンしました。リノベーションの費用は6000万ほどかかり、半年間営業して、ほぼ全壊になってしまいました。建物は真っすぐ建っているのですが、地盤が傾いていて、建物の後ろと前に20センチくらい高低差があり、床が斜めになっています。東日本大震災の後、傾斜修復の技術が進歩しているらしいので、今、修復できるかどうか際どいところの調査をしてもらっているところです。

田村 基礎にひびが入っている?

赤木 そう。基礎がずたずたになっているので、家を持ち上げて、地盤改良して基礎を造り直すという工事をするので、新築よりお金がかかるようです。傾斜が10センチ台なら行けるかもというギリギリです。

田村 次は「拙考」編集室ですか。

赤木 門前町の海岸沿いにある、もともと漁師さんの家で、材料も、それから造りもいい建物でしっかり建っています。柱が一本傾いて、玄関や縁側のアルミサッシがばらばらになっていますが、直します。これは2棟あるうち奥の棟の2階のお座敷です。昨年の9月に「拙考」という出版社を設立して本を作っていた編集室です。

田村 編集室近くの海ですね。

赤木 このテトラポッドは沖の海の中にあったのですが、地盤が4メートルほど隆起して、海岸線が300mほど沖に行ってしまったんですよ。景色は変わってしまいましたが、それでも海はとてもきれいです。

田村 地図が変わったといわれていますね。

赤木 そうですね。日本の国土が少しだけ広くなったと思います。

田村 輪島塗の下地塗は、地の粉と生漆と米糊を混ぜて作ると思いますが、「地の粉」は珪藻土ですね。

赤木 そうです。輪島塗ができているのはこういう地震と隆起を繰り返してきたおかげともいえます。今回、4000年ぶりの隆起らしいですが、能登半島はプレートの圧力で何百万年もかけて海底が隆起してできた半島なんです。珪藻土というのは、海にいるプランクトンが死んで、そのプランクトンの骨格や外殻が海の底に沈殿してできた粘土の層のことですけれど、その海底が隆起して能登半島はできているので、能登半島の山を掘ると珪藻土層があるんです。それを漆と混ぜることによって輪島塗というのは出来上がっています。実はこういう自然の大きな地殻変動がなければそもそも珪藻土が上がってこなかったし、輪島塗もできなかったんですよね。人間一人の人生は、短いですけど、大きな流れの中で輪島塗はできているし、このように大きな地震、4000年に1度の地殻変動にたまたま立ち会ってしまった、ということです。

田村 タモリさんが地の粉の話をしていました。

赤木 地の粉の性質は多孔質といって、もともと生命由来のもので、非常に小さい粒子に細かい穴が開いているんですね。軽石の小さいようなものですけど、中に穴が開いているということは要するに空気が入っていて、空気があることによって熱を伝えないという性質がある。例えば被害が大きかった能登半島先端の珠洲は、珪藻土を使った耐火れんがや、バーベキューコンロや、火鉢を作っています。その性質を漆器に応用しているのが輪島塗です。輪島塗の堅牢さというのは珪藻土によって担保されています。それはこの自然が生み出したものだということです。

田村 川連も地の粉を使いますか。

攝津 はい。地の粉を使っている業者さんもあります。

田村 それは輪島から取り寄せるのですか?

攝津 基本、輪島の地の粉は流通できないことになっています。

赤木 江戸時代に輪島の地の粉の製法が輪島で発明されて、漆器組合というのを作り、輪島の地の粉はその組合員しか買えないというシステムにして、それが今につながっています。だから組合に入らないと地の粉は手に入らないということになっています。僕らが独占せずに、いい材料はみなで使えばいいと思いますが、なかなかそうはいかないんですね。

田村 そして新刊『工藝とは何か』について一言お願いできますか。

赤木 拙考という出版社で、最初に出す本が3月10日に出版予定です。この本は、東京の製本会社で製本作業中だったもので被災を免れています。この出版社はどういう目的でつくったかというと、僕ら昭和生まれの世代にとって本はすごく大事なものだったんですね。読んだ後、本棚に飾って、何度も読み返すようなものです。僕としては、工芸的な本、物質として大切にされるような本をまず作りたいと思いました。読み終わった後も本棚に物として飾っておいてほしい。僕らは、子どもの頃、読んだ本の手触りとか、インクの匂いとか、紙の質感とともに中のコンテンツを記憶しています。そういう記憶に残る本を作ろうということで立ち上げた出版社です。刷り上げたばかりの本を6冊だけここに持ってきました。重くて6冊しか持ってこられなかったんですけど。フライヤーと、それから出版社設立のお手紙がお席に置いてあると思うのでぜひご覧になっていただいて、もし興味があるようでしたら注文もできますし、ここで買うこともできます。よろしくお願いします。

田村 第1部、これでおしまいにしようかと思っています。新政のお酒も用意しています。お酒は飲めないという方も、普通の飲み物を用意していますので。10分ほど休憩をします。皆さま、お酒をどうぞ楽しむなりしてください。

Profile

赤木明登:
塗師。1962年岡山県生まれ。編集者を経て、1988年に輪島へ。輪島塗の下地職人・岡本進のもとで修業、1994年独立。以後、輪島でうつわを作り各地で個展を開く。「写し」の手法を用い、古作の器を咀嚼した上で造形と質感を追求して作る器は、洗練されていながら素朴な暖かみを持つ。著書などを通じ普段の暮らしに漆器を使うことを積極的に提案している。著書に『美しいもの』『名前のない道』『二十一世紀民藝』など。拙考編集室を立ち上げ、新刊『工藝とは何か』(堀畑裕之との共著)を刊行。https://www.sekkousm.com/

攝津広紀:
蒔絵師。1969年秋田県湯沢市生まれ。石川県輪島で技術を習得。1993年金沢にて加賀蒔絵、金沢仏壇蒔絵を学ぶ。1999年秋田に帰省し、蒔絵師の三代目として家業を継ぐ。自ら素地、塗りも手掛ける作品作りも始める。800年の歴史ある漆器の産地「川連」にて「漆工房攝津」を営む。2008年全国漆器展経済産業大臣賞受賞。以後、経済産業省製造産業局長賞、日本漆器協同組合連合会理事長。若手職人5人で「漆人五人衆」を結成し、秋田、仙台、東京など各地でグループ展を開催。https://www.urushi-settsu.com/

佐藤祐輔:
新政酒造株式会社代表取締役。1974年秋田県生まれ。東京大学文学部英語英米文学科卒業後、ジャーナリストとして活動。2007年に家業である嘉永5年(1852)創業の酒蔵「新政酒造」に入社。自然の生態系、農業、醸造の有機的なつながりを求め「秋田県産米を、生酛・純米造り・木桶仕込みにより、当蔵発祥の六号酵母によって醸す」という哲学のもと農薬や科学肥料に頼らない酒米の栽培も手掛け、地域性を尊びながら本来の日本酒の姿を求めて様々なチャレンジを続けている 。

石倉敏明:
芸術人類学者。1974年東京都生まれ。秋田公立美術大学「アーツ & ルーツ専攻」准教授。シッキム、ダージリン、カトマンドゥ、東日本等でフィールド調査を行ったあと、環太平洋地域の比較神話学や非人間種のイメージをめぐる芸術人類学的研究を行う。美術作家、音楽家らとの共同制作活動も行ってきた。2019 年第 58 回ヴェネチア・ビエンナーレ国際芸術祭の日本館展示「Cosmo-Eggs 宇宙の卵」に参加。共著に『野生めぐり 列島神話の源流に触れる12の旅』『Lexicon 現代人類学』など。

田村一:
陶芸家。1973年秋田県生まれ。早稲田大学大学院修了後、東京で作家活動を開始。2002年に栃木県益子町に拠点を移し制作。2011年より秋田県に戻り太平山の麓の工房で作陶に励みながら、「ココラボラトリー」(秋田)「白白庵 」(東京)などでの個展や、グループ展で作品を発表している。九州・天草の陶土を使用し、近年ではグレーの粘土や信楽の透光性のある土「透土」もブレンド。中国古陶の青磁や現代作家の青白磁に影響を受け、ガス窯を還元焼成で焚く。

撮影(輪島)|赤木明登
撮影(会場)|牧野心士(秋田市文化創造館)
構成|熊谷新子(秋田市文化創造館)