秋田市文化創造館

連載

「かえるくんのどうする!?ラジオ」第4回 
-藤浩志×英心-

収録日:2022年3月20日(日)
主催:秋田市文化創造館

秋田市文化創造館館長の藤浩志(かえるくん)が、キニナル人とトークを繰り広げるラジオ的プログラム「かえるくんのどうする!?ラジオ」。これからの文化創造館どうする!?をゲストと一緒に考えます。第4回目のゲストは、秋田県在住の僧侶でミュージシャンの英心さん。

-藤浩志×英心-

藤 こんにちは。文化創造館の藤と申します。3月21日で文化創造館が開館して1周年です。
文化創造館は、音楽や演劇を味わう場所・美術作品を鑑賞する場所というよりは、新しい活動をつくる人たちに向けての場所としてオープンしています。
英心さんも表現者としていろいろな活動をつくってきたと思いますが、秋田県三種町のお坊さんという呼び方をして良いですか?

英心 はい。

 お坊さんの生活もしながら、英心 & The Meditationaliesとして作曲活動されていたり、いわゆるつくる活動もしていると捉えています。自己紹介をお願いします。

英心 英心と言います。苗字は渡邊です。36歳です。秋田に帰って来たのは10年前。東京や外国へ行っていたのですが、父が住職を務めるお寺が三種町にありまして、そこで副住職、後継ぎ候補として生きてきました。
その道すがら、音楽も好きだったので、音楽活動とお坊さんの活動を同時進行でやっています。 仏教というフィルターを通した生き方のすばらしさを伝えていく責務があるので、そういうことを歌詞にのせて歌っています。
大学でラテン音楽に出会いまして、サンバサークルに所属していました。学芸大学、早稲田大学、東京外国語大学、武蔵野美術大学など、それぞれのサンバサークルが集まってひとつの大学生チームをつくり、浅草サンバカーニバルに出場していました。大学2年生でチームの代表になって運営するくらいサンバが好きだったんですね。

英心 & The Meditationaliesの文化創造館でのパフォーマンスの様子

人と繋がる音楽

 サンバに出会うって特殊じゃない?

英心 なかなかないですね。

 演奏の場が違うじゃないですか。浅草サンバカーニバルみたいにストリートが現場になっていたりとか、街中でパフォーマンスをするとか。

英心 そうですね。言われてみれば。

 サンバに出会うまでは?

英心 パンクバンドに所属していました。秋田にはパンクやヒップホップくらいしか情報が入ってこなくて、どちらも好きでしたが、東京に出て初めて聞く音楽がありました。

 先ほどサンバの大学生連合のようなものをつくったという話をされていましたが、いろいろな人との接点が重要になっている気がしています。 いろいろなバンドがジョイントして何かをやるって、なかなかできないと思うのだけれど、それがたまたま大学で出会ったサークルで、浅草という町に出かけて行ってパフォーマンスをするということが体験的にあったのがすごい。

英心 生まれたところに祭りがなかったので、土崎の人みんなが土崎港曳山まつりに集まるような体験ができなかったという気持ちがあって、それを埋めてくれたのが大学のサンバでした。

 私が渇望しているのはそこなんですよ。
両親が奄美大島出身で、八月踊りというのがあるのですが、そういうものが遺伝子に組み込まれているので、ライブハウスで演奏する音楽とか、カラオケで歌うような音楽に違和感があるんです。 もっと人と繋がったり、みんなを巻き込んでいくような音楽。英心さんの音楽もかっこいいなと思うのと、のらざるをえない……

英心 無条件にね、

 あの空気感をつくることができたりとか、音楽というよりも、音を使った何か。トランス状態をつくるために、ある状態を同じリズムを繰り返していくことだとか、空間の中で人と人をつなげていったりとか、空間をつなげていったりという手段があるような気がするのですよね。
英心 & The Meditationaliesが目指しているところが、人をつなげたりとか、浄土に導いていくじゃないけれども、そういうところに大きいヒントが実はあるんじゃないかなと思うのだけれど、そういうのはあまり意識していなかったのでしょう?はじめの頃は。

英心 若い頃はそうですね、本能のおもむくままにという感じだったと思います。当時は前しか見えなかったんだと思いますね。

 そこがすごいんだよね。前を見るとか、本能のおもむくままにということが。 なぜ、渡邊英心は本能のおもむくままに行動できたのか。それが許された環境にいたのか、軋轢から逃れるようにしていったのか。

英心 どちらの側面もあると思います。「ここではないどこかに行きたい」という気持ちがとにかく強かったんですよ。秋田から解放されたいとか、この閉塞的な社会から解放されたいという一心で東京に行ったので。

 大学に入るというのは、生まれ育った環境からちょっと違う環境に行けるひとつのチャンスではあるということだもんね。そこでサンバに出会った。海外にも行かれたんだよね。 

英心 お坊さんになるための修行が終わって、東京のお寺に勤めていたときに、ブラジルでお坊さんを募集していたんですよ。なかなかブラジルまで来てくれるお坊さんがいないみたいで。

 募集は何で見つけたの?

英心 曹洞宗という宗派なのですが、ブラジルで開教して50周年だったので、大きい式典に合わせて一度ブラジルに行きませんかというお話があって、様子を見に行ったんです。 そうしたら、日系でもないブラジル人のお坊さんが、教えに魅了されて、頭を剃って座禅していて。すごくおもしろいなと思ったんです。それで翌年から行くことになりました。

 曹洞宗は座禅なんですね。

英心 Meditationaliesというのは座禅のことなんです。

 ブラジルでお坊さんをやりながら、ブラジリアンミュージックに入っていく……

英心 パーカッションを習ったり、一流のミュージシャンのライブがいたるところでやっていて、すごく安いチケットで見られるんです。ブラジル音楽というのは、音楽偏差値が高いというか、とにかくすごいことをやるんですよ。美しくて、激しくて、切なくて、日本のポップスとは全然違う次元のことをやっていたりする。

 場所はどこでやるの?

英心 文化会館みたいなところが多いです。あとは無料のフェス。文化創造館のような施設とか、ちょっと小さい劇場がいろんなエリアにあって。

 お坊さん修行を抜け出しながら。

英心 そうですね。カーニバル座禅というのがあって……

 なんですかそれ。やりましょうよ今度。

英心 いやいやいや……これは説明させてください。

 きついの?

英心 カーニバルのとき、ブラジルは1週間休みになって、みんなカーニバルで遊んだり、海に行って遊んだりするのですが、うちのお寺には、集中座禅に来るんですよ。

 そういうことか。

英心 世の中はカーニバルで浮き足立っているのに、1週間ずっと座禅をする「接心」という修行に来るんです。私はそれだけは勘弁してくださいと言ってカーニバルに行きました。

良くなりたいからではなく、自然とそうなる

 座禅は今もするのですか?

英心 今日の朝も5時に起きてやってきました。

 本物だ。

英心 座禅会と言って、一般の方も座りにくるので一緒に。

 それはお仕事だよね。

英心 そうですね。

 座禅と音楽は何か繋がっているところがある気がしていて、それはひとつの方法だと思うのですよね。たとえば、苦しみやモヤモヤがある日常に、新しい時間と空間をつくることができる方法、自分の中と向き合いながら、違う次元のものと繋がっていく感覚を得るとか。
私は「空間」が重要な気がするのだけれど、空間を通して日常と違う、座禅の呼吸もそうかもしれない、数字を数えるとか、リズムを刻むとか、彫刻を削っていくとか、何かの行為を重ねていくことで違う世界が見えてくるというか……

英心 座禅をするのも、カーニバルで太鼓をずっと叩き続けるのも、同じだなと思うところはありますよね。行為そのものは違っても、無になるというか、一点に今ここに集中している時間、「そのときすでに仏になっている」と言うのですけれども、そういう体験は、何でも同じかなと思うんですよね。
それを表す象徴的なものとして捉えているのが、曹洞宗では座禅なんです。 「座禅をするように生きなさい」ということなのですよね。

 難しいですね。

英心 難しいんですけどね。
いろいろなことが頭に浮かんでくるかもしれないけれど、それをとりあえずふっとやり過ごして、今自分は息をしているのだとか、座っているのだということも感じつつ、それすらも忘れてしまう。とにかく目の前のことを一生懸命やる。自然に。そうすれば自然に良くなるからと。
良くなりたいからやるわけではなくて、自然にやるから自然にそうなるということなのでしょうね。

 良くなるから英心さんは歌をつくるのではなく、むしろ英心さんとしては自然にふるまって、そこで自然に歌詞を書き、何か言葉にせざるをえないというか、自然なふるまいとして言葉をつくり、音にのせる。

英心 歌わなくても良いし、歌をつくる必要もないのですよ。ただ座禅をしていれば良いのですが、自然とそうなる何かが働きかけたのでしょうね。歌になっちゃう。

 いいよね。この歌がね、つくりたいと思うのだけれどつくれないよね。なんでつくれないのだろうって思っちゃう。

英心 つくれないときはつくれないです。でもつくれるときはすぐできる。ひとつキーワードができると、10分、20分で1曲できますね。

 何かが広がっていくという感じですよね。

英心 そういうときって、無心なんですよね。つくりたいとか、出したいとか思っていないときに、出てくるものですよね。ふとした瞬間。それも生活の中の一瞬ですけれども。

 その状態になれるかどうかというのが修行なのかもしれないし、日々のどこを使っていくかの部分かもしれないなという気もしますけれどね。

英心 小さい結びつきを最近は大事にしています。お客さんと話したちょっとしたことに、目を配るというか、気に留めるというか。

 昔は違ったの? 

英心 気づこうとしていなかったのかもしれないです。

 意識をしていなかった、ということか。

英心 自分には関係ないだろうと思っていたのですよね。聞き流していたことを、ちょっとひと呼吸おいて考えてみよう、とりこぼさないようにしようという感じになってきた。

「伝える」ではなく「繋がる」

 先ほど歌詞にするときに、「伝える」という言い方をしていましたが、私は伝える側ではないと思っています。
伝えるためには意識とか、概念とか、ちゃんとした考えがある。そうなる前の状態のような感じがするんですよ。モヤモヤしていて伝えることが何かもわからない。でも手を伸ばしたい、触れていきたいとか、ここが大事とか、どうにかしたいと思う、何か「繋がりたい」という考えの方が強い気がするんですよね。 サンバも座禅も、「伝える」というよりは、「繋がる」という気がしていて、表現というのは、あるひとつの段階としては「繋がる」という段階があるのかなという気がしているのですが、どう思われますか?

英心 歌うようになってからは「伝えたい」という気持ちになりましたが、それまでは単純に踊りたい、叩きたいというのが自分の中の欲望に対する答えという気持ちでやっていました。
言葉としてわかるものとして表現するから、どうしても伝えたいものが自然と歌詞になってしまうところはあるのですが、リスナーの立場だったら、言葉がわからなくても感じ取れるものはあるし、うまく踊れなくても踊りたいと思って輪に混ざることはある。
そういう参加する気持ちでの音楽というのは、楽しい場面を「共有したい」という気持ちの方が強いかもしれないですね。

 うらやましいと思うのは、私も音楽をやりたいなって思うのだけれど、一緒にやれる人によく出会うよね。秋田に戻って来て、副住職をやりながらいい人たちと出会って、うらやましい構成で、すごくいい音楽で。

英心 巡り合わせですよね。メンバーはジャズやポップス、ロックをやっていた人はいたのですが、レゲエやサンバをやっている人はいなかったんですよ。

 引き寄せた?

英心 最初はやってもらうような感じでした。私はこういう音楽をやりたいからと。そのうち、メンバーの特性やバックグラウンドがわかって曲のスタイルを変えていったので、自分のこだわっていた色みたいなものがどんどん溶けていくような感じで今のバンドになっていきました。

 溶け合ったからこそできるより良い音楽が本来ある。全然違うバックグラウンドというのもすごく重要かもしれないし、それができる環境が秋田にあったということなんだよね。

英心 東京でレゲエバンドをつくろうとしたら、レゲエミュージシャンを集めますが、そうではなかったのが逆によかったことだと思いますね。

文化創造館でのパフォーマンスの様子

生活の中の表現

 普段の生活は?

英心 それなりに早く起きて、住職と本堂でお勤めをして、朝ごはんを食べて、月命日のお宅にお経を読みに回る。法事があったら法事に行って、法事がなかったら掃除をして、お葬式があればお葬式をやって……

 音楽は毎日やっているわけじゃないの?

英心 日常生活の中で練習することはないですね。

藤 お経をあげているから、声は出しているんだ。

英心 声は出していますね。

 お経を唱えながら発声の練習をしたりとか?

英心 いや……。御詠歌(ごえいか)という歌物のお経もあるんですよ。それも最近勉強していて、そうなると歌うのと同じ気持ちで……

 声出したくても出せない人もいると思うんですよね。

英心 勇気がいることですよね。大きい声を出すのは。

 楽器を演奏できる環境もそうそうないし、絵を描くにしても、文章を書くことを束縛される人はあまりいないかもしれないけれど、表現できる環境がなかなかないかなと思うなかで、英心さんは、自分の生活の中からやっていけることに出会っていって、自然に生活の仕方をつくってきたのかなという気がしますね。

英心 苦しみになっちゃうといけないのでね。

 そうだよね。あと犠牲を出しちゃいけないという考え方が最近はあって。

英心 無理してやるものではないですからね。音楽も制作も。無理のないバランスで続けていきたいと思うばかりですよね。

お好きなように、変幻自在に

 私は廃仏毀釈運動が激しかった鹿児島で育って、市内ではコンクリートのお寺しか見たことがなかったんですよ。それで高校時代に、デパートで、土門拳という写真家の『古寺巡礼』という写真展をやっていて、初めて仏像に出会う。
それから仏像に出会いたくて京都の大学を選んで、毎日のようにお寺に通うのですけれど、お寺の空間がすごく新鮮で、屏風絵や襖絵や庭もあって、全然違う空間概念と体験をつくってくれる。
ホールや美術館も日常じゃない世界へ連れて行ってくれる装置かもしれないけれど、お寺は、観客を受け入れるだけではない、「実践する場所」なのかなという気もしていて……
文化創造館も、「実践する場所」としてどう開いていけばいいかなと思っているんですよね。

英心 「すきや」と言いますが、「数寄屋」の「数寄」と、「空き」、「好き」の、3つの「すきや」と言うらしいのですよ。お寺もそうですが、日本建築の「すきや」というのは、「お好きなように」、「変幻自在に」その空間が変わっていくということなんですよね。
「このお部屋はこれに使うものだよ」という概念に限定されないもの。

 すばらしい! オルタナティブなんだよね。

英心 そういう「すきや」のコンセプトでもって、文化創造館も企画者のお好きなままに、変幻自在になっていけばいいのかなと。

 お寺の場合だと、どういう場としての変化があるのでしょう?

英心 昔は修行の場でもありつつ、娯楽の場でもあった。歴史的には、賭博であったり、寄り合いであったり、地域コミュニティの中心としての機能もあっただろうし、紙芝居が来たりとか、移動サーカスが来たりとか。

 そうですよね、公民館がない時代とかはね。

英心 だから昔のあり方に戻っていきたいと私は思っているんですよ。

 つまりオルタナティブな。

英心 もともとオルタナティブだったから、そこに戻っていきたいという気持ちですね。最近カフェも開きまして。

 すごい。

英心 お寺を開いていくために、8月の第1土曜日に、毎年フェスもやっています。

 ぜひ文化創造館にも出張していただいて。

英心 供養祭しましょうか。 

 いいですね。上から光が差し込む宗教儀式。

英心 合同法要みたいな。

 上からパラパラ花びらを落としたりとか。

英心 そうやってアップデートしていくべきかもしれないですね。

(text 佐藤春菜 photo 三輪卓護)

「かえるくんのどうする!?ラジオ」第4回 -藤浩志×英心-

収録日2022年3月20日(日)
会場秋田市文化創造館 2F スタジオA1
登壇者ゲスト|英心(ミュージシャン/僧侶)
パーソナリティ|藤 浩志(秋田市文化創造館 館長)
Profile

英心 -Eishin-
ミュージシャン/僧侶

大学在学中「サンバ」に出会いラテン音楽に魅了され、縁あってブラジルに渡り、僧侶として海外布教のかたわら音楽修行の日々を送る。2014年秋田で「英心 & The Meditationalies」を結成。コロナ禍に制作した動画「仏具でボブ・マーリー」はSNSで世界中に拡散され、レゲエの神様ボブ・マーリーの公式アカウントにもリツイートされるほどに。唯一無二の秋田産仏教的ラテン音楽を作っては歌いつづけている。

Profile

藤 浩志 -Hiroshi Fuji-
秋田市文化創造館 館長

1960年鹿児島生まれ。京都市立芸術大学在学中演劇に没頭した後、公共空間での表現を模索。同大学院修了後パプアニューギニア国立芸術学校に勤務し原初表現と人類学に出会う。バブル崩壊期の土地再開発業者・都市計画事務所勤務を経て土地と都市を学ぶ。「地域資源・適性技術・協力関係」を活用し地域社会に介入するプロジェクト型の美術表現を実践。取り壊される家の柱で作られた「101匹のヤセ犬」、給料一ヶ月分のお米から始まる「お米のカエル物語」、家庭廃材を蓄積する「Vinyl Plastics Connection」、不要のおもちゃを活用した「Kaekko」「イザ!カエルキャラバン!」「Jurassic Plastic」、架空のキーパーソンを作る「藤島八十郎」、部室を作る「部室ビルダー」等。十和田市現代美術館館長を経て秋田公立美術大学教授、NPO法人プラスアーツ副理事長、NPO法人アーツセンターあきた 理事長、秋田市文化創造館 館長 
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