秋田市文化創造館

レポート

対談「地図と熊と美術館」
鴻池朋子(アーティスト)
奥脇嵩大(青森県立美術館 学芸員)

日時:2024年8月16日(金) 15:00-17:00
会場:秋田市文化創造館 2階 スタジオA1
主催:秋田市文化創造館

撮影:コンドウダイスケ

アーティスト、鴻池朋子さんの近年の作品展開を様ざまなアプローチのもとに紹介する大規模な個展「メディシン・インフラ」が、この夏、青森県立美術館で開催されました(2024年7月13日-9月29日)。展覧会のポスターになった作品《メディシン・インフラ・マップ》には、森吉山と阿仁川と、安らかな熊の親子が描かれており、全体図はさらに遠い北米大陸まで広がっています。秋田出身の鴻池さんの地図に「国境」はないのかもしれません。屋内外問わず様々な場所や素材で作品をつくり、多くの参加者を巻き込む〝個展〟をし、「もはやアートの観客は人間だけではない」と語るアーティストの真意は何なのか。対話の後半は、《車椅子アレコバレエ》や《新しい先生は毎回生まれる》《指人形》など具体的な作品の秘話に及んでいきます。レポート後篇です。


後篇

●「メディシン・インフラ プロジェクト」と「メディシン・インフラ」展

鴻池 数年前、青森県立美術館での個展開催が決まったときに、なぜかふと、作品は美術館ではなく、私の住む東京と青森との間にある、広い東北のどこかに点々と作品を置き、寄り道しながら青森へ向かってもらいたいと思いつきました。美術館の収集に疑問を持っていたこともあります。そして2023年秋頃より、実際に東北でご縁のあった方々の生活空間、庭、商店、裏山、学校などに、作品を保管してもらいながらそこで展示する、ということを始めました。その道筋に「メディシン・インフラ」と名付け、現在その展示範囲は全国に広がっています。地図上で、「みみを」マークがついているところが、作品が展示保管されている場所です。そして、2024年7月に青森県美で「メディシン・インフラ」展が始まります。

<メディシン・ポイント > 作品の場所

●《車椅子アレコバレエ》

鴻池 青森県美のアレコホールに、全国の美術館から使用していない車椅子をお借りして、それに乗って観客に展示を見ていただく。誰でも使っていいし、使わなくてもいい、そういう展示空間を最初の部屋に作りました。

撮影:コンドウダイスケ

奥脇 車椅子との出会いというのは高松の展覧会で木下知威さんと対談された時でしたか。

鴻池 はい、そうです。車椅子に乗って自分の体の感覚が変わっていく、自分の体の感覚にもう一度気づくような体験と、アレコホールのシャガールの絵画の中にも車輪が描かれているのは、興味深いシンクロだと思いました。

奥脇 「アレコ」というのは舞台の戯曲のタイトルです。ロシアの貴族であるアレコという青年がジプシーの娘と恋に落ち、サーカスの一座で生計を立てつつ面白おかしく暮らしているのですが、ジプシーの娘に浮気をされてしまい、浮気相手とジプシーの娘をアレコが刺し殺して、がっくりうなだれて終わるというお話です。二人の魂を乗せていく馬車が黒い夜空に浮かんで描かれていますが、魂を運ぶというイメージが、実際に身体感覚を変えていく車椅子と連動しています。展示空間のさらに奥へ奥へと、この車椅子は運んでくれるようです。

鴻池 アレコバレエの部屋から青森県美の展示は始まりますが、ここで車椅子に乗ってそれまでの身体を一度変えてみることからスタートします。みんな感覚は人によって違う、それぞれだよとか言いますよね。でも美術館って、目で見るものがほとんどです。視覚優先です。触ってはいけないし、匂いをクンクン嗅ぐようなものがあるわけでもない。温湿度調整がされていて、今日の外気温も全然分からない。照明が調整されていて見やすく、虫一匹入らない外界と絶縁した安定した空間で私たちは作品を目で見るわけです。私はこの美術館空間に入っただけで、観客の感覚が目に集中し、他の身体感覚が閉ざされ硬直するような感じがします。それで展示の最初に、観客の全身の身体を柔らかくしたい、と考えていた時に、初めて車椅子に乗ったことを思い出しました。

車椅子に座った途端に背がぐっと小さくなって、自分が機械に支配されるような感覚と共に、腕の力で車輪が動きだす快感もあって、体の一部分がアンドロイドやサイボーグになったような感じ。人類がやじりを持った瞬間もそうだったと思うのですが、機械仕掛けのものが一つ身体に入ってくることで、いきなり身体が拡張した喜びみたいなもの。いつもと違う身体になって作品鑑賞をする。作品が変わらなくとも、自分の身体が変わり違うセンサーが開けば、作品は全く違って見えてくる。そういう人間側のセンサーを開くために車椅子を置きました。

いつもより50cmくらい低い世界に行くと、全然違う時間が漂っていました。また、一般的に、必要のない人が車椅子を使うと、体の不自由な人のための道具で遊ぶなと怒られたりしますよね。でも、まずは誰でも一度そのものとしっかり遊んでみないと分からないですよ。その後で教育的な指導が入っていいけれども。普段から使っている人、乗り慣れていない人、車椅子を押している人、乗り方を教え合っている人たち、同じ車椅子に乗りながら、それぞれ別の経験を分かち合っているような。見えているものも、感じているものもそれぞれ違う、私たちはさまざまな身体を持っている、ということもあらためて感じました。

●戦争、震災そして「眠り」

鴻池 青森県美では、真ん中に特徴的な土色をした壁と床の部屋があって、そのまわりにホワイトキューブ的な部屋があって、各部屋を行き来しながら、必ず中心にある土色の部屋を通るような構成になっています。その土色の部屋には「肺」と題して《狼メリー》という狼の毛皮が回転してダンスしているような作品を天井から吊りました。これが回転すると全館の気の流れがゆっくり動いて攪拌されていくようでした。振り子など、単純な仕掛けで、不思議な動きをするものが好きです。

「肺」の部屋。美術館の設計者でもある建築家・青木淳による土の風合いをもつ壁と床のある空間では、天井にモンゴル狼の毛皮の《狼メリー》、《振り子アースベイビー初号機》、《釣りざお虫》などを展示。
撮影:小山田邦哉 提供:青森県立美術館

奥脇 土の部屋から通じているスロープの先にあるのが「眠り」の部屋になりますね。手芸で作ったベッドカバーやカーテンなどが展示されていますが、それらには鴻池さんの下絵による戦争や難民のイメージが、秋田や奥能登の手芸をなさる方々によって縫われています。

《眠り》
撮影:小山田邦哉 提供:青森県立美術館
《眠り》狼毛皮のベッドに横たわる
撮影:小山田邦哉 提供:青森県立美術館

鴻池 ここの部屋のイメージは、言葉や詩を手で触れられるものにできたらと思ったのが発端です。遠くで起こっている戦争や被災地のことは、当然私たちには映像や言語で二次情報でしか入ってきません。ただ、ここ日本には戦争はないけれど、震災はある場所なのだと常に考えています。

また、詩を書くというのは、その人の中の叫びのようなものが、小さくか弱く出てくるものでもあって、それを読んでいると気持ちがキュッと捕まえられて、感動して時々体が止まってしまう。悲しいなと。そう感じるのはよいですが、ずっと言葉は体を拘束して動かなくするような時がある。あまりにも辛くて。それは困ったことで、詩の言葉から体が解放されるような何か転換ができないかなと思いました。そこで、詩のイメージから戦争で逃げる人々の絵を描いて、それを下図として手芸をする方々に刺繍で刺していただくことにしました。

遠い誰かの戦争の詩を、私が絵にして、さらに別の人の手でその絵が下図となって刺繍に縫われる。そうすることでだんだんと硬くなっていた気持ちが昇華していくような、なんて言えばいいんでしょう…気が少し楽になったんです。そして出来上がった刺繍をカーテンやベッドカバーや布巾にして生活の中で使う。詩を手で触る。毎日茶碗を洗って、きゅっきゅっと布巾で拭いていると、あーここにも逃げる人がいるなあって思う。そういうことがいいと思ったんです。

《眠り》鴻池の絵を刺し子に刺した布巾が吊るされる
撮影:小山田邦哉 提供:青森県立美術館

奥脇 感動して止まってしまうというのは思ってもみなかったことで、感動するのはいいことのように思うけど、感動して浄化され、サッパリしてしまうことには、ある種の思考停止という毒があるということに、なるほどと気づきます。ニュースやSNSで戦争や震災のことを見ると、何かアクションを起こした方がいいのだろうと考えますが、情報やイメージの背後にある本当に起きている出来事に想像することがもう追いつかなくなる。想像しすぎてしまうと自分が壊れてしまうからどこかで歯止めをかけてしまう。でも本当は歯止めをかけるというか…切断するのではなく、連続させていくことも大切ですよね。

アートとはそのような出来事と私たちが共にあるということ、その中で私たちには何ができるだろう、と考え私たちが自分なりの行動に結びつけることができるような、触媒のような存在としての役割がもっと開発されていくべきなのかもしれません。時空を越えた難民の方々のイメージが手芸されたカーテンはその多くがいま、能登の被災者住宅にかかっていますが、そうして生活の中でつながって、使われていった作品たちがもたらした影響というのは、今後も見て、考えていきたいですね。

撮影:コンドウダイスケ

鴻池 リアリティがないところで無理に考え込んでしまうよりは、生活のそばに置きながら使うのは、いざ自分の近くで本当にそういったことがあった時に、どんな動きができるかという準備体操でもあると思いました。私は戦争のことをよく分からないから、言葉にもできないから、戦争の情報から抜き取った形を絵にして、とりあえず別の人に放り投げて、私はここまで描いたからあとは頼む、縫ってみてね、そしてでき上がったらさらに別の人へ、それを生活で使ってみてね、とバトンタッチしていく。そうすることで自身の弱々としたイメージが生活に鍛えられて、エネルギーが少し加わるような感じ。布巾はずっとどなたかに貸し出しをして使ってもらいます。使い終わって返ってきたらどんな風になっているかは、奥脇さんが展示して見せてくれるのではないかと思います。

撮影:コンドウダイスケ

手芸など手でつくることの良さとは、一人一人マイペースで、手元でできる仕事である、ということが一つあると思います。ここに面白い写真が2枚あるのですが、両方とも刺繍で刺された、赤ちゃんを抱いて逃げる若いお母さんの図柄です。左が刺繍の表で、右がその裏面。私は特にこの刺繍の裏面が好きなのですが、縫ってくださった人の無意識を見たような驚きがあって、あえて裏側を展示させていただきました。裏には、運針による時間の流れや逡巡する感じも見えます。作品の素晴らしさというよりも、縫うことの面白さが見えてくる、まさに発見でした。

刺繍:逃げる親子(表)
刺繍 :逃げる親子(裏)

奥脇 いろいろ突きつけられるなと思います。鴻池さんがある特定の意図なく裏面を見せてくださって、それに対して、自分はこう作る、ということができる人はそれを作ればいい。美術館としてはそれを「いかに」留めるかということが普段の仕事ですが、変わっていくということを前提にしながら、その動き自体をどうプレゼンテーションできるかと考えるのは、今までの美術館における、作品を集めて保存して展示するという既存のやり方と矛盾する。作品を糸口にして、流れのどこを切り取るかではない、流れ自体をどう見せるか、どう伝えていくか、それらの積み重ねが美術館にフィードバックされ、その活動を変えていくことを素直に楽しみたいと思っています。そうすることで自ずと見せるべきもの集めていくべきものが変わっていくのではないでしょうか。そのことを期待したいと思います。

●「新しい先生は毎回生まれる」

鴻池 次は「新しい先生は毎回生まれる」という部屋についてです。このタイトルは『どうぶつのことば』という本で2015年に対談して以来、私の作品の研究もしてくださっている、教育人間学の矢野智司先生の、「最初の先生」という言葉からインスピレーションをいただいています。(参照:『どうぶつのことば』(羽鳥書店)p139「最初の先生」は何度も生まれる

矢野先生は「動物と人間の間の境界には〝子ども〟がいる」と仮定し、面白い視点を投げかけます。動物と人間の〝境界〟といっても動かない高い壁が立っているわけではなく、その境界はいつでも広げたり狭めたりすることもでき、アートもそこで生まれるらしいのです。矢野先生の最近の御本も展示し閲覧できるようにしました。そういった私が出会ってきた研究者やアーティスト、写真家、歴史家、学芸員の方々など18組に、私の作品と何か通底するテーマで作品をつくっていただいた部屋です。

例えば、福住廉さんは秋田公立美大でも教鞭をとられている美術評論家です。「This️ is️ a true️ story…」というタイトルで、私の《物語るテーブルランナー》から語る(騙る)こと、縫うことをヒントに、ご自身がテーマとされている「限界芸術」を作品として学生らと共に表現しました。「限界芸術」とは哲学者の鶴見俊輔さんという方がつくられた芸術概念ですが、鶴見さんは亡くなっておられるので、福住さんは青森のイタコに鶴見さんを降霊してもらい、その言葉を文字起こしし留学生に読ませ、天井に取り付けたスピーカーから流しました。またイタコの口寄せした言葉の断片は、会期中に学生たちによって端切れの布に刺繍されて座布団の周りに置かれ、会期中増えていきました。

《新しい先生は毎回生まれる》
撮影:小山田邦哉 提供:青森県立美術館
《新しい先生は毎回生まれる》石倉敏明さんと尾花賢一さんの展示
撮影:小山田邦哉 提供:青森県立美術館

またこちらは、高松市美術館の教育普及を担当している福田千恵さんと、学芸員の石田智子さんが、初日に作品の指人形とお手製の紙芝居を使って「旅する学芸員と指人形一座」を実演されている様子です。「トンビフクロウ」と「毛皮ちゃん」と名付けた指人形たちが、紙芝居にまとめた私の履歴を語っていくのですが、これが驚きました、目から鱗でした。鴻池は大学に入ったけど全く性に合わなかった、なんて過去のインタビューの言葉をきちんと入れながら、美術館の作品集図録に書いてある展覧会履歴とはまた違う視点で学芸員が語っていくのです。作家の履歴も作品の感じ方同様に、読む人によってまるで違ってきて、自分の履歴ってこんなに面白いのかと。新鮮で、ものすごく頭に入ってくる。大島のハンセン病療養所での作品制作の話も、指人形と紙芝居で語ると、鴻池さんはそこで作品を作ったんだって、でもすごく息苦しかったんだって、と、その声は小学生たちにも素直に伝わるんですよね。

「旅する学芸員と指人形一座」実演中
撮影:小山田邦哉 提供:青森県立美術館

●《指人形》

奥脇 今日僕は創造館にも《指人形》を三体運んできました。昨日鴻池さんと電話で話して、いま嵐ですが《指人形》を持っていきますかって言ったら、当たり前じゃないのって。ふわっと傷つかないように持ってきていいですよって。持ってくることの方が僕にとって優先されることなんだという鴻池さんの考えが伝わりました。

鴻池 奥脇さんは指人形が濡れちゃまずいしと、大切に思って心配してくださったのですけれど、指人形は使って触ってもらえなければ作品として成立しないので、もし壊れたとしても、私が直せばいいんです。触れないでいることよりも、壊せとは言いませんが、少なくとも私の作品は優しく触れてみてほしいと思います。

撮影:コンドウダイスケ

奥脇 黄色い子とか青い子は運びやすいのですが、鳥の羽根が両脇についている子は持ち運ぶのが難しくて、この羽が曲がっちゃったら直しづらいなと思って、やっぱり二体にしてもらおうかなと思ったのですけれども…どうしようかなと思って給湯室を見たら、空のアルミの箱があってめっちゃぴったりでした…。青森県美には、この指人形が70体くらいいますので、ぜひいらしていただいて、それぞれの違いを見てみてください。展示で全てのお客様に触っていただくというのはなかなか難しいですが、触ってみないと、どれだけ強く触れば壊れるかなというのも、分からないですよね。自分の力加減なんて。手を入れて、遊ばないと全然ダメなんだなって。ちなみに鴻池さんはこの人形たちをどのような発想とかタイミングで作っておられるんですか?

《指人形》撮影:コンドウダイスケ

鴻池 指人形は夜作っています。これは自分にとっては遊びですので、こそこそと楽しい趣味として作っていました。趣味はお金にならないけれど、人間は役に立たないものであっても、何か作ってしまうということがあって、そこに無心になれる喜びがあったからこそ続いてきて、今やアートという言われ方をしたりします。明治以降に美術という概念ができ、その体系の中や教育の一つとして美術や芸術が入ったけれども、本来はそういうものとは成り立ちが全く違うということが遊んでいるとわかってきます。当然小さい頃、秋田にいる時は、その感覚だけでした。いわゆる作品やプロジェクトとは違う、趣味でつくった指人形約70体、自分の中から漏れ出したようなものが、実は展覧会の骨組みを支え、大事な位置にあるというのは今回の展覧会の特徴です。制度の内側外側をまたぎながら作られていった展示ですから、展示室だけに納まるわけがないんです。

美術館通用口の《物語るテーブルランナー》
撮影:小山田邦哉 提供:青森県立美術館
空調管理室の《指人形》
撮影:小山田邦哉 提供:青森県立美術館

奥脇さんと美術館の下見をした際にバックヤードから屋根から、躯体の構造図面も見ながら何度も歩き回りました。職員の方々や守衛さんが毎日出入りする通用口には《物語るテーブルランナー》を展示しました。美術館に来る作業の方、配達、営業の人とか、そういう働く方がチラッと見る。バックヤードに作品があるのは面白いですよね。毎日館内をお掃除してくださる清掃さんの控室からも、なんか可愛いやつを一つお願いしますってリクエストをいただいたり、空調室にカマキリの《指人形》を置いたりしました。

美術館の表の制度を支え、裏の骨組み構造へと、《指人形》たちや《物語るテーブルランナー》は隙間を縫うようにして点々と置かれています。これも本来のインフラから抜け出す一つの《リングワンデルグ》と言えるかもしれません。雪山での道標のように道の途中にポツポツと置いてある。こういうアイデアはコンセプトや考え方などから来るものではなくて、元々の私の視点に問題があるのだからと思います。私は作品をつくり展示をする際、絵の額縁の中だけ見るのではなくて、額も額の隣にある壁も気になるし、さらに壁構造や材質、そこで働いている人も見えてくるので、こっちが絵でこっちは絵ではない、というような分類や見方がそもそもできないんです。

●国立療養所松丘保養園の社会交流会館

鴻池 こちらは青森県立美術館から車で10分くらいの、今回のサテライト会場である松丘保養園の社会交流会館です。《狼ベンチ》のその背景に点々とあるのは風車で、作られているのは入所されているアーティストの伯龍さんという方です。

サテライト会場である国立療養所松丘保養園の社会交流会館に置かれた《狼ベンチ》 と入所者であった伯龍氏による《風車》
撮影:小山田邦哉 提供:青森県立美術館

皮に描かれた三角の絵は、この保養園の隣にある新城中学校の美術部と、青森市のもう少し北に行ったところにある北中学校の総合文化部の学生さんたちに、私の下図を元に描いてもらった六角堂の天井画の4枚です。現地に取り付ける前に展示をしました。新城中学校の学生たちとは、松丘保養園の散策マップも制作中です。この天井画の発端になったのは、奥脇さんと初めて出会った2015年の「みちの奥へ」というワークショップです。その際、私は青森の梵珠山にある六角堂という山小屋の天井に皮絵を設置してきました。ただ天井の面が6枚ある内の2枚しか収めてなかったので、10年後の今回、なんとかそれを完成しようと中学生たちの力を借りて描き上げたという訳です。
みちの奥へ

撮影:小山田邦哉 提供:青森県立美術館

ここでは、熊本にある国立療養所菊池恵楓園の絵画クラブ、金陽会の作品も展示しました。今回の青森も、また、リレー展をしてきた高松、静岡でも、金陽会の絵を研究し広めておられる、藏座江美さんというキュレーターの方とともに展示をしました。

成瀬豊さんのスケッチ
撮影:小山田邦哉 提供:青森県立美術館

また、かつて熊本の菊池恵風園の金陽会の発足メンバーで、後々、青森の松丘保養園へ移られた画家の成瀬豊さんという方もいらっしゃいました。今回はその成瀬さんの絵画や療養生活の中での面白いメモやスケッチなどを、金陽会の作品と共に展示してみました。国立ハンセン病療養所は全国に13カ所あって、松丘保養園はその一番北にあたります。私は瀬戸内国際芸術祭で瀬戸内海に浮かぶ国立療養所大島青松園でも作品制作を続けていることもあって、青森に療養所があるのだったらぜひそこで一緒に何かやってみたいと思いました。そして展覧会の1年くらい前から奥脇さんを通じて園にお声をかけていただいて、園長さんはじめ学芸の澤田さんや樹木医さんなどいろいろな方に巡り合いました。自治会長さんとお目にかかると、なんと横手出身の方でした。私が秋田市出身ですと言うと、すごく喜んでくださって、この時ほど自分が秋田でよかったと思ったことはありません。初対面でしたが、昔のある時期の秋田の風景をお互い知っているというだけで、それだけで風土の記憶が両者をつなげてくれるのです。

ここ松丘保養園では来週、山川冬樹さんというアーティストで秋田公立美術大学の教員でもある方が、パフォーマンスをしてくださいます。山川さんはハンセン病史の研究もされていて、彼と私は2015年の個展「根源的暴力」で出会い、それからパフォーマンスを何度かご一緒にさせてもらうようになり、ハンセン病の歴史を山川さんから教わりました。今回も私は指人形と朗読で参加する予定です。また、菊池恵風園の金陽会の絵には、なぜかものすごくキラキラとした生きるエネルギーが満ち溢れていて、出会った時には大変驚きました。隔離生活の中での生きる力、喜び、創作の力、何か美術の本質的なことと密接に関係があるのではないかと感じます。私はそれまでハンセン病のことを何も知らずに生きてきましたし、戦争経験もなく差別にも鈍感で、宗教のこともよく分からないような人間で、何かを感じるというのはすごくおこがましく思えて難しいことでしたが、金陽会の絵や成瀬さんのスケッチなどを見ると、とても楽しくて親しみが湧き、自然に通路が開かれるような気がしてきます。

奥脇 ここにある作品で僕が特に面白いなと思ったのは、成瀬さんのスケッチ、作品のためのアイディアドローイングみたいなものとか。それらはチラシとか新聞記事とかをスクラップして貼ってあって、その新聞記事の写真が載っている隙間のところに魚の頭の絵を発見したりとか、人の顔を描き加えてみたりとか、踊り方とか描いてある。なんだろう、自分の持っている身体の延長にノートがある。ノートの上で自分の手の動きのトレーニングを重ねていく、そこに図と地をひっくりかえしながら別のイメージを見出している。成瀬さんは、目が見えていたので、目の見えない患者さんのを介護もしておられたそうです。別の体を、感覚をもつ者同士がいかに共にあり、見えることと見えないことの「きわ」で遊べるか。遊びと言っても真剣勝負のその様子からは、生半可な「作品」には出せない気迫が漂っている気がします。緊張感があるとかではないのですが、そうした時空を越えたエネルギーのリレー、持続のようなものを展覧会の中で感じていただけるとうれしいですね。なので展覧会に行ってくださる方がいたとしたら、美術館の後、松丘保養所に寄っていただけたらと思います。松丘の森の中にある、アートが生まれる場所としての社会交流会館を見ていただきたいです。

鴻池 作品を鑑賞するとき、その人によって感じることが全部違うんですね。全部違うということが大事です。


Profile

鴻池朋子 Tomoko Konoike:
絵画、彫刻、手芸、歌、映像、絵本など様々な画材とメディアを用い、また旅での移動や野外でのサイトスペシフィックな活動によって、芸術の根源的な問い直しを続けている。主な個展:2009年「インタートラベラー神話と遊ぶ人」東京オペラシティギャラリー、2015年「根源的暴力」神奈川県民ホール、群馬県立近代美術館/芸術選奨文部科学大臣賞、2018年「Fur Story」リーズ芸術大学、「ハンターギャザラー」秋田県立近代美術館、2020年「ちゅうがえり」アーティゾン美術館/毎日芸術賞受賞、2022年「みる誕生」高松市美術館、静岡県立美術館/紫綬褒章受賞など。グループ展:2016年「Temporal Turn」スペンサー美術館・カンザス大学自然史博物館、2017年「Japan-Spirits of Nature」ノルディックアクバラル美術館、2018年「ECHOES FROM THE PAST」シンカ美術館、2022年「Story-makers」シドニー日本文化センター、瀬戸内国際芸術祭など。著書に絵本『みみお』(青幻舎)、『どうぶつのことば』、絵本『焚書 World of Wonder』(羽鳥書店)など。

Profile

奥脇嵩大 Takahiro Okuwaki:
1986年、埼玉県生まれ。京都芸術センター・アートコーディネーターや大原美術館学芸員を経て、2014年より青森県立美術館学芸員。「青森EARTH」展覧会シリーズや「アグロス・アートプロジェクト」「美術館堆肥化計画」等の企画運営を通じて、美術館とその活動に生きることを再設計する場としての役割を実装することに関心をもつ。「鴻池朋子展:メディシン・インフラ」担当学芸員。



構成|熊谷新子(秋田市文化創造館)
掲載日|2025年2月15日

記事

クロストーク「秋田、能登、クンストハンドヴェルク (アートと工芸)」レポート(後篇)

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クロストーク「秋田、能登、クンストハンドヴェルク (アートと工芸)」レポート(中篇)

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クロストーク「秋田、能登、クンストハンドヴェルク (アートと工芸)」レポート(前篇)

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