対談「地図と熊と美術館」
鴻池朋子(アーティスト)
+ 奥脇嵩大(青森県立美術館 学芸員)
日時:2024年8月16日(金) 15:00-17:00
会場:秋田市文化創造館 2階 スタジオA1
主催:秋田市文化創造館

アーティスト、鴻池朋子さんの近年の作品展開を様ざまなアプローチのもとに紹介する大規模な個展「メディシン・インフラ」が、この夏、青森県立美術館で開催されました(2024年7月13日-9月29日)。展覧会のポスターになった作品《メディシン・インフラ・マップ》には、森吉山と阿仁川と、安らかな熊の親子が描かれており、全体図はさらに遠い北米大陸まで広がっています。秋田出身の鴻池さんの地図に「国境」はないのかもしれません。屋内外問わず様々な場所や素材で作品をつくり、多くの参加者を巻き込む〝個展〟をし、「もはやアートの観客は人間だけではない」と語るアーティストの真意は何なのか。この度の展覧会で鴻池さんと担当学芸員である奥脇嵩大さんが試みる、これからの美術館の可能性と実践についてお話しいただいた、レポート前篇です。
前篇
●東日本大震災を契機として
鴻池 鴻池朋子(こうのいけともこ)です。皆さま今日はいらしてくださってありがとうございます。
奥脇 青森県立美術館の奥脇嵩大(おくわきたかひろ)と申します。よろしくお願いいたします。
鴻池 音声認識による文字起こしのスクリーンもあるのですね。耳の聞こえない人たちが見えるようになっているのはすごくいいと思います。この度の展覧会「メディシン・インフラ」の参加者にも耳が聞こえない歴史学者である木下知威(きのしたともたけ)さんという方がいらっしゃって、今ちょうど青森の美術館と松丘保養園の社会交流会館に逗留され、「飄(つむじかぜ)」と題した公開執筆と筆談をされています。

奥脇 その執筆の素材集めのような形で、美術館の近くにある廃れた神社に一緒に行ってきました。昨日はとても暑かったのですが、藪を漕いで、結局藪の中に埋もれてしまって神社は見つからなかったのですが、そのことも執筆できますね、と。そのような執筆の様子も展示にフィードバックされて、会期中も展示がどんどん増えていっていますね。

木下知威さんもそうですし、今日この会場にいらっしゃっている石倉敏明さんと山川冬樹さん、それと福住廉さん、尾花賢一さん、秋田公立美術大学の先生にもたくさん参加していただいています。鴻池さん個人にとどまらないような、簡単に完結されないものを作るということ、その動的な営み自体を展示している、そういった部分が今回の展覧会の特徴です。

そのような鴻池さんのものをつくる営みがどこから来ているか…やや乱暴な言い方で恐縮ですが、鴻池さんは東日本大震災の前後を契機にして、自分一人で完結するような制作のあり方に興味がなくなったように見えます。震災後に限っても2011年から13年間、例えば森吉山の山小屋に作品を入れたり、研究者、学者の方々と協働しながら作品を探ったり、それとここが文化創造館になる前、県立美術館だった頃に「東北を開く神話」という市民の方と一緒に作る展覧会を試みたりとか。従来の美術の制度や、美術館・ギャラリーという場所の外で成立する制作を10年以上試みておられて、「メディシン・インフラ」はそういった営みの現在形としての展覧会となります。

鴻池 青森では、震災以降の試行錯誤がいろいろと形になって、今も変わり続けている様子が展示されていると思います。今、奥脇さんは、私が個人で完結する制作に興味を失った、とおっしゃいましたが、結果的にそういう風に見えるのですが、ちょうど3.11の日は、東京で個展をやっていました。大きな震災を体験した数日後にギャラリーに戻ると、自分の作品なのに不思議な違和感を覚えたんです。全く興味がなくなっている。
それまで仕事をしてきた美術という形式では、現実の震災の状況を乗り越えていくことなんてまるで通用しない、その無力感のようなものかもしれません。作品というものを発表し、それを買い上げて〝宝物〟として保存していくコレクターや美術館がある一方で、私たちにとって大切なものはそういう物なのかな?という疑問も生まれました。なぜか、こんなことしている場合じゃないな、早くこの美術的なものから抜けださないと、と思いました。つまり〝震災を契機に〟という言い方をされますが、たぶん私の美術や芸術への根本的な違和感は元々あったものです。それが、震災を契機に素直に身体の奥から出てきたら止まらなくなった、やばいなと思いました。そこに更年期障害も加わり情緒不安定。新しい身体と古い様式が合わなくなっていることに戸惑い、制作でさまよう日々がそれから続きました。
●「東北を開く神話」(2012年)
鴻池 東北の震災の翌年2012年、藤田嗣治の壁画が新美術館に移設されるまさにその最中に、高階秀爾さん、山梨絵美子さんと鼎談をしたことを覚えています。1階では展覧会「東北を開く神話」の第1章が行われていました。秋田でものづくりをする作家さん、大工仕事の上手いお父さん、縫い物の上手いお母さん、学生、学校の先生など多くの方々と個別に話し合って作品を作り、展覧会を開催しました。お堀の向かいには新規の秋田県立美術館が建設中でした。これから新しい美術館が出来上がって、この古い建物はどうなるのだろう?という頃でした。それがこの場所の思い出です。
実は「東北を開く神話」は、初めは、秋田をテーマに個展をしてほしい、というような秋田県側からの希望でした。けれども自分が東京でやっているような展覧会形式をそのまま秋田に持ってきてやって果たして面白いのだろうか、という疑問が浮かびました。


秋田県が提案する「秋田」というテーマも漠然としてよく分からない。自分一人で考えても埒があかず、秋田に住む人たちと一緒に考えながらつくっていくような方法がよいと思って、大町のココラボラトリーというアートギャラリーにご協力いただき、そこに集う方々を中心にたくさんの方々と面談し相談会を開きました。「分からなさ」に向き合う準備のための場であった「東北を開く神話」の要素が、もしかしたら今回の展覧会「メディシン・インフラ」における《新しい先生は毎回生まれる》というコーナーに繋がっているのかもしれません。
●「ちゅうがえり」(2020年)
奥脇 自分一人では埒が明かない、と他の方を頼りにするのは「分からなさ」との向き合い方としてとても素直なあり方ですね。でも地震や津波といった一人の力では到底及ばない出来事に見舞われ続ける私たちにとって他者を頼りにする、というのはアクチュアルなやり方だとも思います。先ほどおっしゃった、宝としての「美術」への違和感についてもう少しお話しいただけたら。
鴻池 美術館は、〝宝物〟すなわち美術として公的に価値のあるものをコレクションとしてたくさん持っている場所、収蔵庫です。2020年に旧ブリヂストン美術館がアーティゾン美術館として生まれ変わり、初の現代美術展を開催するという時にオファーを受け、「鴻池朋子 ちゅうがえり」という展覧会を開催しました。アーティゾン美術館は素晴らしい美術品をたくさん持っています。その個展では、コレクションから私が好きな作品を選び、一緒に展示をするというテーマがありました。つまり、展示を通して近代から現代へと美術がつながっている、ということを表すためだと思います。私は何の抵抗もなく、壮大なコレクションの中から自分の好きな作品が選べるんだと思ってワクワクして立派な収蔵庫へ行ったんです。そうしたら、たくさん見れば見るほど簡単に自分が目移りし始め、また何かを選ぶと、その作品と自分の作品に関係っぽいものが生まれ、体系付けられ「物語」がすぐに出来上がる、この妙な感じは何だろう?と思いました。
例えば、青木繁の《海の幸》(1904年)を選び、私の作品と並べて展示します。すると青木繁と私の作品をつなぐストーリーが出来上がってしまう。私の作品の横にピカソの絵を持ってきてもセザンヌを持ってきても、そのようにこちらが並べて展示さえすれば、そのような美術体系が描けてしまう、簡単に。そこに何の関係がなくとも視覚と言語を持つ人間(観客)は、観た物に関係性と物語性をもって創作する。視覚中心の美術とは本当に危ういと思いました。
そもそも美術館のコレクションとは美術館が集めたものです。あらかじめ誰かが選んだものの中から選ぶのですから、既に大前提が出来上がっている。またアーティストというのは時に情報操作する側、特権的な立場に立たされるということにも気づきました。それが妙な感じがした理由です。ということで最終的に選べなかった。それで担当学芸の方に自由に選んでもらいました。選べない、という失敗体験が大事でした。
奥脇 それくらい美術の価値というものが言語化されて、確固たる基準が与えられている。それとアーティストの存在は不可分のように、なんならマッチポンプのようにさえ考えられてしまうところもあると思うのですが、アーティスト個別の身体や活動は美術という分野を権威付けすることには本来なんら関係ない、というのは確かにその通りですね。
鴻池 本来は私のやっている仕事は有用性もなく、誰の役にも立たなくてもいいものだと思っています。まずは本人が生まれてきて呼吸して、それぞれが生きていくという本質的なことに少し関係していればいいくらいです。そこに立ち戻って、今私は仕事しています。美術教育的な場所に連れ出されて、そこのリーダーや先生みたいな立場に立たされる場合もありますが、誰かつくった体系や歴史に組み込まれる居心地の悪さというか、よく分からないところがあります。
●「みる誕生」(2022)から「メディシン・インフラ」(2024)へのリレー
鴻池 「みる誕生」という展覧会は、2022年の7月に高松市美術館で開催され、11月には静岡県立美術館にリレーされ、そして今回2024年青森県美にやってきました。2020年にアーティゾン美術館の個展が終わった頃、3館の学芸員さんたちにスタジオに集まっていただき話し合いをスタートしました。その際、私はパッケージングされた巡回展は興味がない、人は生きてどんどん作品も変化していくので違う呼び方が必要だとお願いしたら、奥脇さんから、それでは巡回ではなく「リレー展」と呼んではどうか、というご提案があり、それに決めました。アーティストは生き物だから日々変わっていくし、学芸員さんたちも変わっていく。各館で閉じないで、展示をバトンタッチしながら学芸リレーもして、そういう動的なものを捕まえ展覧会の構造に組み込みたいとお願いをしました。コロナ期で世界中が閉塞感に包まれている頃でした。
奥脇 オンラインで打ち合わせしつつ、埼玉の鴻池さんのアトリエにもうかがいましたね。高松の展示プランを話し合う時に、学芸員たちと鴻池さんが揃いました。こういう空間があるから、こう工事して、こう作品を置く、と積み重ねてフィックスしていく、展示空間を作るいつもの方法で話をしていて。でも、そのやり方で果たして鴻池さんの動いている身体とか、変わっていくことに美術館という場は応答できるか。コンセプトを引き継ぎながら、会場ごとに何か動く、深まる、進化を促すやり方を託せるのではないかと、「リレー展」を含めて、いくつか呼称を提案させていただきました。青森では、1年半おいて、高松と静岡で行われていたことを一部生かしながら、「リレー展」たり得るプランの実現に注力させていただいた感じです。
「私は生きているし、変わるものだから(展示もそれに即応するものにしたい)」と、素直に言われたのが衝撃的だったことを覚えています。展覧会は見せることに供するべくそれを固定化せざるを得ない。せっかく生きたアーティストと展覧会をつくらせてもらうのだから活き活きしたものにしたい。だって生きているわけですからね。今まで美術館があてにしていた、巡回する展覧会というものが、作る人や、作られたものの背後にある人々の存在とか、作品自体とちゃんと向き合っていたか、その態度を反省させられました。アーティストは生きて動いている、それに身を任せてみよう、という考えを根本に、今回の展示はできています。
鴻池さんが息のできる場所を求めて、日本全国、東北を中心にしていろいろなところに作品を預けて回る「メディシン・インフラ」というプロジェクトを、青森の展覧会の前から、鴻池さんは動かしておられて、プロジェクトのランドマーク的な意味で、この美術館の展示を作ってもらっています。
●《リングワンデルング》
鴻池 また、「雪」という素材で、何かしたいということは小さい頃よりありました。2012年の「東北を開く神話」展の際は大雪だったので、ここの旧美術館の庭に迷路のような足跡作品をつくりました。山で道に迷って、何度も同じ道をぐるぐる回ってしまうことを登山用語で「Ring wanderung/リングワンデルング」(ドイツ語)といい、その言葉をタイトルにいただきました。この雪の作品はなかなか観客には気づかれ難かったのですが、秋田公立美大に赴任された石倉敏明さんが観に来られて偶然発見されて、鴻池さん外の小道いいですね、と言ってくださった。あ、気づいてくれた方がいた嬉しい。人類学者のフィールドワークの視点です。

40人くらいの参加者の、やりたいことについて何度も相談に乗りながら、一緒に作品を作っていきました。いまだにその何人かとは今も大事なものづくりの関係が続いています。美術館の展示の中だけに注目するのではなく、そこに納まりきらない、日々生活することに繋がっている話を聞く。呼吸することのように人は何かをつくっています。
アーティストは職業ではなく、その各々の過程に、その人自身の中に存在するものだと思います。「東北を開く神話」展では、手芸をする仲間との出会いがありました。「秋田」や「美術」とかという分類とはまるで関係なく、シンプルにものを作るという点で何か通じ合う感じがありました。その後、《物語るテーブルランナー》など多くの作品制作を一緒に続けています。当時の「東北を開く神話」や、「みる誕生」から続く今回の「メディシン・インフラ」は、ものをつくる人々が交差し、変身する場所とも言えると思います。


撮影:小山田邦哉 提供:青森県立美術館
●「年度」という時間の縛り
鴻池 国立、県立、市立美術館、というように各行政の組織はどうしても、公的な予算、税金が関係してきますね。年度予算が決まっていて学芸員はその予算内で展覧会を考えます。それで、例えば、その金額に寄せていかなくては成立しないようなものづくり、その当たり前の思考を、一回やめてみる。「年度」という枠組みと、人間が生きていく時間はそれぞれ違います。それで、各々の県立美術館の予算は本当は1年間で締められるはずですが、〝3館のリレー展〟であるというコンセプトで、奥脇さんは3年後、4年後に青森でやる展覧会のために、2021年に高松市美術館に出張して打ち合わせしたり、収蔵庫に入って展示品を選んだり、よその美術館へ手伝いに行ってくださった。
高松市美の学芸員の毛利直子さんは静岡県立美術館へ展示の手伝いに行き、静岡県立美術館の木下直之館長は、青森県美のサテライト会場の松丘保養園で、展示と講話に参加してくださいました。役職についている方々に自分が無理を言っているのはわかっていましたので、加勢していただいたこと、協力していただいたことに感謝です。
2022年の高松市美術館が終わったら、普通はそれで終わり、次の美術館に巡回して持っていき、次の美術館も展示作業は独自に進めるでしょう。けれども私たちは生きているし、時間はずっと繋がって、その時間を生きているわけだから、カチっと止めて完成などできない。学芸員も生きていて変容し続けている。でも県立美術館は「年度」で時間軸が決まっている。そういうやり方が、何だか身体と合わない。ならば、その方法を一度やめてみる。違うと思ったらやめてみればいいし、やりたいと思ったらまたやってみる、そういう実験しながら柔軟な体であることも確認したかった。
また、全国の美術館の予算は限られており少ないです。私は今回も含めこれまで個展では多くの自己予算を結果的にかけてきました。行政予算には元々期待はしていません。その予算の考え方も、時間の捉え方も他のアーティストの方とはかなり違うと思います。
奥脇 鴻池さんと一緒に手を動かす人たちもそうだし、僕ら館にいる学芸員も、それぞれみんな自分の力を持ち寄る、みんなができることをまずやってみる、というところを信じて、作っていけたのは面白かったです。インディペンデントの場合はまた異なると思うのですが、僕ら公立美術館の学芸員(キュレーター)は半分公務員のようなもので、その性質ゆえか自らの仕事や活動に由来する責任に無自覚でありがちというか、その仕事に由来するテクニックを役に立つものとして生かし切れていないところがあるように思う。自ら不能化させてきた自らの職能としての美術館活動-収集作品なり歴史なり、が積み上げてきた重さに自壊してきているところもあるな、と。鴻池さんが、そんな自分たちに残るテクニックとか感覚も動員してくださりながら作品展開や展示をつくっていただいているというのは何というか、うれしいものでした。
Profile
鴻池朋子 Tomoko Konoike:
絵画、彫刻、手芸、歌、映像、絵本など様々な画材とメディアを用い、また旅での移動や野外でのサイトスペシフィックな活動によって、芸術の根源的な問い直しを続けている。主な個展:2009年「インタートラベラー神話と遊ぶ人」東京オペラシティギャラリー、2015年「根源的暴力」神奈川県民ホール、群馬県立近代美術館/芸術選奨文部科学大臣賞、2018年「Fur Story」リーズ芸術大学、「ハンターギャザラー」秋田県立近代美術館、2020年「ちゅうがえり」アーティゾン美術館/毎日芸術賞受賞、2022年「みる誕生」高松市美術館、静岡県立美術館/紫綬褒章受賞など。グループ展:2016年「Temporal Turn」スペンサー美術館・カンザス大学自然史博物館、2017年「Japan-Spirits of Nature」ノルディックアクバラル美術館、2018年「ECHOES FROM THE PAST」シンカ美術館、2022年「Story-makers」シドニー日本文化センター、瀬戸内国際芸術祭など。著書に絵本『みみお』(青幻舎)、『どうぶつのことば』、絵本『焚書 World of Wonder』(羽鳥書店)など。
Profile
奥脇嵩大 Takahiro Okuwaki:
1986年、埼玉県生まれ。京都芸術センター・アートコーディネーターや大原美術館学芸員を経て、2014年より青森県立美術館学芸員。「青森EARTH」展覧会シリーズや「アグロス・アートプロジェクト」「美術館堆肥化計画」等の企画運営を通じて、美術館とその活動に生きることを再設計する場としての役割を実装することに関心をもつ。「鴻池朋子展:メディシン・インフラ」担当学芸員。
構成|熊谷新子(秋田市文化創造館)
掲載日|2025年2月15日