秋田市文化創造館

連載

あこがれのひと

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尊敬するひとはいる、
好きなひとも、一目置くひとも。
でもあこがれのひとはそういない。
あこがれのひとに話を聞きに行きました。

菅原エイ子さん

(永楽食堂 女将)

秋田駅から徒歩5分のところに
「永楽食堂」はあります。
ここで、日本酒を好きになりました。
県内外のお客さんが、狭い店内で、リラックス
して酒と料理を大いに楽しんでいる。
この世の憂さ晴らしって感じで。
ここが、秋田のアンテナショップ。
いつも忙しそうにしてるから、
女将さんのお名前さえ知らなかった。
今日は根掘り葉掘り聞いてもいいですか。

あらためてお名前から

菅原エイ子です。1949年11月1日生まれ。井川町で育ちました。和洋高校(現令和高校)を卒業して就職は「日本食堂」。寝台列車でウェイトレスをしていました。

お店を始めるきっかけ

うちの旦那は次男坊で実家は潟上市、佃煮屋をやっています。「菅淳商店」。今は5代目で、私が嫁にきた頃は50軒くらいあったんだけれども。旦那は高校を出てから東京の築地に就職して、体調を悪くして2年で戻り、実家を手伝ってたの。

昔は行商の人が、籠を背負って、佃煮を売って歩くのよ。その行商のおばさんたちに、「市場の店舗が空いているから、何か商売やらない?」と言われて、永楽食堂を始めました。市場はもともと、もっと駅前のほうに、1964年、前の東京オリンピックの年、12月にオープンしたの。私が嫁いできたのは1970年。21歳のとき。

お見合いよ。ちょうど彼氏にもフラれたっていうか。付き合っていた彼が末っ子だったの。結婚しても家に入れないでしょ。アパート暮らしなんでない? ということで、電話が来てもつながないようにと母親が兄嫁さんに言ったみたいで。そういうときにお見合いの話。不貞腐れていたというか。本当に一緒になってから、こういう人だったんだ、って。

青春時代は寝台列車

日本食堂には2年いました。ナイフとフォークとスプーンをテーブルに並べるところから。シェフになる国家資格を取りたいひとは、次の発車の時間までに厨房で、自分で買ってきた食材で料理をします。洋食。1級さんという人が偉くて、その人の指示に従って勉強する。メンバーが1カ月一緒で、チームで動く。1級さんが、今日は赤札堂に行きますよと言ったら、はい、ってみんな付いて歩くの。寮は荒川。

当時は東京駅がまだなくて、上野駅が発着。仙台との間を寝台列車で往復していました。東北新幹線が開業したのは1982年。秋田と仙台の直通もなかったの。新庄を経由して。仙台は本当に遠いというか。

1967年、ビートルズが1年前に東京に来た、あの頃なの。好きというか、みんなが騒ぐから。あと、美川憲一ね。舟木一夫や橋幸夫。飛行機もそんなになかったから、列車で芸能人にも出会えて。一番びっくりしたのは、クレイジーキャッツの谷啓さん。本当に小さい人なの。楽しかった。

仕事と子育ての両立

市場の食堂が軌道に乗るまで、私は、子どもをおんぶしながら潟上市の佃煮屋のほうを手伝っていました。春と秋は特別たくさんの量のお魚が入るので、青森の小川原と、宮城の女川の工場が大忙しで。海のものがどれだけ揚がるか分からないところで、漁に入る前に何千万円と契約するの。大変なのよ。長男が取引を仕切っていた。

子どもたちが幼稚園の頃には、市場の店をずっと手伝うようになりました。みんなやらなければいけない、家庭料理と同じ、特別なものはない。煮たり焼いたり、天ぷら類、皿洗いも。得意な料理はない。全然ないです。朝早く、子どもたちが眠っているうちに家を出るのよ。家から3時頃に出たんでない。ある日うちに電話をかけても出ないので、隣の奥さんに電話をして、子どもたちをちょっと見にいって、とお願いしたり。お隣さんとも、そういう関係の時代でした。

永楽食堂の人気メニュー

お店は、麺類とか定食とか。夜泣きそばがあったのよ。屋台で、ラッパを鳴らして。夜泣きそばの奥さんとうちのおばあちゃんが友達で、その奥さんと一緒にラーメンもやったの。

4人掛けのテーブルが2個、カウンターが10人、あと2人掛けが1個。忙しいのはやっぱり朝とお昼。朝は夜勤明けのJRさんが浴びるほど飲む、昼までよって。夕方は5時までで、魚屋の旦那たちが帰る間際によく飲んでくれて。ビールは「キリン」と「アサヒ」、あと「高清水」。

定食はご飯とみそ汁、市場に美味しい魚がいっぱいあるから、市場の通路で、七輪を団扇でぱたぱた。サバとかニシン。丼ものやタンメン、豚や鯨や馬の肉鍋も人気で、海老を持ち込んでその場で殻を剥いておかずにする方も。夜行列車で朝着いた人たちが、市場にわざわざ朝ごはんを食べに来るのよ。それか、「まんぷく食堂」さん。以前は駅前に、金座街と銀座街があって、そこでまんぷくさんが2軒お店をやってあった。

秋田市民市場の移転

今の場所に市場が建て替えられたのが2002年です。そのとき、やめようと思ったの。旦那が、次に何をやるにしても、まず一回、市場の外の世界を見たほうがいいって。私、50を過ぎてたかな。スーパーもコンビニもいっぱい、時代背景が変わり、市場も下火になって。

昔は本当にご飯を炊くのも大変。お米を6個あるザルに研いで、次の日のものを冷蔵庫に。じゃないと間に合わないのよ。そのくらい忙しかった。1日に、最低でも1斗2升。今だったら考えられない。2升でも、ご飯が残るから。

※1合は約180ml、重さは約150g、お茶碗約2杯分。10合で1升(しょう)、10升で1斗(と)、4斗で1俵(ひょう)、10斗で1石(ごく)となります。

道具もみんな隣の食堂さんにあげたのよ。でも魚屋さんに、今のここが居抜きで空いている、という話をいただいて。その頃、息子が東京の居酒屋にいだったので、どうしたらいい? って電話したら、じゃあ俺帰るというので。息子は大学を出て、会社員になるはずだったけれども、会社員、自分は向かないって。

最初の数年は、AとB、ワンコインのランチがメインでした。でも50人入っても、25000円よ。よそみたいにコーヒーも出せなくて。並んでるんですもの、お客さま。夜やっても、はじめはお客さんが付かなくて。日本酒であったのは「刈穂」の超辛と、「飛良泉」の山廃純米。焼酎を5年くらいやったの。80種類くらいあった。

ちょうど、いろんな蔵の後継ぎたちが帰ってきて、今のままでは蔵がつぶれてしまうと動き始めた頃。蔵の若社長たちが戻り、日本酒が増えていきました。今はもうない大きな酒屋さんの若社長にも、利き酒3種をやったほうがいいとアドバイスをいただいて、「山本」でやったの。山本友文さんも秋田に帰っていて、店に挨拶にいらしてくださった。人望のある優しい方で。

日本酒のラインナップが揃うまで

「NEXT5」が秋田県に大きな影響を与えたんです。面倒見のいい「ゆきの美人」の小林忠彦さんが先陣を切って、「新政」さん、「山本」さん、「春霞」さん、「一白水成」さんの5社で一生懸命勉強して、協力して。これが大当たり。当初の新政さんなんて、失敗の連続よ。でも佐藤祐輔さんはずばぬけて優秀で、挑戦する力、研究心が人の何十倍も強い。ゆきの美人の小林さんが、あるとき10種類のお酒を並べて、「銘柄分かります?」って。祐輔さんがひとつだけ分からないお酒があったの。そのお酒は、新しく出たお酒で、飲んだことがないので分からなかった。祐輔さんは、自分のお酒にも、「母さん、これいつ仕入れたお酒?」って厳しい。小林さんと祐輔さんの舌はすごい。春霞の栗林直章さんは寡黙な方で、実直で、真心があって。人柄がにじみ出ているお酒。一白水成の渡邉康衛さんも愛らしいのに力強い、いいお酒です。

※ 「NEXT5」は2010年に結成された、秋田県の蔵元5名から成るユニット。技術の交流や合同プロジェクト、イベントの開催などを行なっています。

酒の管理は60歳から

私が酒の管理をしています。アルバイトたちも、大学生なので、飲める。お酒が入ってくると、まず一回飲みましょって、ちょっとずつ飲むんだけれども。私は量はあまり飲めない。でも、自分に合う合わないの好みがある。

多くが、新政さん目当てで店にきてくれるのよ。県外からも。変化に富んでいるんです。いろんな銘柄を出すじゃない? 永楽に行ったら、新政の種類があって飲めるんだというのが伝わっていて、お客さんが通ってくださるという思いがあります。自分だけ、多くの本数をちょうだいとは言えないので、取引する酒屋さんを増やして、他におすすめのお酒が何かありましたらと言うと、これが入りましたのでって、ラインナップが増えていく。

秋田以外のお酒で言うと、私個人は、栃木の「鳳凰美田」が好きなの。あとは山形の「雅山流」。福島の「飛露喜」も人気があるし、みんなおいしいのよね。みなさんの蔵から、助けていただいているというのは、身に染みています。やっとご飯を食べていけます。

こんなに繁盛していてもやっと

その分お酒を買う量が半端でなくて。他のお酒も結構箱買いしているので、大変なのよ。冷蔵庫、たくさんあるの。お店の奥にも、階段の下にも。2階にも大きいショーケースが3台ある。あと家にもショーケースが2台。それでも冷蔵庫に入らないのが2階の棚にいっぱいあるし、家にもあるのよ。

控えめにしましょうねって、バイトにも言うの。でもなかなか思うようにいかなくて。毎年失敗もあります。大学生のバイトたちが動きやすいようにお酒の配置を工夫してくれるの。6、7年前に、店の中で転んでから、足が上がらない。だんだん身長も低くなっていって、上の棚に届かなくて。メニューの字もバイトの子たちみんなで書くの。みんな上手。

今は息子が、季節の、主に秋田の食材を使った料理をしています。仕込みで、昨日も帰ったのは何時頃だろう、私が4時半過ぎ、息子が5時半。閉店が12時で、常連さんが1時頃まで。そこから、下ごしらえは、やっておかなければ。娘も開店準備を手伝っています。

──  旦那さんは?

旦那はなくなったの。来年で17年。飲む人でね。帰ったら、ベッドから落ちて倒れていた。脳梗塞。65歳手前でした。体は弱かったみたいなんだけど、スポーツが好きで、冬場はスキー。小さい頃は子どもたちと田沢湖に、田沢湖が満杯だと雫石に。夏は出戸浜海岸に、店が終わったら行くから、朝、着替えて待ってなさいよーって。

●永楽食堂
秋田市中通4-14-33(インタビュー時より移転し、これは新店舗の住所です)
018-833-1473
16:30~24:00(L.O.23:30)
予約可・日祝休

写真:大森克己 聞き手:熊谷新子 デザイン:谷戸正樹