「未来の生活を考えるスクール」第5回開催レポート
自分のためにつくること
2022.02.18
日時:2022年1月16日(日)10:30〜12:00/13:30〜15:30
ゲスト:はらだ有彩さん(テキストレーター)、野中モモさん(ライター・翻訳者)
主催:秋田市文化創造館
新しい知識・視点に出会い、今よりちょっと先の生活を考えるレクチャーシリーズ、「未来の生活を考えるスクール」。
第5回は、テキスト・イラスト・テキスタイルという複数のメディアで制作しながら「既存のレギュレーションを壊す」べく活動するはらだ有彩さん、音楽・フェミニズムにまつわる書籍の翻訳や様々な記事の執筆、加えて自主出版物のオンラインショップ運営も手がける野中モモさんをゲストに迎え、「自分のためにつくること」を考えながら、実際にZINE(ジン)をつくるワークショップを開催しました。
【午前の部】10:30〜12:00 はらださん、野中さんによるレクチャー
午前は、はらださんと野中さんの自身の活動をそれぞれ紹介してもらいました。
●はらだ有彩さんレクチャー
テキストとイラストで世界を構築して、ときどきテキスタイルでも表現するので、「テキストレーター」と名乗っています。
これまでに「女性を取り巻く社会からの視線」をテーマに本を出版してきました。
「ノイズ」を意識して「自分の輪郭」を考える
今日は、「自分のためにつくること」というテーマですが、「自分の輪郭」をぼかしてしまう「ノイズ」が社会にはたくさんあるということを意識できるといいなと思っています。
「ノイズ」とは、たとえば、以下のようなことが挙げられます。
・「この歳で水着なんて着れないよ……」と思ってしまう
・ピンク色がただ好きなだけなのに、ピンク色の服を着ていると「デート?」と聞かれる
・「年相応の格好をした方がいい」と言われる
・「ちゃんとした靴」が「ヒールのある靴」を指す
・「若い女性」と「おしゃれなおばあさん」を特集したファッション誌はあるのに、その間の「おばさん」を特集したファッション誌はないことになっている
・女性のイラストを描くと漠然と長い髪が描かれる
・「太ってないじゃん」という言葉の中には、「痩せていないとダメ」ということが無意識に含まれている
・「母親なんだから、母親らしい格好をしなきゃ」と思う
・マタニティウェアがほっこりデザインばかり
などなど……
個人から直接「こうあるべし」と言われたわけではないのに、「社会からこうあるべし」という「外圧」をかけられて、気がつかないうちに「自分の中でこうあるべしなんだよね」という「内圧」をつくり出さざるを得なくなってしまう。
こうした「ノイズ」を認識して無視することと、受け入れながらも認識していないこととは全くの別物なので、社会の中で生きているだけで、「こういう風にあるべし」と制約をかけられていることがあるのだと意識しつつ、「自分ためにつくること」について考えていくと、より自分を深く掘り下げられるのではないかと思います。
書かずにはいられないことを書く
では、自分のために書くときに、何から始めたらいいか。
私は、「書かずにいられないこと以外は、書かなくていい」と思っています。
昔、パンのZINEをつくりながら、パンは好きだけれど、「食べて、おいしい」の先の感情がないことに気がついて、不完全燃焼したことがありました。
ただただZINEというものをつくりたいという気持ちでつくり始めてしまったんです。もちろんそれもZINEをつくる動機として成立すると思うのですが、良い感じのZINEをつくりたいがために無理やりパンをテーマにしたので、何も書きたいことがなかったんです。パンの素人だからではなく、パンへの思いの弱さが故につくれなかったと今は思います。
そんな私が、実際本を書くときには、「自分のルーツ」を探ってみたり、好きなものを並べてみたり、「引っかかっていること」、「忘れられないこと」、「モヤモヤすること」、「頭にくること」などをテーマにしてきました。
具体的に、何を考えて書いたのか、本の内容とあわせて紹介します。
1.『日本のヤバい女の子』(柏書房/K A D O K A W Aにて文庫化)
【内容について】
日本の昔話や民話に登場する女の子たちの物語を、彼女たちの友達になったつもりで掘り下げた本です。「鬼」や「山姥」と呼ばれて、「ヤバイ女」にされているけれど、本当はどうだったのか、どういう結末になってほしかったかを想像して書いています。
秋田の物語では、「八郎太郎」と「たつこ姫」をとりあげました。
【考えていたこと】
「私のルーツ」を辿って生まれました。
父が江戸時代から続く煎餅屋の6代目で、母が、洗剤のCMに女性ばかりが出演すると怒るような、フェミニストでした。古いものが今まで残ってきた歴史をもっていることと、女性というふたつの要素が合わさって、「古い時代から残る女性の話」が気になるようになって書いた本です。
昔話の多くには「共感すること」が書かれていますが、「共感」は誰かが誰かを動かしたいときにつくるものなので、「誰がつくったのだろう」という疑問が生まれたんです。
「女は怖くて恐ろしいもの」と描かれることが多いですが、そう語り継ぐことで、得をする人がどこかにいるのではないか。たとえば「たつこ姫」はいつまでも美しくいたいという思いから、力があるとされる泉の水を飲んで竜になったという物語ですが、「美に囚われがちな女は愚かだ」ということを伝えようと語り継いだ人がいるのではと考えました。
2.『百女百様 街で見かけた女性たち』(内外出版社)
【内容について】
街を歩いている女性の装いから、現在ファッションでタブーとされているルールを疑う本です。
【考えていたこと】
きっかけは、ある日、『40歳でロックTは痛い』という記事がインターネットで炎上していたことでした。
この出来事を見て、根拠がないのに、タブーになっているルールがファッションには多いなと感じて、歴史を紐解き始めました。「ファッションが好き」ということもありますし、「つくる人」ではなく「着る人」として、ファッションへの思いを書いてもいいのではと思ってまとめた本です。
3.『女ともだち ガール・ミーツ・ガールから始まる物語』(大和書房)
【内容について】
「女同士の関係はドロドロしている」とよく言われますが、「本当にそう? そういうこともあるけれど、普遍的に定義することなのか?」と、フィクションに登場する女性ふたりの関係を探った本です。
【考えていたこと】
私は女友達と約15年ルームシェアをしているのですが、「いつまでルームシェアをしているの?」と聞かれることが多いんです。たぶんルームシェアをしている相手が男性だったら、「いつ結婚するの?」と、違う質問をされるだろうなと聞かれるたびに思っていました。
いろいろな映画や小説を見ても、女友達との関係は「結婚したら自由に会えないもの」と後回しになったり、実際、自分もそう友達に対して思ってしまったり、優先順位が低く扱われていることに気がつきました。
なぜ社会の中で後回しにされるかというと、「社会が最も良いとしている集団」が父母子から成る家族で、女性ふたりはそこに属さないからだなということが気になって、この本を書きました。
4.『ダメじゃないんじゃないんじゃない』(K A D O K A W A)
【内容について】
知らないうちに決められていたダメという決まりや、みんながダメと言っているからそうなのだと思ってしまっている縛りを疑うための本です。
【考えていたこと】
卒業後入社したのがブラック企業だったのですが、「新卒で入った会社には3年入るべき」という説が当時あって、それを守って3年働きました。でも辞めた後に、「3年いなくてもよかった」と思ったんです。根拠がないのにダメとされていることが世の中に多いなと気がついて書いた本です。
ダメと言ってしまった記憶もあるので、その供養のためでもありましたし、「ダメ」か「ダメじゃない」かという二元論ではなく、「ダメということはないんじゃない」と言えるようにしたいなという思いで書きました。
誰に伝えるのかを意識する
本を出すときには、「どんな影響を与えてしまうか」をいつも考えています。
道徳的なことしか書くべきではないということではなくて、自分が書いたものを誰かが読む以上、「誰にどういうつもりで伝えるのか」ということを意識して書くのがいいと思っています。
●野中モモさんレクチャー
普段は翻訳とライターの仕事をしています。商業的な出版の世界で働いていますが、昔から「自主制作」でつくられるものが好きで、2000年代の後半に、「自主制作出版物」を紹介するオンラインショップ『Lilmag』を始めました。
「自主的」ということが重要
「ZINE」は、英語では一般的に、「個人または少人数の有志が非営利で発行する、自主的な出版物」を指します。
日本では輸入された概念になるので、妙におしゃれであったり、スタイリッシュなものとして紹介される場面が多かったのですが、本来そうとは限らない、もっと幅の広いものです。自由に好きなことを書いていい、「自主的」ということが重要な点だとずっと主張してきました。
言葉が何を指すかは、世の中の状況によって変わってくるものなので、「これが正しい定義」とは言えませんが、近年では「自由につくる」部分に重点を置いて紹介されることが増えてきたので、いい傾向だなと思っています。
Magazine→Fanzine→Zine
英語で「Magazine(マガジン)」という言葉が定期刊行物を指すようになったのは、18世紀と言われています。もともとアラビア語で「弾薬庫」や「倉庫」を意味する言葉だったのが、「情報を集積する場」「情報の集まった出版物」として使われるようになりました。
そこから、時代が進むと共に印刷の技術が庶民の手にも届くようになり、1920-30年代頃に何かのファンがつくるマガジン、すなわち「fanzine(ファンジン)」が生まれました。映画やSFのファンの活動がよく知られていますね。
その後、さらに技術が進化して、何かのファンとしてグループをつくらなくても、もっと気軽に個人で出版活動ができるようになった。既存のジャンルに収まりにくいものや、より個人的な出版物が増えるのにしたがって、「ファン」が省略されて「ZINE(ジン)」という名称が一般的になっていったものと理解しています。また、ZINEのルーツはいわゆるファン活動だけでなく、政治的なパンフレットや、もっと私的な日記や文通の文化にも見いだせますよね。
コピー機がアメリカで普及しはじめたのは1970年代。日本では1980年代。
1980年代後半から1990年代前半、個人の情報発信が容易になったけれども、まだインターネットが一般的ではなかった時代がZINEの黄金期と言われています。ZINEは大手出版社が取り上げない、まだ商業的には成り立たないとされる情報が集まる場として栄えたのですが、そうした情報は次第にインターネットに移っていきました。
90年代の一時期、インターネットは個人と個人が容易につながることのできる理想郷のように歓迎されましたが、2000年代に入って、結局は大資本が大きな力をふるう商業的な空間になっていきました。芸能人のブログが人気を集めたり。そのときにZINEの再発見のような動きが起こったのだと思います。
日本でも自主的な出版文化は、昔から「同人誌」や「ミニコミ」と呼ばれて栄えてきました。ただ同人誌は現在では漫画のイメージが強く、ミニコミは学生運動の中からマスコミに対する批判として生まれた言葉で、ネット以前の時代に流行したものという印象がある。出版のありかたが変わってきた2000年代に、小規模の出版を指す別の呼び方が求められた。そこで「リトルプレス」や「ZINE」という呼び名が日本で広がったと思っています。
自然な自己表現
今日は実際にZINEをつくる場でもあるので、具体的にどんなものがあるか見てもらうのが一番いいと思いまして、スーツケースにたくさん詰めてもってきました。置いておきますので見てくださいね。
著書で紹介させてもらった『はじめてのごみあさり』(こやま)は、共同住宅のゴミ捨て場が汚くなっているのを見て、嫌だけれど誰かがやらなくてはならないから片付けた体験を綴ったものです。『カプセルタワー滞在記』(エビコ)は、「中銀カプセルタワービル」で1ヶ月暮らした経験のイラストルポ。冊子なのだけれど、表紙を開くとポスターのようになるつくりもおもしろいですね。『漫想新聞』は東京を拠点にバンド活動をしているマスダユキさんと内田るんさんが不定期で10年ほど発行しているもので、最新号の特集テーマは、「元Zipper女子はこれからどんな服を着たいのか」(「Zipper」は1993年から2017年まで発行されていたファッション雑誌。2022年春に季刊誌として復刊予定。)。ぽにょさんという方がこれの告知を見て、「自分はどんな服が着たいのか」を考えたZINEをつくり、マスダさんと内田さんのライブに持ってきたこともありました。心あたたまりましたね。
このように、「自然な自己表現」として根づいているのがZINEです。
「こんなことやって意味があるのか」とか、「自己満足ではないか」と言われてしまいがちですし、自分でもそう思ってしまうかもしれませんが、何の行動もしないと、効率よく利益を得たい人の声ばかりが大きくなってしまう世の中なので、自分の心の声に耳を傾けて、もし可能ならさらに外に働きかけることは、絶対に意味があるはずなんです。いつも上から言われるだけではない、自分も主体的に世の中に関わっていくのだという行為ですから。
今日はいろいろなZINEを見てみて、自分なりの形を考えて、楽しんでいただければなと思います。
●ミニ対談
各々のレクチャーを受けて、対談が行われました。
ちょうどいい規模感で表現する
はらだ 本の企画を自分から出す割合が多いのですが、商業出版というフィールド上では、伝える相手の母数がある程度多くないと成立しないという大前提があるのが悩みです。
野中 すぐ「類書はどれくらい売れていますか」と聞かれますよね。
まだ言われていないこととか、まだ世の中にないものだからこそ出す意味もあると思うのですが、まずは商売として成立することが求められて、なかなか冒険ができない状況があります。
はらだ 私は自分の本を能動的に読んでくださる方のペルソナを具体的にイメージしていて、フェミニズムに触れている人たちの中でも、「ある程度問題意識を持っているけれど、日常生活で実践するのはまだまだ難しくて、消耗している人」に向けて書きたいと思っています。例えば、少し前に「ありのままの姿を受け入れよう」という「ボディ・ポジティブ」の考えで、「体毛を処理しないで外に出よう」という動きがありましたが、「いいことだなと思ってはいても、実際自分は処理せずには出かけられないと思って落ち込んでしまうような人」。そういう人に対して書きたいと思っているのですが、それではやはり読者がかなり限定されてしまいます。主軸はそこに起きつつ、もう少し広い読者に対して書くことが現実問題として必要になってくる。
また、資本主義的な観点でいうと、会社組織として大きなお金が回るようになると、継続してお金を回すことが企業存続に必須になるから、赤字を出さないことが、当然だけれど大前提になってしまいますよね。
加えて、近年インターネットで「バズる」セオリーが確立され、整備されてきたために、うまいことバズることが求められたり、あなたの言っている意見は結局はバズりたいがためのものなんでしょと言われ、自由度が下がっています。
野中 インターネットで個人が気軽に情報発信できるようになったのは基本的にはいいことだと思っていますが、同時にとても心に悪い空間になってしまっていますよね。そこへのアンチテーゼ、そこからのシェルターとしてもZINEの意義はあると思います。
はらだ 自分の意見を書くには、「紙が安全かもしれない」と思ったこともありました。
インターネットで短く書いたらぱっと怒られてしまうことも、紙なら好きなだけ文字数を使って書けるなと思ったんです。
90年代がインターネットの黎明期とおっしゃっていましたが、その頃、性格が悪いことがダメではなかったですよね。性格が悪いことを美徳とした結果の、かなり稚拙な考え方ももちろん出回っていましたが。でも、「ネガティブに見える語り」の中に本心を託すことが、ひとまず否定されていなかった体感はあります。今はいいことではないとインターネットには書きづらい。
SNSでは「鍵」をかけられるので、「鍵をかけていないということは、見せているんでしょ」と言われてしまう。「準備万端で見せてはいないけれど、確かに言っている」ということがあまりわかられないなと思います。
最近、7人くらいの少人数で集まるフェミニズム手芸部や、フェミニズム読書会、あるいはマイノリティとされる人に対して閉ざされていないように工夫された歌会などが開催されている様子をよく見かけるのですが、目を行き届かせるのにちょうどいい規模感なのだろうなと感じています。
野中 いろいろな場があって、やりたいことに合う規模感も性質も選べたらいいですよね。SNSだったり紙だったり集会だったり、ちょうどいいものがないなと思うものがあれば、どんどん自分でつくっていければいいなと思います。
ZINEの未来
野中 「自分を表現すること」に慣れている人が増えてきているので、ひとつの選択肢としてこれからも発展していくと思います。評価とは別に、つくること自体のおもしろさが理解されていくといいなという希望はありますね。
「いいね」の数とか、インターネットのプラットフォームでどれだけ人気があるかということをすごく意識してしまうと、自分の技能を磨くためには役に立つと思いますが、どうしても今の時点ですぐに「うける」方に流されてしまいがちです。「自分はどんなものが好きなのか、何をやりたいのか」を見失う危険も高まりますよね。
はらだ 「自分を表現すること」と「自分が表現したいこと」は別だと思っています。
「自分を表現する技法・手段」は、たくさん提示されていて、好きではなくても、たとえばtiktokで踊ることは、物理的には可能です。プラットフォーム側も、すぐにそれができるように最適化して、お膳立てすることで事業を回している。
自分の姿を配信して見せることが、どういう意味をもつのか、どういうリスクに晒され、そのリスクがどのように隠されているのかを、フェアに開示されないまま手段が用意されていて、その手段を、考える前に使えてしまうことが怖いなと思っています。アップロードをするのは本人だから、「やりたくてやっているのでしょ」とも言われてしまう状況が整ってしまっているけれど、「本当にそれがやりたいかどうか」をゆっくり考える前に、道が整いすぎているのかもしれない。
野中 流行りのプラットフォームや枠組みは、無名の人がまず読者や観客を獲得する手段として可能性のあるおもしろいものだと思いますが、そうではないところにも有益なものがいっぱいある。むしろ新しい枠組みをつくるとか、そういう野心をもって取り組んでいってほしいですね。
【午後の部】ZINE作りワークショップ13:30~15:30
休憩を挟み、午後は各自ZINEづくりに挑戦。今回は制作、各自のZINEについて発表、ZINEの交換までを行いました。
約15種類のZINEができ、テーマは、「自分のヒストリー」「好きな洋服の思い出」「移住した秋田で考えた山菜のレシピ」「人生で初めて絵を購入したときの気持ち」「降りてみたいと思っていた駅でやっと降りたときの話」「大人になってから思い出す、両親から言われたモヤモヤ」「ひとり飲みできる好きな店」「自分の中に住む“理想のギャル”」「小さいころから集めていたメッセージカード図鑑」など、多種多様。書く内容はもちろん、文字だけのものもあれば、イラストやコラージュを施したり、形も大きさもさまざまなZINEが生まれました。
「書き始めたらいろいろ思い出して、思い出せる時間でよかったです」。
「スマホにメモを取っていましたが、どこにも出す機会がなかったので、そのことについて書いてみました」。
「自分が密かに楽しんでいたことを誰かにお裾分けしたいという気持ちで書けたのでよかったです。続編も書きたいと思います。写真は撮っていても、言葉にしてこなかったなと、書きながら思いました」。
モヤモヤする気持ちを書いた人、人生をふりかえった人、情熱をしたためた人、好きなものをまとめた人……
参加者は全員がほぼ初対面でしたが、ZINEを通して一気に距離が縮まり、発表会も、交換会も和気藹々と行われました。
自然な表現であること、自由であること、「自分のためにつくること」に向き合う時間。みなさんもZINEをつくってみませんか?
(text:佐藤春菜、photo:秋田市文化創造館)
Profile
はらだ有彩(はらだ ありさ)
関西出身。テキスト、テキスタイル、イラストレーションを組み合わせ、「決まっているレギュレーションを排して再構築して自分の納得いく形に作り替えたい」と活動している。著作に『日本のヤバい女の子』『日本のヤバい女の子 静かなる抵抗』(柏書房/角川書店にて文庫化)、『百女百様 街で見かけた女性たち』(内外出版社)、『女ともだち ガール・ミーツ・ガールから始まる物語』(大和書房)、『ダメじゃないんじゃないんじゃない』(角川書店)。言葉と、イラストレーションをテキスタイルにして、「自分に装填させることで元気になる」ブランドmon.you.moyoを運営。
https://arisaharada.com/
Profile
野中モモ(のなか もも)
東京生まれ。自主制作出版物のオンラインショップ「Lilmag」や催しの企画運営、情報発信を通して個人のZINE活動を応援している。著書に『デヴィッド・ボウイ 変幻するカルト・スター』(筑摩書房)、『日本のZINEについて知ってることすべて 同人誌,ミニコミ,リトルプレス―自主制作出版史1960~2010年代』(誠文堂新光社、ばるぼらとの共編著)。訳書にダナ・ボイド『つながりっぱなしの日常を生きる ソーシャルメディアが若者にもたらしたもの』(草思社)、アリスン・ピープマイヤー『ガール・ジン 「フェミニズムする」少女たちの参加型メディア』(太田出版)など多数。
http://www.tigerlilyland.com/