2022年度 秋田市文化創造館 外部評価委員 テキスト
新しい活動や価値を生み出していくことを基本理念に据える文化創造館では、「管理の効率化」や「市民の平等な利用」を主軸とする既存の指定管理の評価指標のみでは測りきれない成果がうまれていると実感しています。県内外の文化芸術、まちづくり、教育等の多様な分野の専門家を招き、文化創造館の成果や課題について議論を蓄積する場として、今年度より外部評価委員会を開催し、委員の方々から多様な評価コメントをいただきました。
委員メンバー(五十音順、敬称略)
小倉 拓也(秋田大学教育文化学部 准教授)
工藤 尚悟(国際教養大学 准教授)
工藤 留美(ハラッパAFTER SCHOOL 代表)
林 千晶(株式会社Q0 代表取締役社長)
三浦 崇暢(秋田市仲小路振興会副会長)
山本 麻友美(京都市文化政策コーディネーター / 京都芸術センター副館長)
小倉 拓也
秋田市文化創造館の特徴は、館の主催事業から一般利用までの幅広い活動を展開しているなかでも、それぞれに固有のバックグラウンドを持つ多様なスタッフの存在に支えられた活動支援事業等の充実にあると言える。これらは、館が主導するイベントでも、すでに実績や能力を持つ利用者の展示や発表でもない、「チャレンジしたいけれどやり方が分からない」という利用者の活動に、スタッフが寄り添って、幅広く対応しながらアプローチするものである。
インターネットを背景としたSNS等を含む情報環境の変化とともに、市井のひとびとが、自分の特異とするコンテンツを発信したり共有したりすること、それをとおして普段は関わりがないひとびとと交流することは、いまやコミュニケーションの形態としてスタンダードなものになりつつあり、時代的要請ですらある。文化創造館の活動は、このような要請に、しかし「実地の場所」と「対面的・対人的な専門的サポート」の提供によって応えるものであり、先進的であるだけでなく特異なものだとも言える。
こうした多様なニーズに応えることができるのは、館の側の幅の広さ、制約のなさ、自由さゆえのことだが、それらは一方で、例えば、敷地内でのスケートボードの使用をめぐる「トラブル」(騒音、苦情、寛容、禁止の是非、等)を生みもした。しかし、こうした括弧つきの「トラブル」も、文化創造館の魅力を構成していると言えるだろう。実際、スタッフはこの問題を積極的に社会に発信し、問題提起し、スケートボード(の使用)をめぐるイベントを開催している。これは、通常業務というよりは、偶発的に起こった出来事かもしれないが、そうした偶発性が「文化」や「創造」には大切であるように思われる。
狭義の利用者‐提供者の範囲を超えて、私たちが暮らすこの地域において、文化とは、創造とは何か、何であるべきかを考えさせるこうした取り組みは、公共文化施設として、みずからの「公共」の意味に光を当てたという点でも、高く評価できるのではないだろうか。文化創造館には、今後もそうした「トラブル」や「偶発性」を大切にしてもらいたい。
以上の文化創造館の特徴、魅力は、ひとえにスタッフの多忙で多大な献身的取り組みによって可能になり、維持されている。利用者アンケートでもスタッフのそうした姿勢が高く評価されているが、それだけに、スタッフの人数も含め、その契約条件や労働環境の充実は必須だろう。秋田市が当初目標としていた年間利用者10万人はすでに達成されている。そうである以上、今後は、利用者数や収入といった量的な指標にとらわれすぎることなく、スタッフのワークライフバランス等も含め、真の意味で「文化的」と言える質の良い(高い、ではない)施設、そして活動を目指していってほしい。
工藤 尚悟
秋田市文化創造館(以下、文化創造館)は、秋田に暮らす人々の創造性を掻き立て、感性を育てるという場所。外部評価委員会での評価レポートの内容を受けて、以下3点を評価委員のコメントとして述べる。
1. 外とつながるための媒介
文化創造館に来ると、県外からの情報や人に出会うことができる。他の公共施設は、地域の内側の暮らしに集中していて、そこを豊かにする機能が多いのに対し、文化創造館は秋田を外に開き、つなげる、という媒介機能を担っているのではないか。
農がその中心にある秋田という土地柄を考えると、これは毎年同じことを繰り返すことが得意なシステムになっている。例えば、稲作のことを考えると、そのなかで行っているひとつひとつの作業はとても創造的だろうけれども、目指していることとしては、毎年きちんと同じくらいの収穫量を得ること。私は農村というのは、移ろう季節に合わせて、きちんと毎年暮らしていけるように、同じことを繰り返すのが得意なシステムであると思っている。
さて、こうした同じことを繰り返すことが得意なシステムが苦手なことが、外とつながることである。このシステムがしっかりと機能を果たしているほどに、「内に向かって閉じる」という状況が生まれてしまう。これがいきすぎると、やがて新しい視点や発想というものが、生まれにくくなってしまう。「秋田を外の世界に開く」という媒介機能を持った施設として、文化創造館の役割はとても大きいと感じている。
2.創造的であるための解放
秋田は人と自然が双方向に定義しあうという、特殊な風土を持った地域であり、そこでは、地縁血縁を基礎としたムラ社会の文化がある。前述のとおり、農という営みのなかで、毎年同じ収穫量を得るためには、顔見知りの間柄で、例えば「お前はどこどこの息子・娘。どこどこの孫。」というような関係性のなかで物事をすすめるほうが、効率的であった。しかし、こうした状況が同時に生み出してしまうのは、強い束縛だったり、上の世代の考え方に対する違和感がゆるやかに抑えつけられるような状況ではないだろうか。
私は、創造的であるとは、誰かが自身の考えや感情を能動的に身体の外に出して表現するということもそうだけれど、むしろ、こうしてゆるやかに抑えつけられた状態から解放されていること、unleash(手綱を外して自由にする・解き放つ)されている状態のことでもあるのではにかと考えている。国際教養大学はリベラルアーツ教育を行う、リベラルアーツ・カレッジである。リベラル・アーツとは何かと問われれば、私はリバレイト(解放する)ためのアート(術)、つまり、「解放のための術」と捉えている。秋田という土着性の強い地域において、文化創造館が担うのは、創造的になるための解放がかなう場ではないだろうか。
3.「秋田」に文化創造館あることの意味
他のどこでもなく、「秋田」という場所に文化創造館がある意味を考えるとき、人口減少と高齢化が世界のなかでも顕著に進んでいる社会である、ということについて考える必要がある。少子化が進んでいる地域であるということは、子どもの数が少ないのだから、そうして少なくなっていく子どもたちのひとりひとりをどのくらい創造的に育むことができるのか、ということが文化創造館の公共施設としてのミッションではないだろうか。子どもの割合が低いということは、子ども一人あたりの大人の割合が高い社会ということである。ならば、高齢者をはじめ秋田の大人たちは、積極的に次世代への投資を行っていく文化を持つ必要があるのではないか。高齢者がたくさんいるということがどういうことかと言うと、上の世代のリソースが豊富にある、ということ。世代間のつながりを生み出すような企画を通じて、上の世代が持っている知識や経験を次世代の投資に使えるような仕掛けが必要ではないだろうか。高齢者が居心地が良い施設ではなく、むしろ次世代育成のために、めちゃくちゃ仕事をしてもらう施設になるという画を描けたなら、文化創造館はもっと面白くなると思う。
工藤 留美
アートとこどもの関わりとして
2022年4月に芸術文化ゾーンに子どものクリエイティブを育む学童保育施設としてハラッパAFTER SCHOOLを開設。 これまで、あそびとおもちゃの専門店を営みながら、イベント「あそびのはじまり」を開催し、子どもたちのクリエイティブを育むための活動をしてきた。
以前より「アーツセンターあきた」さんからは活動への興味関心をいただき柔軟に対応していただいたこともあり、創造館オープン当初からこの場所で子どもたちとどのように関わってどんな環境をつくっていけるのかを一緒に考えることができたことは大きい。
昨年の開所当初には創造館スタッフからデザインの手ほどきを受け「ハラッパbingo~秋田市文化創造館version~」を子どもたちで製作した。活動の決まった形や型が無くても大人とこどもがいっしょになって「つくる」ことの楽しさや本物に触れること、みんなが試行錯誤していい場所がココにあることが重要だと感じる。
創造することが「面白い」「楽しい」と感じる場がこれまでになかった秋田に、自分で創造する余白ができたことはとても大きなことだと思う。
余白に慣れていない大人からは「何をしているところなのかわからない」という声が今でも聞かれる。発信する側の努力も必要だが、分からないものに自ら近づき、触れ、確かめることさえせず、他者からの情報を待っていることこそ、興味関心や好奇心の低さとも思える。
これからの未来を担う子どもたちには、好奇心をもち自ら学び五感を通して創造することを楽しめる場所があることが大きな意味を持つのではないかと思う。生きる力となる源「非認知能力」が養われる場所として今後もあり続けてほしい。
スタッフとのかかわりとして
親身になって活動を応援してくれるところがとても心強く感じているところである。 一方で、スタッフ一人一人の熱量などの違いが組織としてやり辛さを感じたり、個々の負担が大きかったりするのではないかという懸念もある。しかしながら、そもそも他とは違う、今までにない館を目指している、目指してほしいという思いもあるので、創造館の個性、スタッフの個性を失うことなく継続できる仕組みを構築してほしい。
施設環境として
とても柔軟に受け入れていただき、学童保育の子どもたちやイベント等で利用させてもらっている。
初めからできないと決めつけず、どうやったら出来るのかを考えているところも創造館の懐の広さを感じることができる。ただし、最低限のルールがないと無法地帯となり、逆に自由さがなくなるのではないかと思うこともある。一人ひとりのモラルの問題だが、危険だなと思うことや学習室として一見固定されてるかのような使われ方が見られると、小さな子どもたちや親子連れが近づきにくくなったりするので、アフォーダンスを取り入れながらバランスよい雰囲気作りが今後も必要になってくると思う。
林 千晶
文化創造館は媒介機能を持った施設だ。今は主に秋田と県外をつなぐ施設かと思うが、さらに希望を言うならば、グローバルな文化ともつないでほしいと思う。先日文化創造館に行ったときに、「ここは私がそのままでいられる場所」だと感じた。秋田に行くと、外部の人間にとっては違和感を感じることがある。閉じている、あるいは他と異なっている。その中で文化創造館は、外へと開いている県内でも数少ない施設の一つではないかと思う。その開き具合は世界に通じると思う。だから、中期的に世界の文化的な流れと文化創造館の営みが呼応していくことを期待する。
一方で、今使っている人にとっては既出のアンケートの結果から分かる通り、満足度がとても高いが、新しい人たちへの広がりという意味ではまだ課題として残っている。以前、秋田で文化的な調査を実施した際も、文化創造館のことを知らない/行ったことがないと答えた人がほとんどだった。そして、広がりをもつことが次の挑戦としてあげられるならば、その方法として「双方向」であることを視野に入れて活動することを提案する。例えば、従来の創造館や美術館は、展示室や活動する空間とは別にスタッフのオフィスが存在している。文化創造館のスタッフは、日々どういう人が館に訪れていて、どういう人が交わるのかどのくらい目が向けられているだろうか。現状では、来館者にとっては閉じられたオフィス(総合案内)へ行くというアクションを取らせなくてはいけない。あの部屋に行かなくてはならないのは、実は心理的にものすごくハードルが高い。そうすると、クレームを言う人や特別な用がある人はスタッフルームに行くが、幸せだなと感じたり、ここをもうちょっとこうしたらいいのにと思っていても、わざわざ言いに行く人はほとんどいないと思う。そのハードルが下がる場所にスタッフがいる環境をつくると自然とさまざまなことが変わっていくだろう。スタッフの人たちがとても協力的だったり、多様なバックグラウンドを持った人たちがいるのであれば、スタッフが前に出ていくのはとても効果的。文化創造館が未来を担っている施設と考えるのであれば、もっと来館者の目につくところにオフィスを設けてみるのはどうか。カフェを目的に、何もしないことをする人がいても良い。それらを含めて、コミュニケーションもすべて双方向を軸に置いてみると、驚くほど「開けていく」と考える。
三浦 崇暢
私が秋田市文化創造館(以下「創造館」とする。)について外部評価をするにあたり、3つの視点があると考えている。1つ目は私個人の視点、2つ目は仲小路振興会会員としての視点、3つ目は仲小路振興会としての視点である。ここでは、この3つの視点から評価をしていきたい。
まず、私個人の視点から評価していく。創造館は秋田市の公共施設の中では利用者との距離が近い施設だと感じている。利用者主体のイベント企画が多く、さらには創造館員と利用者とのコラボ企画もあるなど共に盛り上げて行こうとする姿勢が見える。賛否はあるかと思うが、いままでの周辺公共施設では実施が難しかったことの1つのスケボー練習場所を提供する企画にも取り組んでおり、そのチャレンジングな姿勢には共感できるものがある。
次に、仲小路振興会会員の視点から評価していく。ご存知の通り当会は商店街であるので、ほとんどすべての会員が商売をしている。そうなると評価基準となるものは、各個店それぞれの商売にプラスになっているかどうかという点に尽きる。確かに、創造館利用者の中には創造館を利用する際に仲小路に立ち寄り購買活動をしていく人もいると思うが、その数は残念ながら多くないと思われる。これについては各個店が創造館をしっかりと意識し、提携を組むなど工夫をすることで、個店と創造館を繋げることはできるだろう。
最後に、仲小路振興会の視点から評価していく。仲小路振興会の目的は、当会の規約にもある通り、仲小路地区の商店街形成、交通、防災、環境整備等の向上と発展を図ることである。特に商店街形成には力をいれており、仲小路を発信するため各種イベントや施設との提携を実施している。施設との提携の仕方は様々であるが、仲小路周辺施設において提携を行っていないのは創造館とミルハスだけである。当会の会議実施の際、創造館やミルハスとの提携の仕方を検討するものの、未だどのような形で提携を実施したら良いか考えあぐねているところである。個人の意見も織り交ぜてしまい大変恐縮ではあるが、この点については、当会の人間が創造館ではどのような活動が行われているか理解していないため、どのような形で提携することが適切かどうか見いだせていないからではないかと思う。
以上、3つの視点から創造館についての評価をさせていただいた。創造館は会館して間もない施設ではあるが、多くの人に親しまれている。評価をしておいてこんなことを言うのはおかしいとは思うが、外部からの様々な意見や評価を受けることはあれど、我々はこうだ!という1本筋の通った施設であってほしい。
山本麻友美
2022年秋に、秋田市文化創造館を実際に訪ねて、開かれた気持ちのよい施設だなと感じた。公立文化施設である限り、多くの人にとって開かれていることは自明ではあるが、その雰囲気を作り出し維持するためには、見えない工夫や気遣いが必要だ。
委員会で拝見したアンケート等の調査結果で気になったのは、スタッフの柔軟な対応を称賛する声と同時に、労務環境を心配する声もあったことだ。誰かのやりがいの上に成り立つ努力に頼ると、組織としては歪みが生まれてしまう。企画の中身やコミュニケーションにおいて、属人性が特色を生み評価される場面も多々あると思うが、小さい努力や気遣いを見える化してスタッフ間で共有するということが、組織の継続性のために必要だと思う。それがノウハウとなって、組織や施設の土台になる。ちょっとしたエピソードや、感想を交換することで、館全体の方向性も整えることができるのではないだろうか。
また文化施設として、秋田の中での周知は進み存在感も増している中で、それをさらに全国へ、世界へと広げていくには、ネットワークをうまく活用するのがよいのではと感じた。大きな事業やイベントを実施することで、全国的な、あるいは世界的な集客や注目を集めることも可能だが、若いスタッフが多いという特徴を活かし、新しい発想でネットワークを広げることもできるのではと思った。特徴のあるネットワークのハブになることで、将来的な力を養うことも可能だろう。
最後に、京都芸術センターの開設当時、とあるベテラン技術スタッフから言われた忘れられない言葉があり、それを思い出したので記しておこうと思う。それは、「アーティストに対して〈できない〉、〈無理だ〉と言わないでほしい」というものだ。実際、クリエイションに伴走すると、無理難題を突き付けられることも多く、頭を抱えるような場面に何度も直面したが、多様な人々とその解決策を探し、可能性を吟味し、意義を議論する中で、ノウハウやネットワークが蓄積され、施設全体の活動にダイナミックさをもたらす機会になったように思う。また、そこには、クリエイションを支援する文化施設としての得も言われぬ楽しさがあると思う。秋田市文化創造館は、そのスピリットを共有してもらえる数少ない施設であると感じた。
行政の中には、評価の定まらないものや、よくわからないものも積極的に取り扱うこと自体を懐疑的に思う人もいるのではないかと予想する。しかしそのような未知のものとの接点を生み出すこと自体が、都市にとっては重要で、コミュニティの多様性を担保し、安定した暮らしの持続性を高めることにつながる。それ自体評価されるべき活動である、ということを記しておきたい。